富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-08-21

八月廿一日(火)昨日の那覇での中華航空機の炎上につき蘋果日報は巻頭含め三頁カラーの特集記事。日本の新聞には見られぬ具体的な写真、絵図など盛り沢山。緊急脱出は「何も持たない」が規則だが飛行機から脱出した乗客の手には貴重品入ったハンドバッグどころか大きな土産袋まで。物欲の凄まじさ。日本の新聞、相変わらず百年一日の如く那覇空港売店職員のコメントだの熱心。ところで惨禍、災難続くと古来、改暦であるとか改名で禍事祓うもの。中華航空もこの際、正名運動の一環でもあり、いっそのこと台湾航空にしては如何か。日曜晩よりバタバタとしていたが一先ず平静取り戻し、ふと刺身食したく夕方、ユニー(現Apita也)に寄るがスーパーで赤身など値段も値段だし「これぢゃ鳥渡」のカジキマグロ。とりあえず赤身とカンパチ、蛸の刺身少し購い帰宅して赤身はズケにする。醤油はほんの少し酒と味醂加え、これにちょっと漬けるとまるっきし味のない鮪の赤身もそれなりになるのも江戸の知恵。そういえば嘉次郎監督が、昔は食い物屋なんてのは他人家の間口や軒を借りるか、屋台、と書いていた。いつの間にか、寿司や天麩羅なんて湾岸のどうしようもない魚介をどう美味く食うか、の庶民の食い物が高級料理になったのも可笑しいが、寿司と天麩羅といえば屋台でも、その屋台に店の者はきちんと正座して寿司を握ったり天麩羅を揚げていた、と。然り。であるから不自然なのはキョウビの(ってもうだいぶ昔からだが)「カウンター」料理。寿司、天麩羅から割烹まで全てがカウンター。目の前で新鮮な食材を見事な手さばきで……というが。あれは不自然の極み。寿司、天麩羅などの屋台物は作り手が坐し、それ以外は蕎麦から割烹まで見えないところで調理して運ばれるのが筋。何が基本か、は、作り手が坐れること。ずっと坐っているか、客から見えないところなら仕事が一段落すれば腰をおろせる。それをまぁ立ちん坊にしてしまったのがカウンター料理なのだ。……と嘉次郎監督のように一人合点。赤葡萄酒少々。久々にドライマティーニ一杯。カジキマグロが見事に美味なるズケに。鱈子と古漬の糠漬け。NHKのNW9で(予想通りだが)中華航空機の事故につき東大の液体燃料の専門家だか招き事故原因解明。視聴者=トーシロー相手にある面では人災の事故の事故原因の推理をして何になるものか不思議。
▼嘉次郎監督の受け売りばかりで恐縮だが「茶ほうじ」という随筆より。嘉次郎監督は小島政二郎の随筆から、政二郎が水上滝太郎に連れられ(いずれも三田派の作家)泉鏡花邸訪れた時の話あり。鏡花夫人が底に美濃紙を貼ったヒノキのワッパの茶ほうじで長火鉢の埋れ火で丹念に精をこめて番茶を煎じ鉄瓶の熱湯でジューンッと音を立てて出して頂いたその番茶がいかに美味かったか、と。夫人は客が喜ぶので、何杯もその都度、新しく番茶を焙して供した、と言う。嘉次郎監督が重宝した石綿の茶ほうじは「女どもの乱暴な扱いで」壊れてしまったそうで監督方々探すが日本橋の三大デパート(三越高島屋白木屋)にも河童橋にも築地にも「茶ほうじ」はなく茶道具の専門店でも「なつかしい」と言われる始末。で川越の土蔵造の金物屋でようやくブリキ製のを手に入れた嘉次郎監督。これを細工して石綿底にするのだが……。後日、監督は京橋の茶舗で京都の石綿製の茶ほうじが入手可と知って、随筆は終わる。その京橋の池田園、懐かしいが今は銀座1丁目のコージーコーナーが其処。池田園ビルという建物に名を残すばかり。
▼築地のH君より歌舞伎座の芝居の話。八月の三部制で出ずっぱりは「毎度何かとお騒がせいたします」の中村屋三津五郎福助と。今日、なんとなく久しぶりに歌舞伎座で歌舞伎見物。中村屋、十月には演舞場でも出ずっぱりだそうな。昼は俊寛、連獅子に文七元結。夜は、これは凄いが「森光子 中村勘三郎 特別公演」って新宿コマぢゃないんだから。ヒガシも飛び入りか(笑)。で今月の第三部の先代萩をH君参観。中村屋が下男小助、政岡と仁木弾正を三役。で八汐が扇雀。立ち役が加役でやる(例えば松島屋)八汐を女形扇雀演じる。今月は例えば橋之助とかH君の見立てでは弥十郎でもいいが、なぜか扇雀。きっと中村屋から「浩チャン、八月の歌舞伎座の納涼なんだけど、先代萩でさ、八汐やってくれいない?」「えー!? 兄さん、アタシはもともと女形ですよ。そんな殺生な」「洒落だよ洒落。夏芝居なんだからさ。それにアンタ、そんだけ柄がありゃあ、いまさら女形もねえだろう」「やだな、それは言いっこなしですよ」てなコトで。
大江健三郎小田実追悼の文章(本日の朝日新聞衛星版)の最後に綴る。
選挙で発せられた国民の声は聞かず、不思議な確信をこめて語る首相に、私はこの人の尊敬するお祖父さんの、60年前の声明を思い出します。……声ある声に屈せず声なき声に耳を傾ける。
戦後レジームからの脱却」というあいまいな掛け声が一応の魅力を持つのは、じつは脱却した後のレジームが具体的には示されていないからです。それだけに、政府が変わっても生き続けそうな気がします。これに対抗する手がかりの実体は、戦後の民主主義レジームに勇気づけられた世代から手渡してゆかねばなりません。
アタシのような戦後日本の一番美味しいところを享受して好き勝手に育ってきた世代にとって戦後の日本ほど(ある面では戦前でも特に教育や文化などの「いい部分」は含め)ありがたいものなし。それをありがたいと思うからこそ、それに固執する。これは愛国。それをまぁよくもシャーシャーと「戦後レジームからの脱却」などと呆けたことをヌカす御仁は信じられず。大江君は安倍三世に祖父を彷彿しているが、岸信介は少なくとも安保反対の世論(せろん)に耳を塞ぎつつ確信をもち戦後レジームの確固たる構築目指し安保改正に踏み切ったわけで、それを非難するのは易しいが、その体制に甘んじた者が実際には大多数(安保反対した世代のどれだけがこのレジームで糊口の凌ぐどころか人生安泰か)。
▼生死の淵を彷徨う香港鼠楽園、ついに出血大安売りで年間パス、学生料金でHK$460発売の由。儲けなど二の次で兎に角、地元のお客様皆さま千客萬来期待。南無阿弥。