富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月廿一日(木)安倍内閣メールマガジンで(当然、依然としてタウンミーティングの「やらせ」については一言の詫びもなし)安倍三世曰く「19日、総理大臣となって初めて臨んだ国会は、85日の会期を閉じました。教育基本法防衛庁を省へ移行する法律、地方分権改革推進法など多くの重要法案が成立しました。真摯な審議をしていただいた両院のみなさま、そして、何よりも、ご理解とご支持をくださった国民のみなさまに感謝いたします」。政治家としての経験も浅い安倍三世が時流に乗って首相となり初めて臨んだ国会で教育基本法改定や防衛「省」格上げ、地方分権改革推進など戦後の根幹大きく関わる物事がことも簡単に変えられてしまうこと。亀田兄弟のデビューからの祝勝とはワケが違うと思うのだが。
戦後教育は、教育水準を向上させましたが、自律の精神や公共の精神、自分が生まれ育った地域や伝統に対する愛情、といった日本本来の価値観を置き去りにしたように思えてなりません。まずは、こうした価値観を、私たち大人が、子供たちに語り、教えていかなければなりません。
なんて言葉に誰が「そうですね」と賛同できようか。自律の精神や公共の精神、自分が生まれ育った地域や伝統に対する愛情、なんてものを「日本本来の価値観」なんてよくも言えたもの。本来、憲法の謳う人類普遍の原理みたいな美徳もすべて「日本人ならでは」などと言い換えも可なのかしら。これが陳腐なるナショナリズムの怖さ。
青島幸男氏逝去。享年74歳。「シャボン玉ホリデー」も「意地悪ばあさん」もはたして「どこが面白いのか」と幼いながら余にはわからず。小学校の児童会選挙で一生懸命選挙運動していて彼の参議院選挙での「選挙運動なし」には「別に選挙運動していることが悪いわけじゃない」と思う。選挙ポスターの写真がとても冷徹な印象あり「意地悪ばあさん、でいいのにね、ポスターも」と級友と話した記憶あり。そのころ彼の翻訳したという『ニワトリのジョナサン』(当時ベストセラーの『かもめのジョナサン』のパロディ)もどこが面白いのかさっぱりわからず。わからないまま、の青島だったが都知事の当選も、今にして思えばコイズミ郵政選挙と同じで都市博中止だけが争点の甘さ。結局、この人の失態が石原慎太郎都知事に誘導したようなもの。国政における細川護熈も同じようなマイナスの役割であったが。首相佐藤栄作君を「財界の男妾」と呼び喝采を得たが佐藤栄作がたんに「財界の男妾」だったかと言えば、政界での功績は青島君とは比べものにならず。68年の参議院選挙(当時の全国区)で青島君が二位当選の時のトップ当選であった石原慎太郎君が青島君逝去にあたり「95年の都知事選で僕は青島君に一票入れたんだ。もうちょっと何か奇想天外なことをしてくれると思ったんだがなぁ」と逸話を語る。御意。この青島、石原と本来は全く政治的姿勢が異なるはずの二人に投票するのが「無党派」の節操なきところ。都庁職員は青島君の都政が「都市博中止」以外に何も公約も具体的政策もないことに慌て「羽田空港国際化」や「都心の活性化」を準備したが青島都知事は何ら異論も唱えず、で都知事が石原君となると今度は提言実行に意欲的な都知事に「羽田空港国際化」や「都心の活性化」など職員があたふたと忙殺される、とは皮肉。井上ひさし氏は青島氏の弔報に青島君を「一言でいえば永遠の若旦那」と呼び
日本が経済成長に差し掛かる時代に「無責任」という言葉で日本人の本質をずばり見抜き(略)町内の人々に届く声で表現したのは、時代の先取りだった。我が身がかわいい、大事なことに責任を取らないということは、いまの日本にも通じる問題です。その本質をだれよりも早く発見した。その功績は見事なものだと思います。
と故人に温かい言葉。だが、我が身がかわいい、大事なことに責任を取らない、の無責任を実はもっとも体現した人こそ青島幸男本人であったのは悲しくも事実。
岸田今日子さん逝去。享年76歳。幼き頃に日曜日午後だったかテレビで地味な映画番組あり勅使河原宏監督の「砂の女」で岸田今日子の演技というか存在に強烈な印象受け、母に「ムーミンの声はこの人よ」と言われ更に強烈な衝撃受ける。友だちと「ムーミンごっこ」をする時にいつも決まってスナフキンさん役を選んだアタシは岸田今日子を「この人なら「ムーミン」に、この人のキャラでそのまま出て来てもちっともおかしくない」と確信したもの。日本をずいぶん昔に離れた余にとってはとんねるずの番組で保毛尾田保毛男の母親役が岸田今日子の最後の面影になってしまった。合掌。

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