富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦三月初一。晴。裏山の自然公園を10kmほど走る。よくよく思えば手の入ったいわゆる里山。市街に近きこの場所で栗鼠などもいる。走り終わりMount Parker Rd下る。Taikoo PlaceのEast Endに寄りエール正味二杯。帰宅。ピアノの練習など少しして晩の競馬予想。テレビで競馬中継眺める。ダービー直後の週日の沙田で而も最終レース除きダートという丸っきり地味。第1レースに畏友A君の持ち馬「新聖(Natural Model)」参戦。15戦未入賞でクラス5に甘んじレーティングも30とどん底状態ながら前レースのダート1200mで二着に入り調教の時計もかなり良く初優勝も夢ぢゃない、と思え昨晩A君に尋ねるとA君“Fingers crossed”なんてカッコいいこと言う。パドックでもかなり色艶もよく期待したが残念な結果。A君家族の持ち馬は今晩は「新英(Natural Echo)」も出たが三歳の頃に三勝し三年過ぎてまったく元気なし。C氏のDashing Championも八歳、クラス3でまだ12月にはダートで優勝し三月の前レースも二着と頑張ったが今晩は着外に終わる。柳浪の『今戸心中』読了。筆致冴え渡り花街舞台にした小説という点では荷風の「腕くらべ」も柳浪には比べ物にならず。夜通しの吉原から眺める朝も白む風景描写など名文の極み。柳浪では『河内屋』や『黒蜥蜴』もそりゃいいが『今戸』の花魁吉里の複雑な心情の描写の見事さ。続いて昨年の八月に久が原のT君通して浄瑠璃本研究するK君からいただいたDVDで六代目歌右衛門の『瀧の白糸』を観る。昭和31年8月の明治座、新派莟会合同公演(こちら)。六代目の生前にNHKが昭和30年代の歌右衛門の舞台特集した時の録画。我が歌舞伎を見始めた頃には成駒屋すでに足を庇っていたため、白糸役で新派の舞台であるからまさに動きまわる成駒屋というのはまったくもって初めてみるもの。新派でいえばやはり先代の八重子の白糸・水島友なのだろうが、四十路になるかならぬかの若さで成駒屋がしっかり泉鏡花の芝居を「歌舞伎の女形がやればこうなるんですよ」と演じきって見せたところに凄さあり。書生の村越欣也に白糸があそこまで惚れるのが今ひとつピンとこないのだが「一目惚れ」はいちいち他人の邪推は要らないのですよ、と泉鏡花なら言われるかも。
http://www.meijiza.co.jp/thea/thea_06b.html#31
▼三月七日晩のNHKでニュースにて天皇皇后両陛下三宅島訪問に明るい島民両陛下が「こちらに来るとは思ってみませんでした」と語ったのを字幕には「こちらに来られるとは思ってみませんでした」と敬語使わねば敬意ないわけぢゃなし寧ろこの島民の場合かなり親しみある言いっぷりを故意に敬語にした件。NHKに問い合わせばご丁寧に手紙いただく。季節の挨拶に始まりNHK一連の不祥事に関するお詫びに続き
お問い合わせいただきました、三宅島にお住まいの女性の方が「天皇皇后両陛下が来ると言っていたのに、来られるとの字幕をつけた」ことについて、私どもの考え方をご説明させていただきます。
NHKは、皇室については、国民感情にも配慮し、過度にならない範囲で敬語を使うことにしています。
三宅島の女性は「こちらに来るとは思ってみませんでした」と話されてましたが、今回は、画面の文字を発言どおりにすると(富柏村)様のように「素直な親しみが語る言葉」と感じられる方がおいでになる一方で、皇室に対する表現としては語感がきついなどと指摘する方もいらっしゃると思われるため、画面上の文字には「られる」を末尾につけ、敬意を高める表現にしたものです。
ご理解いただければ幸いです。
と。結局、NHKにとって何が怖いかといえば「右からの」「皇室への不敬」に関する非難への過剰なる神経過敏。画面ではとても自然な三宅島民の言葉ながら必要以上に「右の配慮することで」(皇室に対する配慮に非ず)の自己防御。NHKが公正であるか中立であるかよか寧ろ不憫。
▼社長の息子(35)自称テレビのフリーディレクターが大麻所持で逮捕され(それぢたいは大麻くらいでどうでもいいが)この逮捕の事実は社内でもかなり極秘扱いで而もお薬関係で有罪&執行猶予中の前科まで今になって暴露され「やはり内部の体質はかなりヤヴァい」と露見の朝日新聞、今日の衛星版オピニオン欄に「海外メディア深読み」なる論説文でタイの政治危機取り上げるが長岡昇論説委員インドネシアの週刊誌「テンポ」の記事引用し「問題が起きる度に、いつも国王に頼るわけにもいくまい。タイの民主主義が成熟するためには、憲法がきちんと守られているか油断なく目を凝らす市民層が育つことが必要だ」と。先日日剰に綴った通りタイでの国王の政治介入は極めて合憲であること。現行憲法では政治危機にある時に国王が黙って何もせずにいたら寧ろ国王は国民から叱責を受ける。「タイの民主主義が成熟するためには、憲法がきちんと守られているか油断なく目を凝らす市民層が育つことが必要」なのは確かにその通りだが、現行憲法下では寧ろ「問題が起きた時に国王に頼れること」は「憲法がきちんと守られている証左」とも言える。