富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-11-14

十一月十四日(水)朝五時過ぎに目覚め朝刊配達なる前に手嶋龍一&佐藤優『インテリジェンス 武器なき戦争』の残り三分の一ほど読み了る。いろいろ語つてこそゐるが最後には「ロシア人は週に16回性交する」だの「ロシア女を女房にするのはやめておけ。若いうちはいいが40過ぎると身体が合わなくなる」だの、商社オヤヂの如き会話となり、その見出しが「日本には高い潜在的インテリジェンス能力がある」つてんだから(笑)。結局、帯の宣伝文句「東京は、極秘情報が集積するインテリジェンス都市である」は東京がインテリジェンス都市なのではなく日本にも手嶋や佐藤といつた「自分たちのやうな」優秀なインテリジェントがゐるからまだ捨てたものぢやない、と、ただそれがいひたいのかしら。快晴。早晩に久々にFCCにて文藝春秋12月号読みながらZ嬢待つ。Lambrusco Grasparossa di Castelvetroは微発砲の赤葡萄酒。アタシにはやつぱり甘すぎ。続けてお気に入りの智利ワイン Santa Catolinaを飲む。これも好物のIrish Stewを食す。Z嬢と市大会堂。今年の台湾節の目玉で優人神鼓(U-Theatre)による太鼓表演を観る。自称政治家Sir Donald行政長官の懐刀である財政司司長曽俊華君が夫人と一緒に会場にあり。行政長官に次ぐ三司の一の来臨とは香港地方政府もかなり親台?か。局長クラスでも十分な気がするが局長だと管轄は民政事務局で、ここの局長は曽?成で台湾系の催事には「左派的に」無理(笑)。この優人神鼓(U-Theatre)の公演(二晩)は台湾系の富邦銀行がスポンサーで無料。台湾つて禅宗的なアート指向なのかね、で雲門舞集(Cloud Gate)に近い雰囲気で太鼓を叩く。強ひていへば太鼓としては鬼太鼓座のやうな本格に非ず、パフォーマンス性としてはサムルノリのやうなビジュアル感もなく、芸術性としては雲門舞集のやうな惚れ惚れする美しさでもなく、どうも中途半端な気もする。帰宅して寝際に先週末の古書バザーで入手した山根一眞の『スーパー書斎の遊戯術 黄金版』一読。文庫本は94年の初版だが内容は1990〜92年に週刊文春に連載されたもので「スーパー書斎」のハイテクぶりは15年以上前では隔世の感あり。例へば当時の最先端はワープロで原稿を打ち、モデムと音響カプラー!をつなぎ携帯電話からニフティサーブに繋ぎ電子メールで出版社のファクス機宛てにファクス送信サービスを利用して原稿送付する、といふもの。気の遠くなる作業。「米国の通信ネットワークサービスと繋がるまでにたつたの3分」なのだ。これだからハイテクは梅棹忠夫の『知的生産の技術』がいつの時代にも色褪せぬのに比べ風化してしまふ。それでも読みながら山根氏が90年当時、司会をしてゐたNHKの「ミッドナイトジャーナル」といふ番組についての言及あり。その番組で「美空ひばり特集の最後で紹介した十六歳のひばりが唄つたSPレコードの「東京キッド」を流した」話が出てくる。実はアタシはその当時、NHKにゐて(ってNHKの職員ぢゃないが)この番組にも立ち合ひ。アタシはこの「東京キッド」よりひばりが英語で歌ふ「テネシーワルツ」(これも当時のテープを番組で流してゐる)のはうがずつと好きになつたのだが。閑話休題。でこの山根氏の本で、20年前の情報化時代、ハイテクに装備することの楽しさ、など彷彿。といひつつ実際にけふびのアタシの生活などハイテク製品こそMacPowerBook1台と携帯電話、それに最近購入の電子辞書(Papyrus)とデジカメがある程度、に収斂されたが、ハイテク生活へのせめてもの反発として手帖だけは電化せず手書きにこだはり机上にはタイムシステム、持ち歩きはFilofaxだが、実はこの環境とてまさに20数年前に山根さんの発信する世界から覚えたもの。それがすつかり定着しただけ。手帖はシャープペンだがそれ以外の手書きは万年筆、時々、はがきや手紙を認めよう、とこれだけは細々と。
▼最近絶好調の内田樹先生。文藝春秋(12月号)で自著『私家版・ユダヤ文化論』について一文寄せる。内田先生がいつからユダヤ問題の専門家だつたのかアタシは知らない。ただ内田先生にかかるとすべてが一刀両断。それにしてもこの文春の随筆を一読しても比較文化論がとても胡散臭く思へるアタシは
日本人はユダヤ人に説明しがたい「親近感」を感じる。それは明治期の日猶同祖論によっても、あるいは山本七平の『日本人とユダヤ人』をはじめとする無数の「ユダヤ人論」(むろん私の著作もその一つである)の存在からも知ることができる。歴史的にも地理的にも隔絶され、そもそも十九世紀までお互いにその存在さえ知らなかった二つの民族集団のあいだにもし何か「結びつけるもの」があるとしたら、それはここまでの理路に従えば「存在しないもの」である他ないだろう。(略)天上的な神でもなく、地上的な価値(建国理論や国益)でもなく、「死者たち」が彼らを鎮魂するための儀礼的共同体を要請するという仕方で基礎づけられた共同体であるという点において、日本人はユダヤ人に近接するのかも知れない。
ださうな。なんかもう「ああ、さうですか」としか言ひやうがない。「死者たち」が彼らを鎮魂するための儀礼的共同体を要請するといふ仕方で基礎づけられた共同体……ねぇ。それぢや日本人とユダヤ人以外はどうなのよ?と。
▼その文藝春秋12月号の白眉は藤原正彦センセイの『教養立国ニッポン』であつた。今更引用するのも恥づかしいが内田樹先生の「死者と鎮魂」論なんて圧倒する藤原先生の筆致よ。
我が国は、金銭崇拝から歴史的にもっとも遠い国であった。それがたった十年ほどで金銭亡者で満たされてしまった。室町末期に来日したキリスト教宣教師以来、幾世紀にもわたり、訪日した外国人により世界でもっとも道徳的と賞讃された国民が、法律に触れないことなら何をしてもよい、などという思考に傾き初めてしまった。
つて、さすが。昔から金銭亡者なんていくらでもいたし、すぐに「外国人に賞讃される」とかのフレーズに良うのは「日本には高い潜在的インテリジェンス能力がある」で嬉しがるのと一緒な貧困さ、室町時代にそもそも「日本国民」なんてゐないかつたし、「法律に触れないことなら何をしてもよい」の感覚は大宝律令の昔からあつたかも知れない。そしてすぐ「戦後は誇りを失つた」で教育の崩壊=日教組批判。
終戦後、大東亜戦争の敗戦で自信を粉々にされた日本人に、GHQの魔の手が襲いかかった。厳しい言論統制の下で洗脳を敢行したのである。戦争は一方的に日本の責任であること、戦前日本のすべては恥づべきものであること、などがマスコミを通して垂れ流された。教育においてもその線に沿った改革が加えられた。日本人は祖国への誇りを失った。優秀な日本が二度と立上ってアメリカに刃向かわないよう、最も効果的な方法を採用したのである。この路線は、アメリカの撤退後もずっと続いた。日教組がそのまま引き継いだからである。
と、一言でいへば「陳腐」な歴史観。これこそ自虐史観。そもそも進駐軍だつて敗戦国民が自分たちに刃向かつてんぢやないかと戦々恐々としてゐたのに笑顔で進駐軍を迎へ入れたのは「米国による洗脳前の」日本人の姿。その時点で下手すると「誇りもなかつたのでは?」とアタシは思ふが藤原先生は当然、そんな疑問は抱かぬらしい。なにせ藤原先生の「私の大学の新入生」つまりお茶の水大学の理学部数学科の入学生か?は
「過去の日本は恥ずかしい国であった。明治大正昭和は軍国主義帝国主義植民地主義で塗りかためられた侵略国家だった。その前の江戸時代は、封建制のもと、庶民は虐げられ生活にあえいでいた。その前はもっと恥ずかしい時代、その前はもっともっと……」。
つて、このお茶の水大学の理学部数学科のウルトラ自虐的な女学生の尊顔に一度拝したいもの。それよりも、この女学生のコメントを原稿で「その前はもっと恥ずかしい時代、その前はもっともっと……」と書いてゐる藤原先生の表情を想像すると、ちよつと怖い。藤原先生のご指摘の通り「教養は自らを豊かにするためのもの」なのだけど、結局「勁くたおやかな祖国を取り戻すため、教養主義の復活が切望される」と結ばれてしまふのが文春的な限界(荷風散人が嫌つた菊池寛のそれ)。
▼この文春12月号では他に佐藤優「沖縄集団自決 母は見た」といふ佐藤優氏が久米島出身の母の手記から沖縄での集団自決について、を論証する力作あり。それと徳本栄一郎「白州次郎 隠された履歴」も興味深いのは、白州次郎とJardine Matheson商会(戦後は香港に本拠地)、それに吉田茂の話。三題噺のやうだが戦後の白州次郎の吉田内閣への協力は今更言ふに及ばぬが白州次郎は戦後、Jardine Matheson商会のエージェント的業務に従事(日本製鉄の広畑製鉄所売却の絡むことなど)。で吉田茂も実は明治初期のJardine Matheson商会の横浜支店に勤務し明治新政府に武器売り込みで活躍したのが吉田健三、この人が吉田茂の養父。これは面白い逸話。さらに逸話でいへば久能靖「角栄周恩来会談 最後の証言」も興味深く読める。この日中交渉に立ち合つた中国側通訳・周斌氏が語る内幕物。田中角栄周恩来の両首相のやり取りの影で実は能弁に実に上手く振る舞ふ大平正芳外相の生き生きした姿。田中角栄周恩来の交渉がどうにか落ち着くべきところに落ち着き、突然の毛沢東中南海にある私邸への訪問。「もう喧嘩は終はりましたか?」と彼らを迎へる毛沢東の大人(da ren)ぶつた存在感。周恩来の上海での日本代表団見送る最後の一言が「天皇陛下によろしく」などなど。……と結局、文藝春秋は最後まで読んでしまふ。
▼中国の国家人口和計画生育委員会の発表によると2020年に25〜45歳で女性に対する男性の人口超過が3千万人。一人つ子政策の結果、男子望む家庭が多かつた結果がこれ。女子が生まれた場合に最悪の場合、間引きされたか、或いは出生登記せず、二人目以降の子どもも「幽霊」が少なからず。当然、教育や医療など福祉享受できず真つ当に就業もできず。ところで、もう一つの中国の深刻な問題、三峡ダム。長江を堰き止め140万人が移住し出来た幅2.3km、貯水量390億立方米の巨大ダムが生態系に与へる影響の大きさ、かねがね指摘されるが、来年08年末に予定されてゐた満水が予定早まつてをり、懸念されるは周辺の崖の容易な地崩れ、崖つ淵に点在する村々の家屋崩壊、人災事故(ReutersのChris Bucley記者による取材)。
▼最近、信報に「健吾」といふ筆名で日本の世相をさらつと語る書き手あり。健吾といふ名から日本人か?と一瞬思つたが香港人らしく日本に客旅かしら。ブログも読み応へあり。
▼香港の飲食店の栄枯盛衰甚し。2002年に太古城で開業の翡翠拉?小籠包(本社はシンガポール)、その坦々麺や小籠包が美味いと評判で太古城に住まふ日本人駐在員の奥様方も行列の一角を占め、あれよあれよといふ間に銅鑼湾のTimes Squareや尖沙咀の一等地、中環のIFCに支店網。今年六月には灣仔で600平米の旗艦店開業の由。一、二度食べてはみたが香港で当時、手拉(手打ち)が珍しいことくらゐで「わざはざ並んで……」とまでは思へぬ、ありがちなピーナッツ風味の坦々麺。流行りの食肆にありがちな話で狭い店に行列が出来るうちが華、調子にのつて店舗拡張や支店増やすと、とたんに行列も出来ぬのは必須。で創業で資金出し合つた共同経営者間の仲違ひもあちがち、でこの翡翠拉?小籠包でもシンガポールの出資者の一人が袂を分かち昨年末に太古城の香港第1号店の賃貸契約満了時に独立して別会社で君頤上海小廚と改名。この独立騒ぎ、両者協議は合意に至らず裁判へ。こんな泥仕合するより「ある程度人気が出て業務拡張できたところ会社の経営権を売り逃げ」こそ飲食業の基本のはず。

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