富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-01-06

一月六日(土)さすがに宿酔少々。午後、九龍に薮用済ませ昏時、九龍湾牛頭角下邨漫ろ歩く。すでに上邨(第1〜7座)取り壊され、下邨(第9〜14座)が今では珍しくなった旧式の公共団地。第9座のあたり雑多ながら美味いもの供す食堂多し。夕暮れにまだ晩の店開ける支度ばかりのなか賑わう金園麺家なる肆に雲呑麺食す。寒気香港を襲う。ミニバスで旺角。花園街の浩記甜品に芝麻湯丸食す。甘い生薑湯に暖をとる。地下鉄で葵芳。葵青戯院。北京京劇院三劇団の一、梅蘭芳京劇團の芝居見る。梅蘭芳の子、梅葆玖が座長務める「梅派」の伝統守る一座。昨日からの三日連続公演で昨晩の梅葆玖による貴妃酔酒見逃したのは残念だが今晩は「白猿獻壽」と梅葆玖が趙艶容を演じる「宇宙鋒」。前者は白猿が病身の母に長寿の桃を授けようと伝説の桃園に向うが途中行く手を火神に阻まれ、の剣術、軽業もの。後者の「宇宙鋒」は(筋書きによれば)秦の始皇帝襲った世継ぎの王は酒と女にばかりに現を抜かし治世は首相の趙高らが好き放題。趙高には趙艶容という寡婦となった美貌の娘あり。王は艶容に一目惚れ、ぜひ妃に、と願ったが、王に輿入れなど願わぬ艶容は気が触れた振りで父と王の前で苦言呈す振るまいで鬱憤晴らす、と。初めての芝居で筋書き読み、それだけでどうやって二時間以上の芝居になるのか、と疑ったが、幕が開いてどうも話の辻褄が合わぬ、と思ったら、筋書きの粗筋はほんと芝居の後半部分。実は趙高の娘、趙艶容は父と同じ秦王の側近の一人・匡洪の子息の許に嫁ぎ、相思相愛の夫と仲良く暮す日々。宮廷では匡洪は同じ側近の趙高らの傍若無人ぶりに憂国の念から趙高らと袂を分かち王に苦言を呈す。趙高らはそれを疎み、趙高は或る策略思い立ち、匡家の宝刀・宇宙鋒を家臣に匡家より盗ませる。夜中に家宝が盗まれたのを見つけた夫と趙艶容の二人。宮廷には何も知らぬ匡洪が詰めるが王が何者かに命狙われ謀反の輩の刀は匡家の宝刀・宇宙鋒。匡洪は家宝の刀が目の前に差し出されては「何も弁明にできぬ」と牢に入れられ、匡家には王の軍隊が詮索に。家臣となりかわった夫はお家の存続のために、と裏門から逃げ、家臣が殿の身代わりで命を落とす。趙艶容は夫が命おとすのに泣き崩れてみせ、まんまと夫を逃がす。で寡婦となり父・趙高の邸に戻った趙艶容、生き別れの夫を偲ぶ日々、父をも憎み……と、ここで筋書きのあらすじに話が戻る。芝居の物語もなかなかいいが、何よりも趙艶容の美貌と歌劇としての歌の上手さがこの芝居の華。梅派ならでは、の歌劇。夫の仲睦ましい日々、夫と別れた悲しみ、父と王への悪態、と、その喜怒哀楽を歌いこなす妙。この趙艶容を演じるのが(夫との幸せな日々の場面演じる)のが梅葆玖、それ以外の全ての場面を梅葆玖の弟子、胡文閣が演じる。さすがに字七旬と三の梅葆玖が通しで演じるには大変な芝居であるし、愛弟子の、梅派でも唯一の(というか北京であとどれだけいるのか)女形である文閣に舞台を経験させたい、という座長の肝入れもあろう。実際、器量では今ひとつだが歌唱は絶品の胡文閣に、客も梅葆玖への讃美に勝るとも劣らぬ「好!、好!」と掛け声、拍手喝采。芝居跳ね役者らとすでに平服に着替えた梅葆玖がカーテンコールに現われる。客のほとんどが立ちあがり梅派一座に大拍手。芝居はこうでないと。梅葆玖は昨日の信報の文化欄で大きく取り上げられる。梅葆玖が広東語に流暢なのは戦時中、日本による対華侵略の際に父親に従い香港に二年疎開したためで当時、十歳余の葆玖、広東語を今でも覚えている、という。京劇で女形が大切なのは、まず体力であり自らも七十過ぎてもまだ演じるに能うが女優の場合、五、六十になると老けて美貌にも翳りあり体力も限界で美貌の役柄演じるには能わず、と。元来が男であるから女を演じるのに目つき、手の指先から歩き方まで仔細全て師匠に教えられるままに学び、本人も女を演じるために女を意識するから、女優が演じるより女形は更に美しくなる、と梅葆玖。1961年に結婚したが文革で14年間、舞台に立てず歌うこともできず、父・梅蘭芳であるとか程硯秋らが文革の前に病故したことは、もし生きていれば梅葆玖以上に厳しい自己批判などさせられたであろうから、早逝は幸い、と語る。四台名目の一人・梅蘭芳の息子として梅葆玖は昨年末、四大須生の一人と称された譚富英の聖誕百年記念で譚富英の子、譚元壽(78歳)と「打漁殺家」の一段を歌い喝采を浴びた由。譚家が元壽が五代目なら御曹司、孫の譚正岩まで七代になったのに比べ、梅派は梅葆玖の孫の梅?が北京大学中文系で学んだあと中央戯曲学院で演劇理論を学び幾段かは京劇も出来はするものの梅葆玖曰く「もう太っちまって、楊貴妃ぐらいですね、演じられるのは」と。で梅派の今後は梅葆玖の二十数名の門弟ら、にかかるが女形は胡文閣その人、一人で、この人が今晩の趙艶容を師匠と二人一役で演じた女形(……と話がここまで長いが、そういう経緯)。梅葆玖が亡き父との思い出を語るところによると、梅蘭芳は戦前、中国にあって西洋など海外の芸術の吸収に余念なく当時、オスカー受賞の映画、ソプラノの合唱公演も女形として女声を学ぶためずいぶんと連れて行かれた、と回顧。梅葆玖の芸談は面白さ尽きず、昨年末も北京中南海の懐仁堂で政府要人らの新年京劇晩會の催しあり、梅葆玖は胡錦濤江沢民呉邦国温家宝賈慶林らを前に「貴妃酔酒」を踊った由。共産党幹部もまさに北京の宮廷人ぶり、梅葆玖語るに「毛沢東は劇本手にして見るほどの熱心で、胡錦濤も泰州(江蘇省)の中学んだ頃はテノールだった」そうな。一流の役者の芸談さすが面白い。

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