富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-08-07

八月七日(月)一昨夕、散髪の時にいくつもの店が閉めた商店街(跡地)に「ロックコンサート」と立て看板あり、サウナには「ロックコンサート開催中は女性のお客様の宿泊可」とあり、田舎のコンサートで何をまた騒いで……と思っておれば本日、テレビのバラエティ番組で「日本の夏といえばこれ!」と紹介されたこちら。十数万人だとか。本日。朝のうちに、と思ったがすでに肌を熬る暑さのなか真言宗豊山派神崎寺に掃墓。先考の墓参。朝九時すぎ映画館が開くまで商店街で珈琲でも飲もうか、と思ったが、余が十代の頃には朝、学校をサボり図書館や本屋が開くのを待った、石を投げればの程に数あまたの珈琲店も全く消え失せる。辛うじて一軒「営業中」の珈琲店「ユニバース」見つけ入る。客もいない店内で帳簿つけていた店主が「熱いの、冷たいの?」と。「熱いの」と頼む。芳香ゆたかな、昔風に濃厚なネルドリップの珈琲。月刊『すばる』七月号の、吉田秀和氏の新連載、大江健三郎君のサイードについての文章を読む。珈琲飲み終わり、店を出よう、とすると「あれ、もういいの?」と、まるで常連の扱い。この店は数十年前のままなのか、果たしてこの主人が此処にいた人かどうかの記憶もなし。商店街の映画館にて『さらば愛しき大地』(1982年、柳町光男監督)を見る。この映画館で柳町光男特集あり、一ヶ月の特集の最後が新作『カミュなんて知らない』なのは柳町監督が地元出身ゆゑ。柳町監督「いばらき大使」に就任だって(ださっ……笑)。ふと思い出せば郷里で高校生の時に『十九歳の地図』を見た映画館も今は閉館。で『さらば愛しき大地』は鹿島の臨海工業地帯舞台に地元の百姓家の長男(根津甚八)とそのレコが秋吉久美子。ワキを固める役者が見事。スジは知っている作品だが改めて見ると、やはり根津甚八の最高傑作。柳町光男も『十九歳の地図』から、これ、そして『火祭り』の三作が一番。鹿島灘の浜にざっくりと食い込んだ人工港をば建造し石油化学や製鉄などの工場誘致するという「開発」計画は、私自身が生まれた年に起工し小学生のころ稼働し始めた住友だったかの製鉄所見学に遠足。根津甚八秋吉久美子の籍も入れられぬ二人が子連れでゆく遊園地もレイクサイドという廃業して二十五年くらいになろうか、我が子どもの頃の遊び場の懐かしい映像。根津甚八演じる主人公がグレたことと、鹿島の開発に直接の関係は「ない」。だが農家だけでは食っていけなくなった社会構造には工業化は要因であり鹿島コンビナートはその象徴なのだろう。映画館を出ると真っ青な空にギラギラと太陽。異常な暑さ。帰宅して午後遅くまで暑さからの避難モード。午後遅く母の届け物などにつき合い地元で最近、移転新装オープンの老舗百貨店訪れる。丸善やLoftが入り丸善は確かに丸善の便箋だのペリカン万年筆のカートリッジ買ったりするには便利。ついエッシェンバッハの単眼鏡を衝動買い。ペリカンの万年筆は普及版のペリカーノ万年筆のジュニア(子供用)が恐ろしく書き味よく適当にそのへんに放っておいたり、ちょっとした外出で無くしても平気。但し香港ではこのペリカーノどころかペリカン万年筆のインクカートリッジすら入手不可。そういう時代。エッシェンバッハの単眼鏡は偶然に今日、その丸善の本屋で立ち読みで赤瀬川原平の老人とカメラみたいな随筆があり、そのなかで赤瀬川先生の持ち物のカメラ、アーミーナイフ、スクラップブックといったアイテムの中で紹介されていて、かつ私自身が普段持って歩いていないアイテムがこの単眼鏡で、そういえば双眼鏡はライカのお気に入りの小型があるが単眼鏡はないわなぁ、と思っていて二十歩歩いたら、このエッシェンバッハが展示してあった次第。こういう運命的出会いは衝動買いも赦されよう。男性洋品のフロアに下りてくると、Henry Cotton'sの出店あり。銀座松屋のHenry Cotton'sでいつもシャツの一枚くらい購い香港に戻るのだが、まさか地元にあろうとは……。Henry Cotton'sは店員がどこでもイタリア製、イタリア製と強調するが(株)レナウンなのに……。銀座で、と思っていたが地元で麻のジャケットとシャツ一枚購う。母と近くの珈琲店で待ち合せ。思えば余の珈琲好きは小学生の頃に母にいつも珈琲屋に連れて行かれ維納風珈琲から始まる。小学生のうちに珈琲を「齋」で(砂糖、ミルク抜き)で飲んでいたのだから、かなりカフェイン中毒。帰宅途中に母が、ハンドバックの皮が傷んだ、というので郊外のショッピングセンターでミンクオイル購入してから帰宅。商店街は壊滅状態で、郊外は数キロおきに巨大な何でもあり、のショッピングセンター点在。不思議な光景。晩に、四半世紀も住んでおらぬ実家で諸事片づけ。夕食に日本酒飲む。笠間稲荷の門前の笹目宗兵衛商店という造り酒屋で購った「松緑」という日本酒。四代目(当代)尾上松緑の襲名披露で記念品とされたそうで、それを売り出し文句にしているが、実際にはもともとあった「松緑(まつみどり)」という酒で、それが「しょうろく」と読めるので四代目に使われた由。先代の辰之助が生きていれば、今ごろ三代目松緑としてどんな舞台を見せてくれていたことか、と思う。晩遅くスーパー銭湯に浴す。
▼長野県の田中康夫知事落選につき勝谷誠彦氏がブログに
別に悲嘆も失望もしない。どうぞ中世の闇に戻って下さいという感じだ。財政再建や職員の意識改革などせっかく田中さんが手がけた改革の成果が出てきたのに県民は投げ出してしまった。田中さんの手法や言動に批判はあるが改革とマイナスイメージとどちらが大事か分かっていないのではないか。過去2回の知事選で信州人は自ら前へ進もうと行動したが今回は座ったまま動かなかった。そのことが低投票率になって表れている。
と書いているが、自分がもし長野県民であったなら、田中康夫の発想には共鳴するが手腕には疑問符あり、かといって対立候補の「元の木阿弥」など応援もできず、結局、棄権しているかも。田中康夫という人は東京ペリグリ日記のノリでフリーの立場で言いたいことを言っていればいいキャラ。あの人が組織のトップとなると「なんでこんなことができなないで、そんなことに時間かけるの?」で本来、味方にできる人まで敵にしてしまう。下手するとドクトル=ジバコ的な権威になってしまう恐れあり。政治嗜好があるなら、どちらかといえば、参議院議員ならいいかしら。

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