富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-05-25

五月廿五日(木)先学生日。生きていれば74歳か。早晩にジムで一時間の筋力運動。一瞬ちょっとショットバーに寄ろうか、と思ったが昨日から「毎度おさわがせします」がトラウマのようで真直ぐ帰宅。豆腐と苦瓜、茄子の冷菜など素食。藤原正彦国家の品格』間接的に借りた(海外でよくあることだが「廻ってきた」が正しい)ので読む。これが「国民的ベストセラー」だとは。「国民的ベストセラー」の誕生は『窓際のトットちゃん』でも『気くばりのすすめ』でもそうだが「普段、本をあまり読まない人まで読む」現象。という意味では、ふだんそれなりに本を読んでいる読書人、ある程度、教養のある人なら、この本のイカサマぶりは一読して明らかだが、ふだん本など読まぬ人だと、この本の内容に共鳴したり。著者は、その妻が著者の「話の半分は誤りと勘違い、残り半分は誇張と大風呂敷」と指摘したそうで、言い得て妙。内容は抱腹絶倒の椿説奇譚。結局、結論は「国家の品格」など言及できず、たんに「世界を救えるのは日本人」という、叩けば埃の出そうな民族の誇りの一点張り。これを読んでしまうと八十年代の山本七平のイザヤ=ベンダサン本も至極真っ当であるし、国威発揚でも、まだ当時、『ジャパン=アズ=ナンバー1』など読んで浮れていたことや石原慎太郎盛田昭夫の『Noと言える日本』ですら良識的とすら思える。大風呂敷でも和辻哲郎の『風土』のほうがずっと感性だけで推論として今になって「なるほど」と理解できる。だが『国家の品格』なんて、こんな本がベストセラーになるくらい、『ジャパン=アズ=ナンバー1』や『Noと言える日本』の時代よかずっとずっと日本が疲弊している証左。これを読んで「日本は大したもんだ」と元気が沸くことがベストセラーの原因なのだろうが、悲しい事実は、この本でも実は著者は、民主主義だの自由だのを非難するとで、エリート主義と大衆の妄従ぶりについて指摘しており、つまりは、小泉改革での格差社会で実は「負け組」になる人たちが小泉三世の熱心な支持者であるように、この本も、これを読んで「元気をもらった」人が実は著者のいう「市民なんてものはエリートの引率に従っていなさい」的な層であること。また、この本がここまでベストセラーになったもう一つの原因は、日本人意識高揚本であっても、主張がけして「作る会」や渡部昇一的に右翼的、タカ派でないことで、一般の読者のアレルギーに触れないこと。日本の東アジア侵略などの罪を認め、「国を愛する」こともnationalisticな愛国心ではなくpatrioticな祖国愛(エトノス的なもの)である、とする。そこで偏狭に右ばかりでなくノンポリな中間層まで読者として取りこめた。それにしても、この本で述べられている「誤りと勘違い、誇張と大風呂敷」にいちいち反論などすることも馬鹿馬鹿しいが、いちばんのお笑いは何といっても、この著者の「自由」嫌い。究極の自由としてホッブス自然権の概念を挙げ社会契約論に言及しているが、自然権を認めたら無秩序と野蛮と渾沌の世界になるので、それを万人が放棄して、ある機関に委託する。それが国家だ、と。まぁここまでは高校の社会科の倫理社会で教わったような気も一瞬、するが、ちょっと倫社の授業をマトモに受けていた高校生なら、それでも自然権=無秩序と野蛮、また自然権を「放棄」は誤謬も甚だしい、とわかるわけで、而もこの著者は「すなわち国家とは人民が自由を放棄した状態」と結論づける(笑)。これは高校の倫社の期末テストでも採点でバツになる暴論。樋口陽一先生の説明を持ち出す迄もなく(先日この日剰にも書いたが)国家とは「契約というフィクションにより」創られたもので、無理や弱点があるのは当然で、それを維持し発展させるべきもの。まさにこの著者は樋口先生の言う「それを攻撃してエトノス的な国(nation)の復興をば訴えるのは(まさに自民党的だが)勉強が足りない」人(情けない、これで東大卒のお茶大教授)。ホッブスですら目の敵であるからロックだのジェファーソンなどもう罵り、である。それにしても読めば読むほど酷い内容。日本の誇るものとして情緒だの形、秩序、四季など感受性、庭師の技術から武士道など挙げるうちはまだいいが、日本は「万葉の時代どころか、想像するに縄文の時代ですら、「卑怯なことはいけない」「大きな者は小さな者をやっつけてはいけない」といった、皮膚感覚の道徳観、行動基準を持っていたのではないかと思います」と。どうやって立証するんだよ!(笑)と突っ込まれる、と、さすがにこのセンセイも察したが、ここだけは「想像するに……かと思います」と婉曲である。だが藤原センセイはこれに留まらず前や儒教も「中国で生まれたものですが、中国にはまったく根付かなかった」そうで、禅と儒教は「日本人の間に古くからあった価値観」で「理論化したのは中国人」とは……単一民族の中曽根大勲位や「日本は神の国」の森さん、靖国参拝は個人の信条の小泉三世でもあっと驚く藤原センセイの暴論の極み。こんな内容の本が「すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論!」と新潮社もよくも恥ずかしくもなく宣ったもの。まぁ、売れればいいのか。画期的日本論であることは確かだが、こんな内容で誇りも自信も得られない良識的な人々はかなりいるはずで、だからお願いだから「すべての日本人に」は止めてほしいところ。あまりの画期的さに衝撃受け臥床。
香港島の西湾河(そこを不動産業者は「アイランド・イースト」と呼ぶことで周囲の喧騒を誤魔化すのだが)に嘉亨湾(Grand Promenade)という新築マンションあり。超高層マンション立ち並ぶこの界隈でもかなり目立つ威勢、一つの建物群としての巨大さ。売り出し中、賃貸募集のこのマンションがなぜか今週末に日本の伝統文化芸能紹介の開放日。相撲のデモンストレーション、歌舞伎劇場、伊賀流忍者集団・黒党(くろんど)による忍者アクションショー、芸者によるパフォーマンス、日本伝統舞踊アカデミーASUKA(沢瀉屋の市川右近の実家はこの飛鳥流の家元だそうな)などの他、生け花、茶道、剣道などもあり。ちなみに、例えばこのマンションは日系のデベロッパーが開発し和室があるなど日本趣味、というのなら、この日本の伝統文化芸能紹介も頷ける鴨しれぬが、そういうわけぢゃない。恒基兆業地産という香港のコテコテのデベロッパー。この西湾河一帯のマンション、衛星放送受信など整いNHKのBSなど観られると日本人にも人気で、このマンションも日本人狙いもあろう。が、日本人の集客に胡散臭い日本趣味の展示など要らぬ。このマンション、もっと売れる、貸せるはずが埋立による公用地の払い下げでマンション建築に絡み政府の役人が建築面積の許認可で必要以上に建築面積をば認可し路線バスターミナルであった土地の部分の提供では本来政府収入となるべき億単位の額で政府に損失与える。この政府高官、おそらくは民間デベロッパーへの便宜供与で公務員退職後の天下りか何か期待したのだろうが、この便宜供与暴露され政府は「独立の調査委員会」で審査の結果、便宜供与の疑いなし、と聞いて呆れる報告済ます。その問題で、賃貸や居住には直接の影響ないはずだが「トラブルあり」で日本人にも敬遠されているような気配あり。それが事情なのか、いずれにせよ、このマンションのこの日本趣味のオープンデーの宣伝(日本語)が日本の新聞に折り込み広告で入ってくるから不思議。而もわざわざ日本文化の紹介が日本語でされている。日本語は文法的には間違いないのだが、説明内容がどこか奇妙。
「相撲」 相撲はまわしをつけ、素手の二人が、土俵内で相手を倒すか、または土俵外に出すことによって勝負を争う競技。古くは武術・農耕儀礼・神事として行われ、平安時代には宮中行事として相撲(すまい)の節(せち)が行われた。日本の国技とされる。
「歌舞伎」 日本独特の演劇で、伝統芸能の一つである。というのは当て字でるが、歌い、舞い、技(技芸、芸人)を意味する、この芸能を表現するのに適切な文字である。
……とどこか怪しい感覚の日本語。いったい誰をターゲットにした催しであり宣伝なのか不明。

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