富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-03-28

三月廿八日(水)諸事忙殺され続けるが今日は強制終了ボタン押して夕方に尖沙咀。香港芸術館にて開催中のThe Chater Collectionの絵画や写真の展示見る。香港に公園や街道に名を遺すCatchick Paul Chater卿(1846-1926)は出自はカルカッタ生まれのアルマニア人。英国植民地にてWharfやThe Hongkong Landといった大企業の創始者、で1987年に英国政府よりCGM勲章得て1902年にSIrの爵位授けられる。香港開闢当時の絵や20世紀初頭の風景写真などChater卿蒐集のもの数多く展示あり。Space MuseumにてPaolo Gioliの映像作品を看る(こちら)。写真を次々と組み合わせた印象派作品……としか言いようがない。この人の映像作品を4回にわけ紹介する企みが今回の香港映画祭で実現したが(日本でも殆ど知られてない作家のようだが)この日も十数名の観衆と閑散。変貌激しいKCR尖東站の地上部分歩き尖沙咀東。ズミルックスの50mmのレンズ買って以来で久々に永安広場の新富山撮影器材(New Francis Camera)冷かす。西洋人の若い客あり。なんとライカの M8を買う算段中。M8の現物も初めて見たがM8を買う酔狂な御仁がいようとは……かなり驚く。その客「妻が何と言うか」で思案顔。やはり世界中、ライカ購入で何が最も障害か、と言えば配偶者の怒りと落胆。最終的にデポジットをHK$2,000だか預けることでカメラ本体取り置きで今日は落ち着いた模様。それにしても、その客が去った後に店主に聞くと、このライカM8、値段は41ドルだそうな……(この店主、上海人だと今日、電話でのやりとりを聞いて初めて知ったが、なにがイヤか、といえばカメラの値段を聞くと例えば今日も見たズミクロンの35mmが12ドル、って当然これは12千ドルなのだが、全てがこの調子。つまりライカだから千ドル単位で当たり前、なのだ)。高い、ライカのMシリーズとはいえ「たかだかデジタルに」HK$41,000だ。日本の57万円(価格.com調べ)のほうがまだ安いが……それにしても。41千ドルもあったら上質のM3とレンズ2本くらい買うけどね、アタシだったら。と思うが「そんなの持ってるからデジタルM8に食指延ばしたのだ」と言われたらそれまで、か。いずれにしても他人の買い物だ。科学館で映画“Black Gold”見る。黒い黄金、中文題は見ての通り、で『不公平珈琲』である。エチオピアなど産出国で低価格に押さえられた珈琲がどうやって20倍の価格の一杯の珈琲にまで値段が跳ね上がるのか、エチオピアで生産者利益考えながら珈琲豆輸出する商人を主な主人公にして不公平な南北貿易の実態に迫った、というルポ映画で、当然のようにスポンサーはOxfamである。会場ではFair Tradeの珈琲豆も販売。映画終って、ふと五味鳥で独り焼き鳥でも数串、と思ったがダイエット中の身、焼き鳥はいいが熱燗二合がね、と思って我慢。雲呑麺食べて地下鉄で中環。スターフェリーの波止場に隣接する歴史長きQueen's Pierも取り壊しだそうで通りがかりに写真撮影。歴代の総督が船から上陸するのがこの波止場で、飛行機の時代になっても啓徳空港に着いてから自動車で尖沙咀まで来て(海底トンネル潜らず)わざわざ総督の船艇に乗り換え、このQueen's Pierに上陸して総督就任式典に臨んだのも懐かしい集団記憶の一つ。今晩三本目の映画は“Poison Friends”という仏蘭西映画。巴里のソルボンヌ大学で文学や哲学学ぶ学生らの、興味ある人にはとっても巴里っぽい人文哲学の青春だけど、興味ない人には「バカじゃねーの、こいつら」な物語。アタシは個人的にはこの文学青年らに「将来はない」と思うが、他人の勝手で、オタクだと思えば電車男のように面白い。がこの青二才どもが突然、作家になってしまったり(石原慎太郎も、そうだが)「世の中、そんなに甘くねーんだよ」と言いたくもあり。ところでこの監督、Emmanuel Bourdieuという人、実際に大学で人文学の先生で今回この映画を撮ってカンヌ映画祭でも批評家週の特賞取った由。でこのブルデュという名前、どこかで聞いたことがある?と思ったアナタは80年代のニューアカ世代。構造主義で「ディスタンクシオン」でしたか、確か今村仁司先生とかが日本で紹介、の仏蘭西の社会哲学者ピエール=ブルデュのお子さんだそうな。京の桜を愛でてきた村上湛君からメール届き、歌舞伎だと「関扉」にあたる能の「墨染櫻」という曲、アタシが能に疎いのは承知で「日の本の初花の心にて」と村上君自身が古い完本より起こした脚本見せていただく。歌舞伎の関扉だと関兵衛が盃中を見込む場面が能の現行の演出では、この「能の前場でシテが出家する時に盥の水に姿を映す趣向のヤツシ」にあたるそれがないのだそうな。で村上君の本はそれの復活。この関の扉の墨染といえば先帝陛下崩御の年、アタクシも東都に在り、大成駒の最後の墨染を歌舞伎座で見たこと思い出す。
▼香港文化人類学会の会報で中文大学のCheung Wai-shanという学生の卒業論文だろうか“Training Good Citizens: A Case Study of A Boy's Home in Hong Kong”を読む。香港の政府系のBlue Sky Centreという非行少年収監施設(少年刑務所や少年院に比べ週末の外出が出来たりする)でのフィールドワークに基づいた調査。こういった更生施設の特異性についてはフーコーなどすでに興味深い指摘あるが、この学生も、理不尽と思える罰則制度や見せしめ、寮生がシャワー中にたった2人が雑談していただけで「声がデカイ」と注意され全員がシャワー中断され裸のまま注意勧告受けることなど、更生施設にありがちな制度などに着目。また更生施設では寮生らが実際に「更生」したかどうか、が結果だが、施設内でどう振る舞うことによって寮監から評価されるか、それに合わせることなど寮生にとっては常識的に容易な見せかけ行為で(これは精神病などの患者が医者の前で精神病的に振る舞うと医者が喜ぶ、というのと同じか)、論文は結論として、<施設>は非行少年の更生という大義名分、それに対して実際は非行の問題を社会から隔離することが存在の根拠の一つ、とシニカルに結論づけたことは興味深い。

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