富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-07-12

七月十二日(水)昏時Z嬢と北角の街市。豆腐屋「隆興徳」で豆腐と肉饅贖う。看板は「隆興徳」だがこれは右から読んで「徳興隆」のほうが自然なのだろう。ミニバス待つ間にビール一缶立ち飲み。清涼感あり。帰宅してドライマティーニ一杯。麻婆茄子、豚肉の冷菜など食す。最近のパターンは疲労感たまり夕食後にソファで仮寝ばかり。起きてNHKのNW9見れば米国の国務次官補が北朝鮮のミサイル問題につき「北朝鮮はこのような状況のままでいるのか、われわれの側の一員になるのか、歴史的な決断を迫られている」と宣う。暴力団の抗争の如し。北朝鮮の制裁は国連レベルでは進展せぬが日本国内では北朝鮮船の荷受けを業者が「自粛」することで新潟など各地で実施的な制裁中。自粛という名の国家的措置の貫徹ぶり。舞鶴港だけが水産品など荷受け拒否は出来ぬ、と人道的、魚道的?配慮から受入れの由。
朝日新聞が「歴史と向き合う」と戦争責任の特集連載始める。東京裁判A級戦犯の無罪主張した印度のパル判事について。靖国神社に昨年六月パル博士の顕彰碑が、それも遊就館の前に建てられていたとは驚き。パル判事は法学者として、この戦争裁判に異議唱えたのであり、日本の歴史観見直し、ナショナリズム高揚のために、あの判断をしたのぢゃなかろうに。お茶の水女子大名誉教授の波平恵美子女史(文化人類学)の「抽象化する死者」(この見出しは朝日新聞の誤認で「抽象化される死者」の方がずっと正しかろうが)興味深く読む。死に対する見方に「人は亡くなっても無になるのではなく、死者に姿を変えて存在し、生きている人間を見ている」という死者観を取り上げ(これを「日本の死の文化の特徴の一つは」としてしまうことぢたいが、文化人類学的には、それが間違いなのだが、波平教授が、か朝日新聞が、その轍を踏んでしまっている。こんな死観など世界中何処にでもある)「死者には身体と霊魂が必要」と思うから、非業の死を遂げた人(とくに遺体の在り処すらわからぬ者など)は特別な祀り方をせねばならぬ、と考える文化が、死に特別な政治性を帯びさせる背景にある、と波平教授の指摘は興味深い。靖国戦後60年余で性格が大きく変り、戦後すぐには英霊が「私の兄」「私の息子」で「東京だヨおっ母さん」でお千代さんに二重橋、九段坂と唄われた頃のリアリティがない、と。そこで兵隊たちについて「国のために死んだ人」という抽象化が進む。「死者観が曖昧になるのにあわせ、靖国は次第に、慰霊の場、非業の死を祀る場、そして国民国家の統合の象徴という要素をミックスした矛盾した存在」となり「仏教の習慣ならば、とうに法要の年限を終えているのに、靖国の「死者の軍隊」はいつまでも兵士であり、永久に退役しない」(つまり安からに永遠の眠りにつくことが許されぬ不幸!)。自存自衛のための戦い、だの、避けることのできなかった戦争、といった具合に「抽象化した死者たちに自分の好きな衣を着させ、歴史が語られている」。本来、この死者への冒?の如き態がおかしい。が靖国問題憲法政教分離に反するとか近隣諸国との外交でばかり語られるから立脚する視点の違いで議論が深まる筈もなし。寧ろ靖国の性格を曖昧なままにすることが政治家には都合がよく、靖国を利用して注目を浴びる。小泉首相の参拝も「明確な政治的意図もメッセージも伝わってこないが、靖国へ行くことで注目を集めるぢたいが狙いなのだろう」と波平教授は論破。波平先生は戦争を支えた社会構造を分析しようと町や村の地域社会を調べた結果、当時、兵隊を出征させるにあたり留守宅の田植えや稲刈りをどうする、戦死した場合の葬儀は町や村で行って、遺族は云々といった扶助組織が全国津々浦々に張り巡らされていた事実。その共同体の象徴が靖国神社。それが地場の共同体がすっかり壊滅したのに靖国神社だけが宙に浮いて、細かい実際の記憶が風化するなかで、戦死者を祀る、というイメージだけが残る。そこに束縛された英霊たち。波平先生は「矛盾に満ちた英霊を出さざるをえなかった明治維新以来の日本社会の、国民一人一人がもっていた間違った判断の集積をはっきりさせる存在として、靖国には意味がある」と結ぶ。かなり説得力あり。だがこういう主張をすると上坂冬子女史あたりに「なんか難しい講義で私にはさっぱりわからない。死者を祀るってもっと自然な感性でしょう」とか言われてしまう鴨。その上坂女史は文藝春秋加藤紘一君に続き日本遺族会会長の古賀誠君と対談。古賀氏自身が四歳の時に赤紙召集の父をレイテ島でなくした遺児。父の命日とされる毎月三十日前後には靖国に参拝。だがなぜA級戦犯分祀をば提言したか、と言えば、古賀氏曰く、A級戦犯という東京裁判での判決云々で言っているのではなく、古賀氏自身、A級戦犯という言葉は一切使っておらぬ、として、靖国に英霊として祀られているが、赤紙召集で戦場に連れていかれ弾薬や食糧もないところで非業の死を遂げた一兵卒と、後方で安全なところで命令を下し戦場で死んだのではない者、つまり「戦没者でない一部の英霊」が一緒に祀られていることに納得できぬので、それを分祀せよ、というのが古賀先生の主張。その上で純粋に、国の戦さで命を落とした人を祀る靖国神社を何としても守りたい、だから国家護持せよ、と(確かにこれなら中国など反発するはずもない)。そのために政教分離が問題なら、鳥居なんて外してもいい!。神道に拘る必要もない。その形態として国営の追悼施設建設が企図されるのだが古賀先生的には、そんなものができると靖国にこれまで祀られた英霊がまさに非業となるから、靖国を見捨てての別施設建設には断固反対、となる。上坂先生は加藤紘一君の時と同じで此処でも古賀誠君の強い主張にタジタジ。国家護持では中韓がまたファシズムの復活だ、とさらに反日・批判を強めるでしょうね、なんて最後に宣っているのだから、古賀君の主張などまったく咀嚼できておらぬ。「戦争をしかけた人たち」が分祀された施設であれば中韓が反発などしようはずもない。でもう一つの上坂冬子連続対談、相手は靖国神社の前宮司・湯澤貞君とのものを読む。痛快に可笑し。上坂センセイはいきなり、吉田茂君もまだ占領下にあった、桑港講和条約締結の一ヶ月後に衆参両院議長と閣僚引き連れ靖国公式参拝していているが、中華人民共和国はもちろんどこからも抗議は受けておらぬ、だから「現在の中国のクレームが横槍だというゆえんです」と、やっぱり思いっきりの無知(だから中国が問題にしているのはA級戦犯の合祀だ、っつーの、の話)。で上坂センセイは中曽根大勲位違憲にならぬ周到なる準備しての公式参拝に話を移すのだが、湯澤氏が大勲位のお祓いは受けぬ、二礼二拍手はせぬ、玉串は捧げぬ、神社側が窮余の策で幕の向こうから「陰祓い」するなか、天皇陛下ですらお一人で上がられた本殿の奥にまでボディガード4名つけた態に、未だに怒り納まらず。上坂センセイが火をつけたため元宮司は合祀について語る、語る興味深き話。戦前は陸海軍省から、戦後は厚生省から!戦没者の身上が記された「祭神名票」すなわち「戦没者身分等調査票」が送られ、今でも多い時には年間五十人ほどが新たな戦没者が判明する由(厚生省から、ってこれって政教分離、個人情報の扱いで明らかに違憲ぢゃないの?)。で靖国神社保有データと照合の上、「霊璽簿」を作成、霊璽奉安祭を行うと御霊が霊璽簿に憑依し(カルト的……)霊璽簿をば本殿に遷し合祀祭執り行えば御神体の御太刀に御霊が移り神霊となり、魂が神となり全ての祭神と一体となるそうな(ここで戦犯だの云々がなくなるのだろう)。しかも霊璽簿の一冊は合祀の前に宮中に上奏!して天皇にお取次ぎをば願い申し上げる。皇室からは年に二度の例大祭に勅使遣わされる。さすがの上坂センセイも、「やはり天皇の御親拝を希望されますか。私は、戦後は「神」から「象徴」へ国民との関係が変わったのだし、あまりこだわる必要はないと思うのですが」と退いてしまう(笑)。この対談、てっきり元宮司と上坂センセイで「首相の公式参拝のどこが悪い!」で盛り上がるのか、と思えば、話題は「合祀の基準」となり、戦災で亡くなった庶民は祀られぬのに学童疎開の途中で亡くなった対馬丸の児童が合祀されるのはどういう理由?という上坂センセイの質問に、元宮司曰く、死亡時に軍務に関連する仕事や軍に協力された方(お国のために銃後の守りはダメ!)は合祀され、原爆で同時に亡くなっても警防団など仕事をされていた方だけが靖国の御祭神になられる、と実にわかりやすい説明。これに上坂センセイは「何度聞いても基準がよくわからない」と不快感露わ。湾岸戦争やユーゴのコソボ自治州の紛争での犠牲者(現地人)も靖国境内の鎮霊社会津白虎隊や西郷隆盛と一緒に祀られることも上坂センセイは「賊軍」!(とセンセイがまだ信じているとは、さすが体制派)や外国の戦没者まで、とはあまりに無秩序、と指摘せば、元宮司は「鎮霊社に祀られるのは「靖国神社に祀られている御霊以外の戦没者」と説明し「何が何だかわからなくなってきました」とセンセイは呆れ「カンボジアPKOで亡くなった警察官の方は祀られていませんね」と指摘して「今後、自衛隊員が海外の戦闘地域で亡くなった場合、靖国神社に祀られるのですか」と質せば元宮司は「靖国神社の合祀は「戦争」が基準ですが、自衛隊は「戦争に行くのではない」という建前がありますら」「現状では難しい」と吐露。上坂センセイ「戦争による死者は分け隔てなくお祀りしたほうが、国民の理解が得られるのではないですか」と指摘すると元宮司も「日本には八百万の神という考え方がありますからね」と。つまりA級戦犯の合祀では擁護派は「死ねば霊はみな同じ」という日本の生死観がある、と宣うが、その象徴たる靖国神社は「死んでも同じには扱えない」、つまり「日本の伝統的な生死観」には立脚していない、とみずから認めているようなもの。何という、対談だろうか(笑)。話はもうハチャメチャで、宮司を実は自衛隊OBにお願いするという案もあっただの、遺族が減る一方のなかで靖国神社の存続策が若者の取込みに元宮司は「若い方にご覧いただいて、日本人としての誇りを取り戻してもえれれば」と願うが上坂センセイは「エスカレーターつきであまりに煌びやかになりすぎて」異民族のような若者(上坂センセイだから「異民族」は悪い意味)が「遊就館でどんな印象を受けるのか想像もつきません」と苦言。上坂センセイは、寧ろ現状維持では別な追悼施設が建ってしまうから、神道の看板は外さないまでも他の宗教を許容できないか、せめて鳥居は外せないか、鳥居はそのままで敷地内に十字架や仏像は建てられたないか、ともう爆笑問題太田光君より面白い。神道は絶対に外せない、という(当たり前だろう)元宮司はそんな邪論を受入れられず。どうしようもなく散乱した対談は「せめて国に何を望むか?」とのまとめに入ったのだが、政府に中国に対して毅然とした態度をとってほしい、という元宮司に上坂センセイは「靖国神社から、中国に向けて声明文を出してはどうかしら?」「宮司さんから胡錦涛さんへの手紙なら差障りないんじゃないかしら」と。この文藝春秋八月号は永久保存版の面白さ。何が伝統だろうか、どこか正論だろうか。
▼香港政府が所得税導入検討中。増税かと半ば諦めておれば政府の提案読み余は欣喜雀躍の心地す。5%の所得税導入で政府税収入増につき所得税減税。標準税率が16%から11%に5%減、で例えば月収40千ドルの単身エグゼの場合、所得税が年45千ドルがざっと20千ドルとなり25千ドルの所得税減に対して、月30千ドルをば消費していた際の所得税は年18千ドルで結果7千ドルの負担減。香港の低税率と厚き基礎控除の恩恵にて香港のプロレタリアートの実に三分の二が税負担なしという驚くべき現状で、当然のことながら、この無税享受層にとっては今回の消費税導入は負担増。社会的格差増大という指摘もあり。ただしTANSTAAFL(There ain't no such thing as a free lunch)と叫びたいのが余の本音。それでも香港政府が日本のそれよかずっとマシなのは一網打尽に納税強いる消費税ながら低所得世帯に対しては「消費税は負担してください、但し」と下水処理費や地租税など35千ドルの負担免除、それに加え自己申請で世帯あたり20千ドルの現金支給もあり。この合計が年間55千ドルで、これが5%の消費税に見合うとすれば年間の消費額は110千ドル、日本円で月に13万円消費する世帯であり、これが低所得者で、この13万円以下は実施的に所得税は負担しないで結構です、ということ。なんとも厚遇。これに比べると日本の税制のなんと理不尽なことか。
Pink Floydの早期のギター奏者Syd Barrett氏逝去。

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