富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-02-24

二月廿四日(土)昨日読んだ『偽ライカ同盟入門』チョートク先生の著作。デジタルカメラの技術的進歩=デジタルカメラをダメにしたのはプロジェクトXなんて番組が好きな国民性だから今さら言ったところで遅いが、と前置きしてチョートク先生は、その日本人独特の「無限上昇志向的な便利主義」だ、と指摘。
これは確かに一面から見れば、戦後の日本を進化させる原動力になったのではあろうが、その便利主義というのは、「王様のアイデア」のつまらなさなのである。つまり、思いつきの新案特許であって、物事の本質に立ち返ってのモノの使い方に関する考察というものが、最初から欠如していた。もとより「これもあったら、便利だね・主義」であるから、そんな思いつきの便利さというのは、無くても用が足りるものに過ぎない。
と。饒舌な、読む人によっては「どうでもいい」ような話の中に物事の本質をズバリ指摘するところがこの先生の筆致。「たかだか写真家で」ありながら六本木ヒルズの50階にオフィス構えてしまう。昨晩遅くに読んだ『さらばライカ』は6章の「簡単明快なデジカメ選び」秀逸。
1 デジカメの命は短い
2 デジカメはどこのメーカーでも写りに変わりなし
3 デジカメの値段は生鮮食品である
というが、これは「デジカメはどこのメーカーでも写りに変わりなし」でも「撮る人によって」当然、映り方が違うのが弘法筆を択ばずの極意。でこの本も饒舌の中に、デジカメではフラッシュを使わないほうがいいのは「デジカメの画像再生の色調とコントラストの特徴は「やや暗い場所でコントラストの低いシーンの方が綺麗に撮れる」というデジカメの再現性の特色にある」とか「デジカメの場合、綺麗な色彩を得るには、単一の光源を利用すること。これに尽きる。ストロボは全体のカラーバランスを崩すので得策ではない」といった、他の教則本ではこんな的確に指摘のない、とても大切なことが簡単明瞭に書かれている、のがチョートク先生がやはり六本木ヒルズの50階にオフィスを構えるほどの(ってやたらそれにコダワルが)御仁である所以。というわけで昨日から今日はすっかりチョートク先生漬けになってしまった(文体までチョートク先生になりつつあるが)。昼過ぎまでご執務。といっても旅行中のチケット半券だのマッチの箱を解体してノートに貼ったり香港映画祭のパス券の取得であったりするのだが。早晩にやはり香港に戻れば食したくなるのは焼鵝飯であったり牛?麺であったりするわけで尖沙咀は海防道街市の徳發麺家に赴けば丁亥年正月七日でもまだ正月休み。さすが。蔡瀾氏がかつて徳發は旧正月など大いに休みカナダ、豪州などばっちり旅游愉しむも尚のこと結構、と書いていたが本当。隣の仁利という潮州麺家に食す。店の息子二人か健次の小説に登場しそうな若衆二人、店の繁盛手伝ったり弟妹の宿題を見たり、とどこか余にも懐かしき店屋の昔の風情。香港文化中心にて江蘇省崑劇院による「桃花扇」の芝居見る。崑劇というと一瞬、まるで雲南省昆明の伝統的戯劇のようだが江蘇省崑山に六百年の歴史誇る古典演劇でユネスコにもMasterpeace of the Oral and Intangible Heritage of Humanityとして認定されている由。と聞くとコテコテの支那演劇のようだが然に非ず。白先勇が古典劇「牡丹亭」を青春版に仕上げ、それを上演したことでこの崑劇院が評判になって数年、この「桃花扇」も清朝初期の1699年に戯曲作家の孔尚任(孔子第64代末裔)が脱稿の古典劇「桃花扇」を江蘇省崑劇院が見事に「いい意味で」現代的に演出。役者はほぼ全員が江蘇省戯劇学校崑劇科を卒業したばかりの20〜22歳の若い役者。当然、例えば京劇で梅派の一つ一つの所作に練熟の、客を唸らせる如き真骨頂など、この若い劇団員には、ない。が何がこの劇団の「見通し」か、と言えば、敢えて経験も乏しく役者としてはまだまだ修業中の身の彼らを採用するか、と言えば、明末から清初の動乱期に睦まじき二人の男女の悲劇のこの古典劇を練りに練って三時間余に。そして舞台も旧態依然とした支那戯劇の大道具に拘らず四本の紅色の支柱に何枚かの幢を下ろすだけ(初めてケータイで写真撮っちまったよ)。開演前から舞台の上下に置かれた椅子が上演中に取り払われるだけで明朝の宮廷人の、坐る席がなくなったことだけで、明朝の滅亡を表わすような、そういう見事な演出。音曲の鐘や鳴り物もただ賑やかなだけでなく西洋の弦楽器なども含めた、言わば「中楽団」。これだけの舞台の「準備」が整った中で、かりに役者が経験豊かなコテコテであったらどうか……それぢゃ脂っこすぎ。……で計算された上での、敢えて役者学校出たばかりの若い、まだまだ線の細い役者ばかり用いることで、熟練の演出家や舞台作家らの環境と、その浅い役者が微妙な平衡で、それが実に面白い。いやいや、実にお見事。中国に北京をはじめ各地に、伝統的な戯劇をこうした形で将来に向けどう残してゆくか、の実験的な取組みがいくつもあり。それが日本では残念ながら(落語はまだ面白そうだが)歌舞伎でいえば沢瀉屋であるとかコクーンなどだけで、それは意欲的でも、日本各地で、数百人の若者が、といった動きにはなっておらぬことが残念か。香港のうるさい客もこの崑劇団は「牡丹亭」での評判もあり事前の人気も高く超満員。いつもの戯劇の如く芝居の最中に「好!、好!」といった掛け声だのは起きぬが、劇終でやんやの喝采とStanding Ovation続く。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/