富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-02-18

亥年正月朔日。恭禧發財。雨。水戸芸術館にて松井みどりプロデュース「マイクロポップの時代、夏への扉」観賞。マイクロポップとは「不況で未来が不安定な時代に成人した人たちが、その不利な条件を糧に独自の視点や行き方を構築していく、希望を秘めた芸術」の由。意味不明。「制度的な倫理や主要なイデオロギーに頼らず、様々なところから集めた断片を統合して、独自の行き方の道筋や美学を作り出す姿勢」「主要な文化に対して「マイナー」(周辺的)な位置にある人々の創造性」であり「手に入る物で間に合わせながら、彼らの物資的欠落や社会的に弱い立場を、想像力の遊びによって埋め合わせようとするもの」で、ドゥルーズ&ガダリ的には「移民、子ども、消費者など、常に「大きな」組織に従属している周縁者と見なされている人々が、その一見不利な条件を利用して自分たちに適した環境や新たな言葉を作り、メジャーな文化を内側から変えていく、「小さな想像」の革命的な力についての方法論」だそうな。で展示の「作品」といえば、なかには奈良美智のようなすでに名の知れた作品もあるが、基本的には「到底「芸術作品とは思えぬものたち」がそれふうに空間にディスプレイされてている」もの。それを「不況で未来が不安定な時代に成人した人たちが、その不利な条件を糧に独自の視点や行き方を構築していく、希望を秘めた芸術」といえばそうなるのだろうが、好景気でも未来が安定した時代なんてものもないし、不況で未来が不安定な時代に成人した人たちを「不利な条件を糧に……」とまで過保護にする必要もなく「物資的欠落や社会的に弱い立場」などではない。何より、今回出品する芸術家の彼らは美術だの造形など一流の大学で学び多くが伯林や紐育で表現芸術活動するアーティストであり、そういう立場にある彼らの何処がマイノリティでマージナルな立場なのか。どうも松井女史のプロデュースのコンセプト含め理解できず。日曜日も午前中に参観者はあたし一人。水戸芸術館は音楽は水戸室内管弦楽団など成果あげていようし舞台もそれなりの流れが生まれているが、どうも美術展については明確な意図が見えず。女性職員の制服のダサさ(市役所受付の如し)、受付のフロントの事務用品の散らかり、館内の案内ポスターの貼り方、館内にあるレストランの芸術館のコンセプトなど全く理解していないポップ、HPのセンス、広場正面の殺風景……などなど。ふとこの水戸芸術館の塔に上がってみようか、と思う。タワーへ向う回廊で雨漏り。この施設を設計した磯崎新のためにも雨漏りは修理して。200円で「おそらく今日の初めての、もしかすると今日のただ一人?」の客としてエレベーターで85mだかにある展望台まで上がる。昭和40年の東京タワーのようなタワーの解説。それも録音ではなく実際に案内嬢が狭いエレベータの中で語ってくれる。それも90秒余の搭乗時間のうち40秒くらいで終わってしまい「では到着までタワーの内部構造などご覧ください」と言われ沈黙が続く。沈黙のまま私は案内嬢と二人で85mの高さまでの昇華。展望台は当然、誰もおらず。案内嬢はもしかするとずっとこの密室で私を観察し続けるかしら?と『ガロ』的な不安に襲われる……が、案内嬢はエレベータで降りてゆき、少し安堵。というわけであたしは狭い展望台に独り。展望台だが予想以上に円窓が小さく、屈んだり背伸びして、すっかり戒厳令的閑散の水戸市街を見下ろす。実は、この芸術館はあたくしの学んだ小学校の跡地。タワーから見下ろす、かつての繁華街はあたしらのシマ。昔の賑わいを思いだし余計に寂しさに嘖まれる。展望台はメタリックにまとめている「はず」なのにクリーム色の塩ビの床(これもどうせなら鉄板にすべきなのに)、その床とメタリックな壁との間の幅木!などよけいに目につき、赤い消火器の箱の主張が「マイクロポップしてしまっている」。エレベータを呼ぶと案内嬢が企つ。下りは当然、沈黙。「楽しかったですか?」と尋ねられるはずもなく、つい「エレベータや展望台内部は冷暖房でも、このタワーのチタンパネルの外壁の内部ってのは夏は高温で冬は凍えるほどでしょうね」「あと何十年もつんでしょうね?」「チタンパネルも汚れない、って言われましたが、雨の水垢とか目立ちますよね」なんて話す。芸術館の売店木村伊兵衛の写真集(文庫本)と巨匠アラーキーの『東京日記』購入。ぜんぜん人なんて歩いておらぬ寂しげなかつての歓楽街を抜け、信願寺町の「鰻亭」。水戸の那珂川名物の鰻を供す、江戸時代からの料理屋の流れの店。奥の座敷で小学校の同級生の某私立高で日本史教えるJ君、某公立進学高で世界史教えるA君、実に30年ぶりに再会の、今は某電力会社で熱流動の主任研究員T君と鰻を頬張りつつ物語り。J君とA君とは小学生の頃、なんぜ戦前のことまで、と教師も驚くほどあたしら三人は昔語りする耳年増。料理屋でも、食後に珈琲でも、と市街の大通りを歩く時でも、この店がまだある、ここに何があった、と昔語り。市街に唯一残った、而もこの百貨店不毛の時代にあえて大型店舗化に踏み切った某百貨店の地下の珈琲店。母とも偶然此処で待ち合せ。旧友らと別れ母と買い物。夕方、母とタクシー雇い県立近代美術館。加山又造展はこの美術館の独自企画で国立近代や個人所蔵の又造の屏風絵など集めた積極的な企画。終戦後のシュールレアリズムやキュビスムの影響受けた頃の作品、日本画への見事な回帰、その後のまさに達観的な、まさに万丈という言葉が似合う画風……ただただ見惚れる。これが芸術であり、観賞されるに値する芸術家であり、その作品を集めて展示してこそ、美術館。王道はこれ。これに比べると「マイクロポップの時代」は、わけのわからぬオブジェ集めて、参観者に「これがアートです」と強いたもの、と言わざるを得ず。アートセンスのない保守的な年寄りといわれればそれまでだが……。暮時、日鉄停車場(JRの駅、の意)まで母と散歩。Z嬢来る。とんかつ屋で晩飯。反調味料派としては、とんかつもソースなどかけず食せば微妙な揚げ粉の塩分と肉汁でそれだけ美味い。雑事済ませ晩遅く、ザ・ドリフターズの『[『http://www.shochiku.co.jp/video/v70s/sb0826.html』:title=誰かさんと誰かさんが全員集合!]』の映画をビデオで観る。1970年に水戸を舞台に、いかりや長介が塾長をする「大日本菊花塾」なる右翼系武道塾。当時、人気ウナギ登りのドリフターズで量産されたシリーズ物のギャグ映画、で寅さんよろしくお決まりの地方ロケ、とタカを括っていたが、いやいやどうして、水戸で右翼系武道塾、というだけで桜田門外の変から昭和初期の軍人テロに到る「水戸っぽさ」で、しかも地元の政界有力者による高速道路建設に絡む贈収賄いかりや長介が恋した昼は幼稚園の先生、晩は地元の山口樓なる料亭の売れっこ芸者という女性(岩下志麻)が実は……と脚本は水戸の風土に土建屋金権政治、それを暴こうとする正義にドリフのコント、と内容けっこう真っ当。1970年に水戸を舞台に、いかりや長介が塾長をする「大日本菊花塾」なる右翼系武道塾……以下、後ほど。当時、幼き我に地元で松竹系の興行主であった家の息子Y君という親友あり。Y君の家がまさにこの映画撮影の招聘元ゆゑ撮影ロケの詳細など詳しく連日、学校が終わると近所の住宅地の豪邸などでの撮影現場を覗きにいったことなど思い出す。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/