富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2006-05-20

五月廿日(土)快晴のはずが朝から曇天。しかも涼しくもあり清明節から中秋までは冬眠ならぬ夏眠と散策やトレイルなどせぬZ嬢もこれなら、と二人で久々に散策に出ることなりタクシーで天后。関西料理・利休のまえから5番のバス始発に乗車。利休のご亭主、朝の準備中に出くわしご挨拶。新聞などゆっくりと読みながらバスは香港島市街走り抜けKennedy Townに至る。Kennedy Townは香港の市街の西端。トラムの終点となるCadogan街の公園の端にかつてのVictoria Cityの境界示すCity Boundaryの石柱も残っており、その区外に屠殺場であるとかゴミ処理場、政府の死体置場などかつては存在し、19世紀末からは北里柴三郎博士や青山胤通教授の頃の黒死病研究の研究所なども此処にあり。此処が当時のヴィクトリア市に対しての物忌みの場所である、とわかりやすい。バスは海を見下ろしながらヴィクトリアロードの坂を登り始め、いくつも廃屋となった豪邸を眺めながら終点へ。「なぜこんなところが終点?」という侘しさ。Mount Daivsにあがる山道の分岐点。ここに最近話題となった「白屋」あり。高い塀に囲まれた白亜の洋館。現在、改修中。此処が60年代より80年代まで香港政庁保安局の過激思想犯収監の秘密施設。最もここが「賑わった」のは60年年代後半からの文革期に香港で展開された反英暴動で、左翼組織の幹部、左翼芸能人ら収監し取り調べ。公安警察による取り調べは拷問に近い手口もあったとか。その後は香港で逮捕された日本赤軍の活動家もここに収容されたと聞く。当時はこの施設の存在も秘匿とされ地図にも記されず。80年代にはすでに役割終え97年返還後には反英暴動の指導者であった男性が香港政府より長年に渡る社会民生活動に従事讚えられ勲章授けられ、此処も映画撮影などに開放される。さすがに「革命拠点史跡」には指定されず。夕方なら夕陽が美しいと聞く海岸に下り、またヴィクトリアロードに戻りバスで華富団地。かつて旅行の時になど我が愛猫を預けていた動物愛護協会の犬猫センターも華富団地に近い人里離れたこのあたりにあったが道路整備されCyberportの開発であたり一面まるで別世界。英国船が19世紀に(香港占領以前)水の補給をしたという華富の滝まで下ってみるが、今では滝の上に大型高級マンション聳え立つ。華富商場。40年前だかに華富のこの団地が出来て(当時、この風光明媚なる場所に低所得者向けの公共団地の建設にかなりの反対もあり)その当時から内装があまり変わっておらぬであろう銀都冰室にて炒飯と米粉の昼食。もう一軒ハシゴして和富冰室で紅豆冰。潰れた映画館利用して大陸からの田舎観光客相手にタイから招聘のニューハーフのステージショウ始めて大当たりの香江大舞台も眺める。その存在、香港人が殆ど知らず、六十代の大陸から観光の男性客がこの劇場で心臓発作で死亡し話題となり、この劇場も一躍有名に。41Aのバスで香港島の南まわりで香港仔(Aberdeen)から山を越え大坑道経由で終点の北角埠頭。Z嬢とここで別れフェリーで九龍塘。美孚行きの最新型バスで旺角。かなりの遠回りで二時間近く要するが車中、仮寝し新聞や雑誌読み、飽きず。旺角の新しいジムで一時間の筋力運動。初見参だが事前に此処の仕組みをば旺角界隈に在住の方のセンスのいいブログ(JCHECA*F)で知っていたので複雑な構造に迷わず。運動しながら外をぼんやり眺めていると曇天から小雨が本降りに。西洋菜街の歩行者天国に突然、いくつもも店が店頭で傘を売り始め「山口文憲の書いた香港みたい……」と思う。ジムを出てMTR站に向かうと法輪功の諸君の反共宗教活動。見慣れた光景だが人だかりあり何かと思えば中共による法輪功弾圧糾弾はいつものことだが何と法輪功の信者をば収監し、拷問などで死に至った場合の内蔵摘出!手術の現場再現と、実際に法輪功信者が医師、看護婦、はたまた死体にまで扮装して現場再現。じっと動かぬパントマイムはさすが信心、と驚くほど。それにしてもエグすぎ。よくここまでやっていくら香港とはいえ警察に撤収も求められぬな、と一瞬思ったが、考えてみれば、ここまでやってしまうと中国共産党政府にとっては「思うツボ」であろう。単なる瞑想をば中心とした宗教活動だけなら「なぜそれが弾圧されるのか?」と世論は法輪功に同情もしようが、ここまでやると、寧ろ通りがかりの市民は奇異に思いもする。まぁ信心は自由だが自分はちょっと……、と。こういった活動が高揚していけば一般的市民の常識から乖離して宗教活動の常識的な範疇越え、いつかは反政府、国家転覆で法輪功撲滅しても世論も見方するくらいになることを中共はじっと待っているようにすら思える。世界の世論をば敵にまわしてしまった、チベット仏教の扱いの経験で中共はそれくらいじゅうぶに学んでいるはず。かつて某英国放送局の上海特派員であった畏友D君が中国政府の法輪功弾圧は「巨大なカルトが小さなカルトを弾圧している」と評したのが秀逸であったが(みずからがカルトゆへ同じカルトの存在は糾弾する、と)、中共政府にとっては法輪功オウム真理教のように異常なカルト団体化してくれることこそ本望のはず。ダライ=ラマのように人権運動家としてノーベル平和賞をもらわれては困る。帰宅して夕飯済ませ自宅近くの映画館で午後九時半より映画「M:I:III」観る。ロードショー公開の映画をこうして観ることは私にとって稀なこと。而もアクション映画。先日ふとアクション映画が好きであった父のこと思い出し久々に気楽にアクション映画など観てみたい、と思ったこともあるが「ミッション・インポッシブル3」が中国で当局から、映画に登場する上海の印象や間抜けな護衛員役などが問題視され中国国内での上映が無期限延期となり修正求められている、と報道されたため(朝日)どれくらい反中的なのか実際に見てみよう、と思った次第。確かにストーリーの山場となる上海での場面、最初は浦東の超高層ビルで始まり近代的な市街でのカーチェイスと続くが、それが相手の秘密アジトにトム=クルーズが連れて行かれるところから、まるで蘇州か世界歴史遺産の如き運河に太鼓橋、古い街並みに洗濯物がはためき、阿片窟の如き西洋人にはわかりやすい支那趣味の世界。世界の有数の大都市であり、紐育、倫敦、東京などに匹敵する経済中心地がこれぢゃ確かに中国にしてみれば不愉快。日本とてスピルバーグゲイシャ映画でどれだけひどい内容で、日本でのロードショー公開も思いっきりコケたのと同じ。それにしても最初からゲイシャ映画ならまだしも、トム=クルーズの大人気アクション映画で世界的に大ヒット間違いなし、で08年の北京オリンピック前に空前の急成長遂げる中国の上海がこの演出では確かに。思い起こされるのはちょうど高度経済成長の1967年に公開の「007は二度死ぬ」の日本ロケ。これは東京オリンピック開催から三年後。いわゆるゲイシャに遊廓の如き日本趣味のシーンもかなり協調されたが基本的にはホテルオークラをば敵方の総本部としての近代の東京の場面続く。少なくとも1967年の東京に明治時代の大川界隈の下町情緒は出てこない。やはり米国は中国に偏見を持っている、と、それで今回の上映無期限延長なのだろう。それにしても世界的にはもう公開され(日本除く)中国での国内上映だけ延期したところで中国の印象はすでに悪くなっていると思うわれ、しかも中国ならべつに寧ろ上海の近代的な現実とは異なる誤解野シーンでも今さら国内で印象悪くする気もせぬ。だが中国の当局が敢えてクレームしたのは、むしろそういう中国への偏見にたじろがずに正々堂々と制作側に物も申す政府の強い姿勢の協調でなかろうか。Noと言える中国。それにしても、日本は、中国でのこの動きよか注視すべきは、それほど世界的にはすでに5月3〜5日に世界一斉大公開で「観たけど、それほど偏見あるか?」「確かにありゃちょっと……」と感想も言えるなかで、日本だけが(厳密にはエジプトが5月24日公開、映画大国インドが6月16日)公開がなんと7月8日であるという愕然たる事実。世界のなかで日本だけが「この話題についていけない」事実。洋画の配給とはいったい何が遅れる問題があるのだろうか。世界中でエジプト、インドの上映が始まれば(もちろん北朝鮮や、無期限延期の中国など上映されておらぬ国は別として)市場経済の価値(小泉語録)を大切にする先進国たる日本だけが蚊帳の外。これは深刻な問題。構造改革するなら、まず洋画の遅延、これは市場経済の価値にかかわる問題だから、どうにかしなさいよ、小泉君。憲法改正より洋画上映の配給改善を! それに教育基本法改正以前に英語の普及、ついでに「洋画のダサい邦題」を文化庁あたりでどうにかレベルアップする審議会でも作っては如何か。
朝日新聞の「次世代と愛国心」という論壇に雨宮処凛(かつて愛国ロックバンド主宰、現在は作家)の主張読む。社会の保守化、右傾化、学校での国旗国歌強制や教育基本法憲法改正の一連の動きに対して
「強い国」を求め、こうした動きを支持する若者も多い。自信を失った人たちが「国家」にすがっている。強い日本を求めるのは、弱い自分の裏返しだ。家庭や学校や職場には裏切られたが、国家は新しい居場所を提供してくれそうに思える。(略)国が強くなれば、フリーターやニートと呼ばれる自分も、強国の国民としての誇りとプライドを持てるるかもしれない。生きづらい社会の中で、悲しい希望が愛国に向かっている。
▼雑誌『世界』に樋口陽一先生がこの雑誌の編集長氏相手に「「国」とは?「愛する」とは?」という題で語る。樋口先生は自らが読売新聞で司馬遼太郎氏と対談した時に(正月元旦の特集記事で80年代半ばだと記憶していたが樋口先生はそれを90年のこと、としている)司馬遼太郎が使った「この国のかたち」という言葉が本人の意図と全く違う「何か日本の国柄のようなものを表わしているように扱われている」ことの間違いから説き起こし(司馬遼太郎の述べた「この国のかたち」は、それぞれの国には、その「国のかたち」=constitutionがあるわけで、それが明文化されたのが大文字のConstitutionである、といったことを対談で樋口先生と語っていた。フランスにはフランスのかたち、英国には英国のかたちがあり英国はそのかたちが堅牢であるから成文化された憲法典がなくてもよい、といった話で、日本は憲法論議以前に近代国家としての、この国のかたちがきちんと出来ていなかったこと、それを創らなければならないわけで、それを創るのは国民の作業だとしたら国民主権を明らかにした現行憲法(これをピープル憲法とお二人が呼んでいたのがちょっとヘン)の意義などについて「読売新聞で現行憲法の意義説いたことにかなりの驚き)、最近の憲法改正に向かうエトノス(民族、血、national identityなど)の動きはデモス(人為、民主主義、制度)による近代国家の欠点の論ひから始まるが、そもそも近代国家は法によって人為的な国家(state)建設のためにホッブス、ロックやルソーの社会契約論で「契約というフィクションにより」創られたもの(であるから、無理や弱点があるのは当然)。それを攻撃してエトノス的な国(nation)の復興をば訴えるのは(まさに自民党的だが)勉強が足りない。近代国家の弱さなどわかった上で建設しているもの。その好例がドイツで、ドイツがどこに「国のかたち」を求めたか、といえば、人類普遍の原理にコミットしてドイツという国家枠を越え自らの公共社会を自分たちで創り上げることへの寄与。これが出来る基盤に個人の尊厳があり「日本国憲法の場合にも、日本国憲法という実質価値ではなくて、憲法が枠組みとしてつくってくれる一人ひとりが個人として尊重され、いろいろが言説が寛容に取り扱われる枠組みこそが大事だということ。実質価値の問題ではなくて、あくまで形式。形式では安心できないから、つい何か実質がほしくなるのが人間だが、それに対しては何度でも「いや、実質を決めるのはあなた自身です」といわざるを得ない。誰かに決めてもらおうと思ったり、何か神秘的な歴史の過去にすがったりしてはいけない」と樋口先生。キョービの改憲はあまりに憲法という成文化された目に見える部分での改正にばかり熱心で、而も憲法は日本が近代国家として必要だから明治時代に出来たものなのに、キョービの愛国憲法への改正は教育勅語以前のレベル、と樋口先生は指摘。教育勅語には総理大臣や文部大臣の「副署」がない事実。そこには「これは国家の法ではない」なぜなら「立憲政体の主義に従えば君主は臣民の良心に干渉せず」(井上毅)だからで、明治の政治家には少なくても天皇を戴く國軆(nation)と近代の立憲制国家(state)のきちんとした区別、共存が出来ていたこと。それがキョービではごちゃごちゃになり改憲派の代議士などは「国を愛する心」なんて憲法に入れてしまおうとする。よく戦後の教育が日本の社会を荒廃させた、などと言うが、実は戦後の教育の失敗例が、上述のような「近代国家の仕組み」すらわからぬまま政治家になってしまう、一部の、というより大多数か、今では、の自民党松下政経塾出身の代議士先生たちなの鴨。

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