富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2007-01-02

一月二日(火)年末よりどうにか応急復旧していたネットの接続はまた悪くなる。サイトなど更新はできるが閲覧に困難。聖誕説から年末年始の休暇明けで企業など本格的に動きだしたことで臨時架設のケーブルの負荷でもかかったか。Z嬢と深?に行こうか、という話となる。深?東莞に最近も何度か足を運んでいるが深?市街となると確かSARSのあとは一切行っておらず2003年の今ぐらいが最後だと思うと4年ぶりか。地下鉄も知らない。昼すぎ深?に入る。深?駅前も地下コンコースなどすっかり整備され而も設計がポストモダン。香港のオクトパスと同じ「深?通」なる儲値票(100元、内保証金40元)購い地下鉄で科学館(Kexueguan)站。站から深南中路の大通りに出ると「荷風餐庁」という食肆あり。南園路歩き老北方餃子館に食す。羊肉の餃子は格別。華強路の地下鉄站でZ嬢と別れ独り歩き。地下鉄の二号線?は香港との境界の皇崗までが開通しておらずまだ4站だけの部分開通で単線運行(15分に1本)。会議中心でこれに乗り換え少年宮。蓮花山への上り口にある關山月美術館に嶺南派の書家、關山月(関山月、?山月)の書画を観る。關山月(1921〜2000)の多くの作品が深?あるのは關山月が広東省陽江県の人で、若い頃にはマカオや香港でも個展開き、關山月自らが生前、深?市政府に所蔵の作品の多くを寄贈。この美術館も山水画などの観賞をきちんと考えた設計で見事。關山月は文革で1964年に彼の作品で梅の枝が下を向いていることが「社会主義が倒?(倒梅)するよう攻撃を加えた」として思想改造のための幹部学校に下放され描画許されず。1971年に広州で日中文化交流協会の一員として訪中していた宮川寅雄と会った頃から文革後初めて描画活動を始めた由。偶然、同博物館でHolger Matthiesのポスター展も開催されており観賞。第5回深?国際水墨画ビエンナーレも現代的な水墨画数多し。同美術館を出て深?書城に向う。深?の市政府と市人大のある、70年の大阪万博パビリオンのような深?市民中心の北側に深?市少年宮、深?書城、深?音楽庁や市図書館など点在する文化地帯。その北には蓮花山公園があり標高100mほどの小高い丘の上に?小平の銅像があり、ちょうど深?市政府の真北にあり?小平の肝煎りで出来た深?市を?小平が守護神のように見守る。本来であれば、そこに市政府と並び市党委や市政協があることで権力の威厳強調されたものが(市党委はあえて茘枝公園傍に控え)この広大な敷地の市中心区は、市民広場を中心に配置。南は巨大な深?国際会展中心までの区画に超高層のオフィスビルが建ち並び、市民広場の北に、前述の、パビリオン的に祝祭の意匠である市政府、その北に文化ゾーンとなり、?小平が鎮守する「仕掛け」。このまるで陽明学のような都市構造のなかで深?書城の位置が最も興味深い。市政府と?小平像のちょうど間に「巨大とはいえたかだか本屋」。図書館がアレクサンドリアの都市にとって重要な位置を占めたように、思想と知識が党政府により統制される国おいては「知の宝庫」の位置付けは重要。深?書城は巨大な見本市会場のような低層の建物が整備された緑地帯の中にあり星巴珈琲だの仏蘭西からの職人がパンを焼くケーキ屋だのが「洗練された」空間を演出。「柔らかい管理」。中に入ると、本、本、本。中国の書籍というと政府の出版検閲をパスした内容の、硬くて面白みのないものが粗い紙に印刷され安っぽい装丁で……というのは昔の話。驚くほど装丁は美しくなり印刷技術も当然かなり高度で、但し価格も(香港や台湾に比べればまだまだ安いが)中国の物価で考えるとそれなりに高い。実際に広くて何処から手をつけていいのか迷う。偶然に深?に向うKCRの車中で読んだ信報でWilliam?達智君が『郷居?情』という書籍を紹介。魯迅、茅盾、巴金など作家が故郷について書いた随筆などを集めたもの。これを読みたいと思ったが何処から探せばいいか。店内には書籍検索用の電脳がずいぶんとあり書名のうち「郷居」と入力するとちゃんとこの本が3冊在庫あり、と表示され(正確には「郷居閑情」という書名であった)、だだっ広い店内だが「位置」を観ると店内地図が表示され「ここ」と判るから凄い。但し、その中国現代文学のエリアも広すぎて、結局、そこにいたスタッフに尋ねたのだが。その娘に「郷居閑情」と書いたメモを見せると「郷」の字は「幺」か?と確認され、ここまで繁体字はもはや読めぬのか、と驚く。すぐに書のある場所教えられ京華出版社の楊耀文という人の選で『郷居閑情』の他に『那晩在酒中』『我的書?生活』『五味』『一日仏門』『独語』と五冊の、故郷、酒、書籍、食、哲学、独り言というジャンルで一流の作家の名文を集めた随筆集のシリーズであった。日本では作品社が「日本の名随筆」という確か百冊に及ぶいいシリーズ刊行しているが、それと同じ。一冊22元。どうせならまとめて、と。賈平凹の著作は置かれていないかしら、と思ったが随筆集『説舎得 中国人的文化與生活』、それに賈平凹の語録と書画を集めた『賈平凹語画』山東友誼出版社、それにインタビュー集の『我的人生観』雲南人民出版社などあり、この三冊も。中国で当局から「どこまで睨まれているのか」不明。郭沫若散文選集(百花文藝出版社)も。計十冊で229元は日本でなら下手すると厚手の新刊書一冊の価格。環境保護で包装は書籍をまとめて紙の帯で巻くのみ。紙袋は有料。書籍の大漁は嬉しいが、これで余り歩けなくなり、Z嬢と待ち合せの時間もあり音楽CD(書城なので当然、悪名高き海賊版に非ず)など見られぬまま華強路の地下鉄站でZ嬢と合流。地下鉄で羅湖へ。Z嬢とまた別れて何もすることなくシャングリラホテルのバーで一飲。バーで玉突きに興じる仏蘭西人、もう一人欧州人、中国人の三人組。そこにHappy New Year!と70年代風ダンディな英国人が登場。カウンターに坐ると黙って白ワインのソーダ割りが供されカウンターに置いたこの人の鞄と上着バーテンダーがカウンターの中にさっとしまう。で煙草を二服。「香港じゃどこもかしこも禁煙で地獄だ」と氏。中国人の遊び人が「二手煙(間接喫煙)があるのだから仕方がない」と答えると、英国人は「ぼくも二手煙はいやだ。新鮮な煙に限る」と美味そうに煙草を吸う。で、すっと玉突きに加わる。バーのお手本のような世界。英エコノミスト(12月23日号)とFar Eastern Economic Reviewの10月号!読む。Z嬢来て小雨のなか食肆多い向西村(村と言うが繁華街)まで歩く。ほんとうに街中がきれいになった、と驚く。綺麗なだけでなく確実に洗練されている。向西路の珍しく四川料理巴蜀人家に食す。坦々麺というのは本当に店によって全く違う、麺、味つけ、料理法で出てくるから興味深い。この店の辣油のなかに麺の浮かぶ(翌朝の下痢必至)坦々麺も秀逸。路線バス(これもとてもきれい)で深?站。羅湖の境界越え香港に戻る。帰途、月刊信報1月号読む。香港電台の高職にある張圭陽という人の香港電台(RTHK)公営化問題に関する記述かなり面白い。97年の香港返還前に英国政府が返還後の中国政府の公共放送への介入警戒し香港電台の民営化企図し中国政府の介入で民営化断念。現状では香港電台の「反政府的な言論」が親中派土共らに攻撃され「不偏不党のために」公営化など検討される。
▼Far Eastern Economic Reviewの10月号、特集は「シンガポールの挑戦」。同誌は前号でシンガポールの非民主的政治状況を取り上げたことでFEER社はシンガポール政府より告訴され罰金刑(笑)。同誌は更に10月号で意欲的にシンガポールを取上げた次第。シンガポールの読者が読者欄に、前号でFEER誌ともあろうものがシンガポールを意図的に偏見でもって非難した、と抗議。「過去40年にわたり自由で公平な選挙が実施されてきた」としてシンガポールが自由で、汚職など社会悪を排除した理想的な社会建設に向けて努力しており、シンガポールの反体制政治家Chee Soon Juanに対して何ら建設的な政策もなく海外でシンガポールを非民主的と吹聴してまわるばかり、と非難。これに対して同誌編集部はChee Soon Juanの反応を掲載。Chee氏曰く、これまで上梓した5冊の著作のうち2冊は明らかに自らの党のマニフェストであるのだがシンガポールのマスコミが正面からそれを取上げぬので投書主はたぶん知らないのだろう、として、「海外での吹聴」も05年9月が最後の海外でのシンポジウム出席で、それまで海外でそういった会議出席も毎回数日で年の9割はシンガポールに居たし、06年4月には政府から旅券剥奪され海外渡航も制限された状態、と述べる。Garry Rodanによる“Singapore's Founding - Myths vs. Freedom”では、06年9月のIMF世界銀行の会議をシンガポールで開催するにあたりシンガポール政府はUS$85m拠出し国際金融都市としてのイメージアップに努める反面、この会議に集まったNGOなどの渡航制限(彼らはシンガポールに隣接するインドネシアのBatam島で集会)。IMFですらシ政府のこの過剰対応に苦言呈すほど。国内全域でのネットのWi-hiでの無料接続についても同国のSenior Minister of Stateの“In a fee-for-all Internet environment, where there are no rules, political debate,could easily degenerate into an unhealthy, unreliable and dangerous discourse, flush with rumors and distortions to mislead and confuse the public”という言葉引用し同国政府のネット通した思想管理の実態を指摘。Michael D. Barrは“The Charade of Meritocracy”でシンガポールのエリート養成と政府奨学金、そのエリートの登用と政府系企業の構図、さらに民族平等といいつつ華人によるシンガポール統治の現実について論及。人口比では23%が非-華人であるが、政府奨学金は1966年の建国から80年までは奨学生の8%が非-華人であったものが80年以降は3.8%まで減る。この1980年頃に政府は儒教教育の重要性や中国語教育の充実を提唱。華人が大多数を占める奨学生は1994年に政府閣僚の14名のうち8名だったものが2005年の組閣では19名のうち12名。この華人エリートによる社会運営が建国の父・李光耀頂点とするものは誰もが想像に易いが、この歪つな「神話」がどこまで維持されるのだろうか、と。Hugo Restallは“Financial Center Pipedreams”で国際金融都市というシンガポール金融について。Morgan Stanley Asiaのエコノミスト某氏が突然の辞任。辞任の理由は明らかにされていないが、この人が電子メールで「シンガポール金融の成功の要因の一つにインドネシアの政府高官や実業家の贈収賄による闇金の「洗浄」がシンガポールの金融界でなされていたことがあるが、インドネシア経済の破綻でこの仕事がなくなり、次にシンガポールにとっての金の卵が中国で、中国の闇金吸収のために(あれだけモラル社会であるはずが)カジノ実現が必要」と述べていたことが発覚。この否定的発言が彼の辞任に影響及ぼした由。中国の汚れた金もかつては香港、マカオで洗浄されたが香港とマカオが中国「国内」となったことで中国政府の力の及ばぬ金融市場としてシンガポールが着目されているようだが、筆者は金融市場にとって最も大切なのは自由な言論と情報の自由な往来であり、それの制限されたシンガポールの不透明さに疑問呈す。……とまぁこれだけシンガポールの「悪口」書けば同誌が告訴されシンガポール国内での同誌販売に制限加えられるのも必至か。
▼同誌10月号に前述のHugo Restall氏(同誌記者)が山西省の葡萄酒製造Grace Vineyardについて長文の紹介。中国の葡萄酒といえば長城(Great Wall)や王朝(Dynasty)でお世辞にも飲める代物でなかったが、山西省という葡萄成育に見事に条件の整った土地でGrace Vineyardの葡萄酒が1997年に農場を開き01年に初出荷。周囲に葡萄農園がないことでワイナリーにとって最も怖い、葡萄間の疫禍が防げる、と。御意。とくに02年のMerlotとChbernet Francが絶品、と。年間4百万瓶出荷できる農園で現在まだ50万本の生産。まだまだ今後が期待できる由。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/