富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-07-03

七月三日(火)確か先週の火曜日であったか取引先の銀行より電話あり「最近、日本円口座を開いたようですが円安での円買いならもう少し買い増ししては如何ですか?」と。手持ち資金も限度というものがあるし投機の相場師でもあるまいし何より多忙極まりない時で「あとでまた電話して」と切ったら電話かかって来ず。そのままになっていたがアトになって思うと丁度124円近い最安値の時の電話で銀行も「これが最安値で買い時」と狙ってのオファーだったのか。残念なことをした、と122円台で値動き続く今になって思う。銀行といえば本日、中国銀行のクレジットカード受領。特段欲しいと思うカードでなかったが中国国内は深?でも香港のAmexであるとかStandard Charteredのクレジットカード出すと「国内発行のカード以外はダメ」と断れるケース多発し「香港だって国内だろうが、一国両制!」と叫んだところで相手にされず中国国内での利用のためだけ、に中国銀行のカード申請。中国銀行は勿論、香港の中国銀行発行でも「国内発行のカード」として認知の由。申請してから二ヶ月余。話によれば人民元の為替レートが香港ドル上回ったことで香港でも人民元建てで人民元のクレジットカード使うほうが割安感あり、で中国銀行でのカード申請に殺到とか。「他はみんなプラチナだよ」と威勢張ってはみたが口座も取引もなきゴロツキの客として普通カード発給受ける。ところで、この日剰、文章も多いが画像多く所蔵してきた結果、一時はサイト全体で250MBを超え米国のTripodというこの供給元のパッケージの最大は150MBで50MBずつ2回も増量していたので「こりゃたまらん」と最近の画像をFlickrに移し230MBくらいまで減量し時間を見つけてはせこせこと過去の画像の整理など続けてはいたが、ふと今日気づけば使用容量240MBだかに対して残り容量が249,760MBだかと表示があり、一瞬「ん?」何かの間違いか、と思ったが……確かにその通り。げげげっ……なんと昨今のGoogleだのMacだのの容量無料提供の勃興に抗してか恐らくここ半年の間に150MBが10GBとなり!而も7.5MBを2つ、の計15MBを借り足し25GBも有していたのだ。毎月US$29.95もかけ日剰を公開しているとは愚の骨頂かも知れぬが、所謂ブログ系に反発し広告ありを嫌い、で致し方ないか、と思っていたら、この始末。無料で容量お貸しします、が普及しコンテンツも画像だの音楽になると、もうギガがないと役立たずの時代になっていたとは……文章とせいぜい静止画像だけのアタシはかなり古典派か。いずれにせよ慌てて契約のダウングレード。本当は1GBもあれば充分なのだがドメインネーム維持のため3GBで契約。それでも月額US$8.95でかなり負担減。数年前からの写真整理し続けてデジカメ遍歴思い起こせば、このサイト誕生の2000年当時はオリンパスのC-900ズーム(香港写真の画像がこれ)。それからSonyサイバーショットU30となり(確か03年、SARSの年の初夏)、それをランニング中に紛失しContaxのU4Rとなり(現役)、G1とT2とすっかりContax党であったが京セラのカメラ事業撤退(05年9月)で将来的に路頭に迷うと困った頃に(ニコン党であった父の逝去もあり)ニコンD70sとなる(05年初夏)。しかしこの頃には一眼デジカメの普及著しく「誰が撮っても上手に写る」ことの面白みの無さ感じEpsonR-D1sに辿り着いたのが昨06年の秋。「ライカのMマウントのレンズが必要」で「だが時期尚早」のはずが意外と清水の舞台から一度飛び降りると二度、三度、投身も要領を得るものでレンズの数も気がつくと増殖しておりサンタクロースがライカM6を届けてくださったりコンパクトもリコーのGR Digitalが手許にあったり……で現在に至る。ところで香檳大廈に潜入したのが昨年の一月が始めてであったことには驚いた。
「やはり薄汚いビルの中」とふらりと入った ビルは階段を上がると突然、ジャズが聞こえてきて数軒の中古カメラ屋が並ぶ。「えっ?」と狸に騙されたような空間が広がり中古カメラ屋の何軒も並ぶ中に骨董の時計屋や翡翠扱う店など。(略)カメラ屋 を見てまわる。これでもか、というニコンやキャノン、ライカなど往年の銘記が並び圧倒される。いくつも本格的な店、頑固そうなオヤジと友人なのか客なのかわからぬ店に集う 男たち、ニコンフィルムカメラから撤退という決定があったばかりで余計にいろいろ感じ入る。店の名前が「相機維修中心」というのもあり。修理現場では職 員二人がカメラやレンズの修理、調整に余念がない。此処ならニコンのサービスセンターで拒否されたNikomat ELのファインダーのクリーニングもしてくれそう。
と書いているが、まさかアタシ自身が翌年にはこの「頑固そうなオヤジと友人なのか客なのかわからぬ店に集う男たち」の一人になっていようとは……。アサヒカメラ七月号で赤城耕一氏が「ワタクシ的名機」のシリーズでツァイスイコンSWを取り上げ、その中でライカM8を取り上げ赤城氏にとってデジタルカメラはあくまで仕事用なのでオフタイムにデジカメと戯れようとは思わないし仕事的にはライカM8よりキャノンEOS-1Dのほうが効率が上がる、と割り切ってみせた上で
M8でもう一つ問題なのは、レンジファインダーカメラの最大の特性ともいえる不確実性が失われたことだ。撮影後にモニターによって画質を即刻確認できる利便性に撮影者は甘えてしまい、一期一会の瞬間を軽視し、ダメなら取り直すという未練がましい行為に走ったりする。レンジファインダーの不確実性により撮影者の想像力が培われ、目が鍛えられ、撮影後に撮影コマを選択する行為や暗室作業のプロセスが第二の行為になる。これがライカを使う大きな魅力なのだ。このきわめてクリエーティブな作業が理解されていないのは残念なことだ。
と赤城氏。そこれ氏は最近その不確実性を求めてツァイスイコンSWをお使いの由。御意。「せめてもの」でEpsonR-D1sのモニタを仕舞う。晩にチキンのマリネを焼いたりアボガドのペーストでナチョストスカーナはMontalcino地区Col D'orciaなる醸造所のSant'Antimo(06年、Pinot Grigio)を飲む。料理にしっかりと合った。
▼久間防衛大臣の「原爆容認発言」について。アタシにはあの発言が「不適切だ」とは思えても、あれが本当に原爆容認発言だった、とはわからぬ。原爆投下があったことでもっと延びる可能性のあった対米戦争がいっきに終戦へと動いた、そういう意味では原爆は人類にとって最も惨い惨禍であるが結果的に戦争終結を早めた、という米国が主張する見解とあまり変わらないようだが「容認」とは「それでよいとして、認めること」(岩波国語辞典)や「よいとみとめて、ゆるすこと」(広辞苑)なら、久間氏の発言は「しょうがない」で、これはが原爆投下を「良い」とまでは言って認めておらず、ただ「仕様がない」、は岩波国語で「しかた。する方法」が無い、で「特に作るものに関し要求する」方法がない、としたら日本が米国に対して原爆はまさに「仕様がない」もの。久間氏を与党内部でも批判するが本当に自民党政府が米国に対して核廃絶などアッピールを言葉でするだけでなく本当に核廃絶にするよう働きかけ、米国の原爆投下をどこかで糾弾したかどうか。広辞苑では「しょうがない」は「施すべき手がない。始末におえない」とあり。これはまさに中国語なら「沒有?法」で喜怒哀楽の感情を越えての「致し方ない」もの。という意味では原爆で数十万人が亡くなっても「日本人自身が終えることのできなかった」戦争が終り米軍の進駐を受け入れ米国指導下で戦後が始まったことのは事実。「尊い犠牲」などという美辞麗句は不要。実際には米国を糾弾もできず寧ろ隷属国として米軍の武力侵攻に加担が現実だろうに、で「尊い犠牲の上に戦後の平和が」などとは言えず。あの久間という代議士の発言から「原爆容認」で「許し難い」となる短絡的な、ファッショ的な発想のほうがアタシにはずっと怖い。所詮、すべては選挙。野党は「ここぞ」とばかりに糾弾し、安倍政権に無条件服従のような公明党もさすがにこの原爆「容認」は受け入れられず、自民党参院選挙前にこの大臣をスケープゴートにするのがせめてもの火の粉祓いか。結局は議席。この貧困なる現状こそ「しょうがない」とは言いたくない。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/