富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-08-04

八月四日(土)熟睡し久々に起きたら七時。朝食済ませZ嬢は土曜市へ。余は昼すぎまでプールサイドに寛ぎ読書。好天気。肌を炒るほどには暑からず。桂文我『落語「通」入門』読了。昼過ぎ部屋に戻り荷造り済ます。佐伯順子『遊女の文化史』(中公新書)読み始める。Z嬢戻り午後2時にホテルをチェックアウト。タクシーで空港へ向う。成田ほど遠からず、かといって旧空港ほど至便に非ず。香港空港への道程ほどのダイナミックさもなく単調な風景はパッとせず。だらだら、と空港に到着。今回は「怖い物みたさ」で破竹の勢いの格安航空Air Asiaで帰途につく。「危ない」だの「かなりひどいサービス」だのと噂ばかりで「一度は乗ってみないと」での選択。だがバンコクから香港には就航なく(香港の空港経費が高いゆゑ)マカオと深?への便があり今回はマカオへ。運賃は片道一人1,900バーツ(わずか7,539円!)と売り出してはいるが何かと諸経費込みで二人で6.7千バーツ(2万6千円)。それでも安い。チェックインカウンターは銅鑼湾の安売りDVD屋の店員の如きニーチャンが担当。当然「ご搭乗ありがとうございます」でもなく、ただ手際よく搭乗手続き済ませ搭乗券代わりのレシート!くれて終わり。バンコクのこの新空港、到着はかなり貧弱であったが出発ロビーはそれなりに華もあり。搭乗までラウンジ、といっても当然、格安航空はラウンジがあろうはずもなくPriority PassでCIPラウンジへ。それにしてもこの空港、すべてがタイ航空のために設計されており此処にも彼処にもタイ航空のラウンジばかり目立つ。でご搭乗。搭乗時間が16:50とあり出発時間17:20であるから「出発時間30分前には搭乗口へ」も当然か、と思い搭乗時間にゲートに到着せば待合室はガラガラ。遠くで「ほら急いで」と職員が呼ぶファイナルコール。マジかよ?と驚いたが離陸遅延で空港使用経費が増えるわけで格安航空はいかに早く飛び立つかが命題。で実は「搭乗時間の30分前にゲートへ」の指示であったとは。で当然、格安であるので飛行機はゲートに横づけされようはすもなく(これも経費削減)今どきバスで遠方に駐機中の飛行機へと向う。中国の国内線か?と思んばかりに中国の田舎漢旅行者多し。B737-300で148席。全席自由だが「1列目を除いてとっととお坐りください」の指示。一応「自由席なの?」と乗務員に(英語で)尋ねると「英語がわかりますね?」と聞き返され「1列目にどうぞ」と。意味不明。とにかく「だーっと乗って」数分後には離陸へ。駐機位置が滑走路のすぐ横なので飛び立つのも早い(笑)。で3−3の座席配置で1列目の3人席にZ嬢と余の2人で、これならエコノミーでもまだ快適。1列目に「英語ができる搭乗者」としているのは「万が一」で緊急脱出の場合に機長の指示は英語を基本とするため英語のわかる客には緊急脱出の場合など他の乗客=言葉のわからぬ者の模範となるべく協力してもうらうが為に前方に着席願っている、但し「安全には最大の配慮をしていますので、そんなこと=緊急脱出などないですが」と説明あり。納得、というか複雑な気持ち。搭乗者は客席のほぼ8割。で機内乗務員は3名のみ。148人満席の場合、服務員1名あたりの客のratioは49.3名で「40人学級」も実現できぬわけで、しかも言葉も通じない生徒が多いのだから大変だが、機内では1度だけ軽食とお飲み物の販売があるだけで、これぢゃ「おせんにキャラメル、冷たいお飲み物はいかが〜」で寄席の中入りだよ。格安航空は「機内への飲食物の持ち込み禁止として機内で高い物売りつける」という噂も聞いていたがコーラが40バーツでカップラーメンが50バーツなのだからマカオフェリーより安く、これじゃかつての中環〜佐敦のフェリー並み。それにしても格安航空ほど「テロ対策」の恩恵受けている航空会社もあるまい。なにせ「機内への飲食物の持込みは禁止」はかつては社内規定だったのが今じゃ「テロ対策」で空港が勝手に荷物検査で液体没収してくれるのだから。テロ対策が実は格安航空に利潤もたらすだけとは、いかにも呆けた話。で2時間50分のフライトのはずが2時間10分余でマカオ到着。航空会社にとって燃料こそ「主な支出」でフライト時間短縮で経費削減か。で搭乗してみての評価は「簡便、格安でこの内容」なら充分に合格。余計なサービスもなければかなり無駄の出る機内食も短時間のフライトなら無くて結構。マカオ空港に到着。ここも当然、タラップ降りて歩いて建物へ。空港バスでフェリー乗り場へ直行。空港に到着してからフェリー出航まで1時間15分。しかも路線バスでの移動。これも簡便。香港に戻るフェリーで佐伯順子『遊女の文化史』読了。新書にしては読みごたえ充分。
▼ふだんあまり取り上げぬ河野太郎代議士の「ごまめの歯ぎしり」より。河野君は自らを初当選から十年で「自慢ではないが委員会、本会議を通じて、僕が最も造反の多い議員」だとしつつ、このように述べる。
つまり、議員は人形のように国対の指示通りに立ったり座ったりしていればよいという、自民党国対のやり方には我慢できなかった。議員は選挙で選ばれて来た以上、重要だと思う法案にはそれなりの姿勢で臨むべきだと僕は思っている。しかし、今の国会運営ではそれはなかなか受け入れられない。なぜならば、55年体制下での自民党国対のやり方は、議会制民主主義を理解していない、自民党式議会運営だったからだ。だから、今度の衆参のねじれを奇貨として、国会運営を正常化するべきだ。総理大臣以下政府の一員である議員は、政府の決断に従う必要がある。それが政府の連帯責任という奴だ。しかし、与党議員には政府の方針を無条件で受け入れる義務はない。政府は与党を説得し、時に脅し、ときにすかし、時に懇願して政府の提案を通す。同時に野党にも必ず政府案に反対する義務はない。だから政府はベストと思う提案を出すが、必要ならば国会で与党も野党も修正し、採決する。今の国会では、夫婦別姓法案やサマータイム法案、民法改正案、死刑廃止法案などなど、政党内で、特に与党内で、意見が一致しない法案は審議すらできない。どんなに社会的にニーズが強くても、国会で、審議し決定することができないというのは、国会の怠慢である。社会的にニーズのある問題に関してきちんと議論して結論を出せる国会にできるだろうか。決められた法案を一刻も早く成立させるだけの国会から、問題を議論できる国会に変われるだろうか。国会は、議論する場になるだろうか。今の国会は、質疑はするが議論はない。政府や与党や野党が出したいろいろな案を前にして、それぞれの長所と短所を議員が議論し、自分の意見を述べる本会議ができるようになるだろうか。そういう委員会審議になるだろうか。そういう国会ができるような気がする。
と。
桂文我『落語「通」入門』 桂文我なる噺家ぢたいあたしは知らずにいたが師匠の枝雀から最近は米朝師匠のように落語の史料蒐集し歴史を語られるような噺家ががいないと言われたことで一念発起しての勉強。大したもの。それにしても柳家小せん三好町、1883〜1919)が凄い。若い頃の廓通いが祟り脳脊髄梅毒症の悪化で歩行不能になり白内障で失明。37歳の若さで亡くなったが抜群の噺家で稽古つけた弟子が文楽志ん生圓生、金馬に柳橋ってんだから昭和の落語界の大御所がずらりと並ぶ。アタシの場合、ぎりぎりで文楽志ん生の二大巨匠の話をぢかに聴けていないのが残念。金語楼に金馬なんてテレビの常連で、柳橋圓生、小さんが普通に寄席でトリをとっていたのだから今にして思えばなんと贅沢なことであったか。
佐伯順子『遊女の文化史』 噂には聞いていたが新書とは思えぬ「たっぷり」の内容。「序章」「1章:イシュタルの章−古代における性と遊びの位相」で佐伯女史本人の論文としての主眼がきちんと提示され、内容的には近松の曽根崎をテクストにした「9章:お初の章」と?東綺譚の「10章:お雪の章」が面白い。古代、神と人々を結び歌舞音曲に長け且つ性を売る、旅もするハレなる「聖なる遊女」が時代を経ることに足枷をはめられ廓に囲まれ、単なる買春として宗教的側面が失せる経緯を古事記から一葉、荷風散人から吉行淳之介まで取り上げて文学作品から、その「歴史」を見事に分析してみせる。これが筆者26歳の時の修士論文をもとにしたものなのだから敬服。