富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-09-04

九月四日(火)諸事忙殺され晩に至る。背中に微に蕁麻疹あり。肉を煮て牛丼。睡魔に襲われ臥床。翌朝未明に目覚めプーシキンの『スペードの女王岡本綺堂の譯で読む(青空文庫版)。もっとこってりした筆致かと思ったが意外と淡々。サイトウキネン松本にて演ったチャイコフスキーのオペラの方、筋も読んだがオペラの方がずっと面白そう。久が原のT君の話ではロシアの老伯爵夫人の「最近の社交界と云つたら、禮儀も作法も何もなつちやゐない。私が國王陛下の御前で歌を披露した、ヱルサイユ宮の昔は大したものだつた。ポンパドゥール侯爵夫人も時折お出ましになつて…」云々、の回想の口説きも凄かった由。原作では伯爵夫人の孫のトムスキイが祖母の昔話として友人に巴里での豪勢な賭けの逸話あっさりと語るばかりで老婦人自身の華麗なる物語り、はあらず。空も白む。巴里のオペラ座より秋のオペラ上演の報せ届く。すっかりそういう季節。
瀬島龍三氏逝去。戦中から戦後日本で暗躍の児玉誉士夫ら政商がすでに他界の後、歴史の表裏知る最後の御仁だろう。朝日新聞が1997年の香港返還の合わせ「香港物語」なるたいそうな特集記事連載。その第1回目が「戦争」というタイトルで瀬島龍三が特務として戦前に香港訪れた話取り上げられる。上原謙の如く白の麻のスーツで日本旅館の女将(高峰三枝子か)を連れてリパルスベイ……という話。これについては当時、アタシは月刊香港通信に若い記者の妄想話、と書いたものもあり(こちら)。瀬島の、戦後の伊藤忠での安宅産業の合弁も、安宅産業がもともと安宅弥吉が日下部商店香港支店(当地では日森洋行)に職を得て、そこから起業した経緯など考えると、安宅産業倒産での鉄部門の伊藤忠への吸収も当然、弥吉死後のこととはいえ戦前からの絡み。
自民党参院議員小林某の選挙違反引責辞職で神奈川選挙区では松あきら女史繰り上げ当選。公明党にしてみれば自民党と組み公明党自身の議席まで減らした参院選挙。自民党のせめてもの香典返しで一議席増か。それにしても松あきらといえばさきの参院選では小泉三世の選挙応援の印象強し。どこか小泉三世だけはまだ枯れておらず。

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