富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-07-01

七月朔日(日)雨。昨晩満月が雨空で早朝も起きてはみたが月を愛でず。香港特区成立十周年を拗らせたようで風邪をひく。朝から国旗掲揚式、自称政治家Sir Donaldの第3回特区行政長官就任式、ハッピーヴァレイ競馬場での人民解放軍の落下傘部隊の表演など一連の行事を新聞読みながら風邪でぼーっとした頭でテレビ画面眺める。昨日は昨晩の宴会で「いかなる宗教や主義を持つ市民も団結し香港の繁栄と安定を守るべきだ」と異見分子に忠告し「青少年は香港の未来であり希望である。青少年に対しての愛国愛港の国民教育の重視が必要」と宣われた胡錦涛君は祝辞で「一国がなければ両制はない」「両制がなければ一国がない」とまるで禅問答。昨晩読んだThe Economistは香港特集で香港にとって祝賀すべきは今日の特区成立十周年よりも来年の?小平の改革三十周年なのだろう、という指摘を読み三中全会からもう30年なのか、と驚く。Fortune誌は12年前に“The Death of Hong Kong”と宣ったことを回顧して今年は“Oops! Hong Kong is hardly dead”と香港を煽てていた。どうであれ天気は不安定。昼前に近所のかかりつけC氏の診断請う。銅鑼湾。香港特区成立記念日に市民デモ定着。こうなったのも中国の政治問題を除けば香港での「計算違い」は董建華の愚政と親中派御用政党・民建聯の失態続きゆゑ。董建華は去り民建聯は党代表の馬力の失言で今回はだんまりを決め込み行政長官「自称政治家」SIr Donaldには可もなく不可もなく今年のデモは特区成立十周年で「けじめ」という以外はとくに焦点に欠ける鴨。それでも銅鑼湾は異様な熱気。MTR出口にまず梁國雄君。隣に「前線」のEmily Lau女史。ヴィクトリア公園に入ると司徒華先生が後輩議員応援でTシャツに揮毫。それに数十人の列。李卓人議員。民主党は楊森議員。錚々たる顔ぶれ。公園中央で人がざわっと動く気配に何かと思えば陳日君枢機卿現われる。李銘柱議員と蘋果日報社主の黎智英氏も枢機卿に同行。陳方安生女史もデモに参加。主催者側発表は六万八千人参加(警察発表は二万人)。銅鑼湾でデモの流れを眺めMTRで中環。商務印書館で『香港植民建築』『THE逼CITY』なる前者は戦前までのコロニアル建築、後者は戦後の都市雑居建築。それに啓功の書法本が和綴じ(というと中国に失礼だが)で出ておりこれを購う。啓功は愛新覚羅啓功(1912?2005)。北京人。字は玄白。中国書法家協会主席。清朝雍正帝の九代目子孫だが生涯敢えて愛新覚羅の姓を名乗らなかった由。まことに品の良い行書。こういう字が書けたら、とせめて勉強。FCCでステラアルトワをくーっと一杯。テレビモニタに流れる有線電視のニュースはデモの中継だが字幕ニュースで台湾の映画監督・楊徳昌エドワード=ヤン)氏が米国で病逝と出る。享年五十九歳。この七年ほど抗癌の闘病生活続けていた由。何といっても1991年の『?嶺街少年殺人事件』の強い印象。60年代の台北の「政府筋の一帯」舞台に見事な環境設定。当時13歳の張震が主人公・小四演じたデビュー作。寡作な人で94年の『独立時代』、96年の『麻將』に2000年の『一一(Yi Yi)』と余は全てオンタイムで見たいたと今になって気づく。この弔報に接し直感的に思ったことはこの楊徳昌という人は、蔡明亮が李康生という青年を街でスカウトして自分の映画ほぼ全てで主演を演じさせ、もはや李康生が蔡明亮と一心同体の如く而も映画制作まで関わるようになったのに比べ、楊徳昌は秘蔵っ子の張震に同じような夢と理想を託したのではないか、ということ。だが張震は巣立ち楊徳昌が残った、と。出来過ぎかも知れないがシュトラウスの『薔薇の騎士』の公爵夫人のような心境で。サンミゲル(フィリピンの瓶入り)飲んでいるとZ嬢現われFCCでそのまま軽く夕食。サラダとナシゴレンをシェア。葡萄酒はトスカーナのLe Volteの04年と南豪のKilikanoon蒸留所のKillerman's RunのCabernet Sauvignon(03年)グラスで一杯ずつ飲む。個人的にはLe VolteがいいがKillerman's Ranも最初甘さに閉口したが暫くすると実に落ち着く。なんか最近、葡萄酒が美味い。中環の裏通り散歩。湾仔では特区成立記念日の花火、銅鑼湾の香港スタジアムでは中田英壽君ら招聘され親善サッカー開催されている由。交通渋滞らしくMTRで早々に帰宅。読書。

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