富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2008-01-17

一月十七日(木)終日多忙。湾仔のImmigration DeptでHKIDの再発行受領。昨年末に申請の母のHKIDも受領。郵便で母に送る。
▼香港政府前廉政専員羅范椒芬の全人代香港代表立候補、36人だかの定数に50名だかが立候補し推薦人数では彼女がダントツ一位。これに続き今度は香港大律師公會主席弁護士会会長)の袁某が広東省政治協商会議の委員に任命される。広東省政協の職務が直接香港に関はらず、また中国の国家組織への関はり=親中派といふことじたい「偏り」と思へば敢へて香港の司法家が広東省の政協に協力し法整備などに協力することを積極的にとらへることも可。だが一党独裁国家である現実からして香港の法治の中立不偏に禍ゐないか、と疑問の声もあり。大律師公會の歴代主席は民主党のマーチン李柱銘、公民党の党魁・余若薇などリベラル派多く、通常3年は任期自動延長が慣例の大律師公會だが袁某の続任に「待つた」。一枚岩に見えた大律師公會が、この問題を契機に分化も憂慮されるところ。陶傑さん曰く、内地政協への協力は果たして「政治的正確か?」と。まづ「内地が法治社会でない」を前提としてるが、それぢや香港だけが法治社会か、と陶傑さん。中国にだつて包青天のやうな名判官がゐたぢやないですか、それを「中国は法治社会ぢやない」といふのは政治的不正確。それに香港の法治社会は英国植民地政府の建立したもの、「内地」の内部事務に対して井水不犯河水、と。御意。陶傑さんのこの見方を借りれば、まさに香港の法治は英国植民地としてのもの。大律師公會も司法=英国流で司法カツラまでかぶり徹底してゐるのだが、香港の伝統的な中国と距離を置く司法(李國能・終審法院主席法官のスタンスが象徴的だが)は今後、その保守派と、積極的に内地の法制に絡まうとする改革派?(その代表が袁某か)に分化は避けられまい。
▼香港に劉千石といふ立法議員あり。労働運動の活動家で89年の天安門事件をきつかけに支聯会入り、民主党の結党に関はり、劉千石は香港職工会連盟を組織し立法会議員に。民主派では代表的な議員の一人「であつた」。1960年に広州より香港に偷渡の彼には広州に老齢で病気に臥せる母あり。反中国政府的な民主運動で中国政府に「回郷証」剥奪され広州に母を見舞ふ帰省も能はず、2000年に行政長官董建華の協助で回郷証の再発給受け広州で母と再会。この回郷証再発給の時に条件として反中国政府的な言動を今後控へることが条件になつたとか揶揄もされたが、事実、劉千石はその後、言動的には「低調」。民主党や「前線」から脱党し民主党は結党当時の幹部であつた彼を逆に除籍の決定。香港の民主派は中国政府と和解し良好な関係を築くべきと主張、立法会での表決でも泛民主派に同調せず。05年の董建華辞任での後任選挙ではSir Donaldを支持、SIr Donaldがその年に提案の選挙制度含む改革案では「反対」の泛民主派で唯一人、棄権票投ず。これを転向、変節といへばそれまで。だが、その劉千石が最近の「普選」問題について、05年の上述の政府提案の改革案反対時と同じで、泛民主派はただただ今のやうな反対、抗議をしてゐては永遠に普選は実現できぬ、現実的に妥協点を見出し、その中で具体的な政治改革を実現してゆくべき、と指摘(本日のSCMP)。

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