富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-11-08

十一月八日(水)早晩にジム。トレッドミルで三十分だけ走る。せめてもの過重と傾斜3%だけつける。帰宅してウオツカのレモン割1:1。晩のニュースはWHOの事務総長に陳馮富珍女史当選、米国中間選挙での民主党の圧勝など伝える。
▼WHOの事務総長に中国政府推薦する香港政府元衛生署長のマーガレット陳馮富珍女史選ばれる。日本の尾身茂氏もかなり有力視されたが中国の「国連専門組織代表に初の中国人を!」の外交の勝利。米国が最終的に中国支持に回ったのと、欧州には98年に同職辞した中島宏氏に対した不快感がまだあり尾身氏はその煽りを被った、と蘋果日報の記事。いずれにせよ陳馮富珍といえばあのSARSの際の衛生署署長で疫禍の担当責任者。新型の疫病とはいえ香港政府の対応の悪さで死者の数が増えたのも陳馮富珍署長、董建華行政長官等による「人災」という定説あり。SARSの疫禍の後、立法会での答弁で陳署長は「中国国内の疫禍状況の把握が重要だったが当時、この流行は北京中央が国家機密の扱いとしたため情報収集が困難だった」などと発言。香港政府のSARS対応について政府自らが独立(笑)調査委員会を組織して責任問題の調査続けたが、その調査最中に陳馮富珍はすでにWHO幹部採用となりSARS調査結果も待たぬままジュネーブにてWHOに従事。でわずか3年で着実に出世して今回の代表就任とは余りに見事な世渡りぶり。SARS被害者遺族や集団感染のあった集合住宅の住人らから陳馮富珍にWHO代表務めるだけの資格と資質あるのか?と疑問の声。だが結局のところ中国の「国連専門機関に中国人を」の外交の意地、そして実は欧米を中心に「中国にWHOの代表職譲る」ことで何かと疫禍の災いの元凶で、かつ情報公開など遅れる中国に、「WHO代表国として」の体質の改善求める戦略ありゃせぬか、と察す。
ニカラグアの大統領選挙でサンディニスタ民族解放戦線FSLN)のオルテガさん(元大統領)が当選。大統領に復帰。サンディニスタ民族解放戦線オルテガ、というと80年代の朝日ジャーナルっぽいがオルテガ氏がまだ60歳だったと今になって驚く。
▼東京の地図眺めていて「へぇ」と気づいたのだが上野から有楽町は山手線で近い感覚なのに対して同じ上野から北千住は「遠い」と思う。が実際には上野からの距離は一緒。北千住はもっと正当に評価されるべきでしょう。どうしてもイトーヨーカドーとオバケ煙突みたいな印象から脱し得ない。食べ物だって日本食堂のレストランしかなかったのは昔の話。美食。常磐東武、日比谷、千代田、つくばの各線が交差して半蔵門線東武が乗り入れだってねぇ。
▼雑誌TIMEがアジア版発行60周年記念して亜州英雄56名選ぶ。日本からは黒澤明宮崎駿丹下健三王貞治など選ばれているが香港から70年代の香港総督Murray MacLehose卿が選ばれているのが見事。英国人であるがこの人が香港の社会改革、民生向上に果たした役割の大きさ。

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