富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-01-19

陰暦十二月朔日。先週、肩の痛みで神経痛かと思えば肌着に血の混じる膿のような痕跡あり何かと思い鏡で見れば右肩の肩甲骨のあたりに腫瘍のようなものあり怪我や虫に喰われた記憶もなく常備薬オイラックス塗ったが経過芳しからず本日Hong Kong Doctorsで検索した皮膚科の専門医訪れ診断請うと関節の痛み細かく尋ねられ、結果、Herpes Zosterと診断され余は意味解せず漢字で書いてもらえば「帯状疱疹」だがまだ帯状にはなっておらず一ヶ所だけの水痘なので比較的軽いとA医師。広東語では俗語で帯状疱疹を「生蛇」と言う由。「疲労や極度のストレス」と言われ一瞬、たじろぐ。ニコンのF2のシャッターで用いるケーブルレリーズAR-2探して中環擺花街の興利カメラ店訪れると懇意の主人が「確かあった」と探してくれるが見つからず、ただしシャッターレリーズのAR-1と骨董品のようなアクセサリーの沢山入った箱の中からダブルシャッターレリーズのAR-4が出てきて、それにF3以降のシャッターで使える可愛らしいNikonの文字のシャッター鈕まで「全部あげるから持って行って」とご主人。「今でも使ってくれる人がいるだけで嬉しい」と。但しAR-4は正直言って生涯使わずに終わるおそれあり。何誰か欲しい方は居るまいか。その足でStanley街の鐘沛撮影器材行に寄る。香港でニコン関係のパーツで「ないものはない」ほどの品揃え。とくにデッドストック関係は好事家には垂涎か。AR-2はある?と尋ねると「あるよ」と当然の如くぴかぴかの新古品。香港大学の図書館。沈從文の『邊城』と『從文自傳』の二冊借出。FCCにて一人軽く晩飯。帯状疱疹といわれ服薬の折に酒のアルコール漬けもまずかろうと酒を注文せぬと懇意のバーテンダーが訝しげな表情。九龍に渡り葵芳。葵青戯院で北京人民芸術劇院の舞台劇で老舎の「茶館」観劇。北京の裕泰大茶館。一幕目は清末の光緒廿四年戊戌(1898年)の初秋早半天。幕が開くと見事な内装の茶館、従業員が忙しく働くなか多くの客が茶を喫し好き勝手に友と語らい、と当時の首都北京の賑わう茶館の光景が見事に再現された舞台に思わずため息。社会はすでに清末の情勢不安で維新運動の失敗など混乱。だが次から次へと茶館に入れ替わり立ち替わり出入りする客の息もつかせぬ北京方言の滑舌の見事さに当時の「まだ」好日を彷彿。二幕目は二十年後ということは民国7年。袁世凱逝去し帝国列強による中国割譲の頃。そして三幕目(終幕)は1946年くらいだろうか、抗日勝利の後、国民党の特務が北京にのさばる頃。茶館はすっかり寂れ店の主人らもすっかり老いて茶館も国民党系の悪徳商人に買収され……という有名な脚本。茶館の主人・王利發を演じる梁冠華らが好演。終幕で茶館に半世紀過した老客の一人・常四爺が語る。「わしらは国を愛した。だが国はわしらに夢を与えてくれたか」と。ちょうど今日の信報の文化欄にこの芝居の詳しい記事あり。老舎が1956年にこの「茶館」の脚本を起こし58年に焦菊穏の演出で初演。その後いくつかの改本があり上演繰り返されたが2005年に焦菊穏の聖誕百年記念して58年の焦菊穏による脚本を再び興した由。ネット上で「老舎」「茶館」と引くと北京前門西大街のすっかり観光ズレした老舎茶館。歌舞音曲の舞台眺めながら茶を啜ると、ほとんどキャバレーの如し。ネット予約まで受付とは。ちょうど今日読んだ『世界』の1月号に柄谷行人佐藤優の「国家・ナショナリズム帝国主義」と題した対談あり。「貨幣や国家というのはロクでもない、大変な暴力性を秘めたもの。予見しうる未来を完全に解消することはできないから、いかにして貨幣や国家の暴力性を抑えることができるのか」という佐藤優の冒頭の言葉を受け柄谷行人が「国家が存在するというのは、人間の関係が根本的に暴力を孕んでいるということです」と。この二人の言説が老舎の芝居見ながらいろいろ考えさせられる。晩遅く(酒を飲んでおらぬためかやたら目が冴えて)読んだFar Eastern Economic Review誌06年12月号でLeslie Hook "Christianity comes to China's Cities"という論文あり「中国では知識層を中心に89年の天安門事件以降の政治的状況厳しくなる中でChristianityが精神的な拠り所になる状況」について分析。キリスト教の説く人間の尊厳だの自由が将来の民主化実現のファクターになって、と。閉塞感なのか希望なのか。同誌07年1、2月合併号と『世界』2月号まで読了。酒を飲まぬのはいい事かも(だがつまらないが)。『世界』2月号は教育特集。この特集に先立つ浅野史郎(前宮城県知事)の連続対談で元文部省高官の寺脇研氏がゲスト。文部省への採用決まってから勉強のために反文部省的な岩波や朝日の書籍を片っ端から読んだという寺脇氏は入省二年目に教科書検定課に配属され(笑)検定訴訟で法廷に行くと向こう側に家永三郎や証人で遠山啓先生。その錚々たる学者の言葉に「一理あるな」と内心感じた、と。その寺脇氏曰く、学校は教育目標で「明るい子、楽しい子、たくましい子」とか書いてあっても、それが具体的に何なのかわからない。日本の教育現場の「文学」性、リアリズムの不在を指摘。御意。そこに政治権力が介入するから始末におえぬ。着々と進む教育の政治化。東京都の優秀な教員を育てるそうな「東京教員養成塾」だの首都大学に優先入学できる高校生対象の「東京未来塾」だの、都ばかりか区も杉並ではリトル石原の如き区長が「つくる会」の教科書強行採用したばかりか教員養成のため区独自の「師範塾」まで開設。松下政経塾だけでも「アホか」と思ったが教員養成から若者までヒトラーユーゲントだ、これぢゃ。まさに東京ファシス都。この師範塾の開設趣旨に
日本は今、新たな国家存亡の危機に直面しているといっても過言でありません。政治・経済・社会nあらゆる分野における行き詰まり感、人々の自信喪失、規範意識や公徳心の希薄化、犯罪の増加・低年齢化。我々は、過去において経験したことのない、未来への夢を描けない時代のただなかにあるのではないでしょうか。わが国は長い歴史を有し、この間、連綿と独自の光輝ある伝統精神文化を保有して、発展的は歩みを続けて来ました。しかし、今日のわが国は、世界有数の経済大国と称されながら、国力は全般的に衰微し、人心の荒廃は著しいものがあります。戦後の急速な経済復興で、我々は経済的豊かさを手にした反面、かつては貧しさの中にも備えていた精神的豊かさを失ってしまいました。
……と。恐怖。戦後も半世紀でわれわれの立派な伝統だと私は思うが、あたしゃ保守派か。こういった石原慎太郎や杉並区長の如き革新、維新、伝統破壊の革命家の方々の存在が本当に怖い。

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