富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-12-26

十二月廿六日。聖誕節翌日(Boxing Day)休日。毎年恒例でピークのキャメロン山の中腹を回る4kmのBoxing Day Runあり参加。仮装のランナー多きFun Runで気軽に4kmジョギングしてお終い。応援に来たZ嬢とStubbs Rdを下りピーク中腹の大陸からの観光客が朝夕多い見晴し台に寄る。もっと景観期待したが「大したことない」眺め。チープな香港土産売る屋台が数軒。昼前に銅鑼湾に下りCitysuperの元八らーめんに食す。香港の日系フランチャイズらーめん屋の中ではここが美味。帰宅して年末の大掃除。普段からかなり几帳面に片づけているつもりではあるが荷物がたまる。所帯じみた生活臭さのない環境が理想的。早晩にランニングクラブ会長のK氏とN君夫妻来宅。酒をかなりご持参あり。冒頭からペニンスラホテルのオリジナルとMoet & Chandonの三鞭酒二本空けてZ嬢の酒肴を合わせにごり酒五合瓶、でニッカの「鶴」とかなり飲む。
▼昨晩の朝日で加藤周一先生が夕陽妄語の連載でバルバラ=吉田=クラフト女史(1927〜2003)について書いていることを久が原のT君がメールで教えてくれる。香港の衛星版だと今日の掲載なので楽しみに待つ。確かに加藤周一バルバラさんが吉田秀和先生の夫人であることを一切言わない。わかる人だけがわかればいい。ただ今年、バルバラさんの『日本文学の光と影』の日本語訳が出版され、その編・訳で吉田秀和という名前の紹介だけあり。しかし、なぜ加藤周一バルバラさんによる往年の日本文学のドイツ語訳の作業を書いたかといえば、周一先生から、同じ朝日で(バルバラ夫人逝去から中断していた)音楽展望の連載を再開した秀和先生への密かなエールかしら。なんてこった。羨ましいこの世界。バルバラさんによる独逸語訳の話は川端から?外漁史、?外の渋江抽斎など史伝に目を当てた夷斎先生、そして荷風散人へと話が進む(バルバラさんには『?東綺譚』と団長亭日剰(1937年部分の抄訳)あり)。加藤周一が文学作品を語る時は怏々にして政治への隠喩であったりするもの。1937年に中国侵略戦争への反対意見を公式に発表はできずとも、散人がせめて権力に媚びる態度だけはとらなかったこと、を周一先生は指摘(乎、なんて「羊の歌」と思うのだけど)。T君は「而して文学世界が現実世界と対蹠的な精神の自由の牙城となるべき時代の不安」とメールを結んでいたが、まさに。加藤周一先生が一つだけ、と断って引用の、バルバラさんの記述。
荷風の耽美主義は、一貫してまずその文章スタイルに表れている。……他の人の作品ではほとんどの場合、中国風の言い回しが、日本語の文章の中にぎこちない形で残っている。これに反し、荷風の筆にかかると、日本語が、中国風の表現を通じて一種独特の深味を明るさを与えられ、まるで、文章に宝石が鏤められているかのようになってくる。

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