富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-01-28

一月廿八日(日)晴。せっかくの快晴の日曜日、風邪で臥床。といっても朦朧としつつ「モンテクリスト伯」の第6巻読了。その勢いで最終巻(7巻目)も読み終える。いやいや、出来過ぎ、の話だが19世紀半ばのフランスの新聞に連載された大衆小説と思えば、これなら大好評間違いなし、の筋。日本では明治の頃に黒岩涙香が翻訳し『萬朝報』に『史外史伝巌窟王』として連載された由。これをぜひ読んでみたいところ。今にして思えば小学生の頃に、岩波少年文庫版だったのだろう、学校図書館にこの『巌窟王』あり。表紙絵は、確か島の刑務所から出て来たところだったか。小学生なりに余は感動したようで、何かの作文(創作)で、ずっと洞窟に閉じこめられていた男が九死に一生を得て脱出する話を書き「まるで岩窟王のようだ」だとか何とか表現して一人、悦には入っていた記憶あり。昭和の巌窟王といえば昭和38年に半世紀ぶりに無罪判決を得た吉田石松翁だが、お若い方はご存知なかろう哉。夕方、香港大学の図書館に沈従文の本二冊返却。散歩がてら石塘咀のあたりに下りてトラムで中環。Queen Victoria街の牛棚書店、今月末で閉業の由。早晩にFCCでZ嬢と待ち合せ。ハイボール一杯。風邪でウイスキーの味すらせぬ。軽く夕食済ませIFCの映画館で台湾の映画『盛夏光年』監督:陳正道を看る。昨年の東京国際映画祭でそれなりに評判(こちら)で期待していたが、台湾の花蓮の郊外を舞台に、幼なじみの少年二人が高校生の時に現われた転校生の少女が絡んだ三角関係という筋と演出は、映像学科の学生の卒業作品といった水準で、「やおい」の少し秀作、という域を残念ながら出ておらず。淡い恋の悩み、なんて予備校生になってしまうと、もはや醜悪ですら、ある。
▼来月、東京で開催される「東京マラソン」について。今年は香港からも、関西からも知人が何名も参加。例年に比べなんで今年はこんなに盛り上がっているのかしら……と思ったが、例年の「東京国際マラソン」とこの「東京マラソン」は別モノなんだそうで(それすら今日まで知らず=一応、アタシもフルマラソンのランナーなのだが……笑)1981年から開催の東京国際はマラソンで参加資格は2時間30分以内なのに対して(これぢゃ知り合いから参加がないのは当然か)、第1回目の東京マラソンは制限時間7時間。香港マラソンで昨年まで5時間、いちおうあたくしでも制限時間内に余裕で完走、今年は5時間30分の由。7時間なら誰でも参加できる。ここが大切。意図は何か……。で都庁から皇居、東京タワー、品川で引き返し、銀座から日本橋、浅草で折れて最後は晴海の東京ビッグサイト、とコースとしては「おいしい」が銀座など6時間に及ぶ交通規制。ここまでできるのも東京都=石原慎太郎東京オリンピックへ向けての肝煎りゆゑ(朝日新聞記事こちら)。
主催:財団法人日本陸上競技連盟、東京都
共催:フジテレビジョン(全国中継)、産経新聞社、読売新聞社日本テレビ放送網東京新聞
後援:文部科学省国土交通省特別区長会、財団法人日本体育協会、 財団法人日本オリンピック委員会、日経連、日本財団、他
主管:社団法人東京陸上競技協会
特別支援:笹川スポーツ財団
と、とても「カラーのはっきりした」組織(協力で「はとバス」というのは、まさにこの42.195kmがはとばすコースだが脱落者ははとバスでピックアップしてくれるのかしら)。ところで、佐藤卓己先生(京大助教授、メディア史、大衆文化論)が『考える人』06年で1964年の東京オリンピックでの新聞輿論とテレビ世論について興味深い事を書かれている。戦後の国民的祭典と印象づえられる東京五輪ではあるが、実は2年前(62年2月)に都政調査会が実施した世論調査東京五輪の具体的な開催「年」を正しく回答できたのは68%に止まり(つまり三人に一人は二年後と知らず)、東京開催を「大いに賛成」は38%、反対は10%で、「決まったことだから、賛成」34%、「反対だが決まったことだから仕方がない」11%の追従派が45%と多数を占めている。8ヶ月後の62年10月の総理府調査でも東京五輪開催をちょうど2年後の64年秋と特定できた人は全国で42%と半数に達せず東京五輪が「立派にやれる」23%に対して「心配」が47%と悲観論。池田内閣は「オリンピック精神の涵養」「国旗・国歌の尊重と日本人の品位の保持」など積極的なオリンピック盛り上げの国民運動を展開したるするのだが実際の開催まで世論は東京五輪にあまり盛り上がらないまま、であった、と言う。それが、あの、1964年10月10日の見事な秋晴れの開会式、そして女子バレーやマラソンの円谷選手らの活躍、である。これが全国津々浦々までテレビ中継されることで「生まれて初めてスポーツを見て涙を流した」(三島由紀夫)や「戦後になってはじめて、全くなんらの抵抗感なしに、全くのいい気持ちで日の丸があがるのを見た。ツブラヤ君、ありがとう」(山口瞳)といった感動、これが国民のもの、となる。東京五輪は「国民的ドラマ」となり、あの開会式を家族でテレビの前で見た、という「記憶」が国民の集団的回憶となるのである。実際、佐藤卓己氏も当時、自分の家には白黒テレビはあったものの4歳当時のその開会式の記憶はなぜかカラーである、と。つまりその後、何度もこの「国民的ドラマ」がテレビなどで放映され、その美しい青空のカラー画像が記憶に刷込まれている事実。2016年の東京オリンピック開催を目ざす石原慎太郎。06年2月に発表の東京オリンピック基本構想懇談会報告書
振り返れば、昭和39年10月10日、東京・神宮の社の上空には、抜けるような青空が広がっていた。あのとき、多くの日本人が体の芯がしびれるような感動を覚えたのは紛れもない事実である。しかし、40年後の現在、東京のみならず日本全体を覆っているのは、残念ながら閉塞感という名の曇天である。経済が多少上向いてきたとはいえ、日本は、目標を見失ったまま漂流を続ける不甲斐なさを、未だに拭い切れないでいる。
と嘆いてみせる。どうであろうか。昭和39年10月10日のあの開会式の、有無を言わさぬ感動的な<国民的記憶>として絶対視、そして現在、オリンピックが何にどう利用されようとしているのか。

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富柏村写真画像 http://www.flickr.com/photos/48431806@N00/