富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月廿三日(木)連日香港の春らしき曇天続きが今日は昼に降雨あり。紛いなりにも季節は雨期なのだ、少しは降ってくれないと。大潭のダムなど干上がってしまいそう。楽しみに待った小泉メールマガジンで小泉三世、首相官邸で記者にも語っていたが「日本シリーズの緊張感と高校野球のひたむきさが重なりあったすごい試合」という表現も言い得ているようで「改革なくして成長なし」と同じで陳腐だが
日本は強豪韓国に1次リーグでは2対3と敗れ、2位で通過。2次リーグでも1対2と敗れて再び2位。しかし、この敗戦に屈することなく、3度目の対戦となる準決勝ではチームが一丸となって力を合わせ、6対0と破って決勝に進みました。野球発祥の地アメリカ代表チームは、2次リーグで日本に4対3と勝ちながら、同じ1勝2敗の日本とわずか0.01の失点率差で決勝トーナメントには残れませんでした。決勝の相手キューバも、1次リーグではプエルトリコに、2次リーグではドミニカに敗れながら、準決勝でドミニカを破っての決勝進出でした。
……と老若男女誰もが諳んじる試合結果を述べてみせる。それが、日本チームのこの完勝できずの勝ち残り、一瞬「もう終わったことに」のはずが最後は天晴れなる優勝に自分の姿をば重ねていたことは間違いない。どうにか自民党の総裁レースに残り「?」マークのまま首相になり国民の支持は高いが今ひとつ何ができるのかもわからぬまま長期政権となり最後は郵政民営化で沈んだか、のはずが見事な復活。……というわけで昼から雨の本日。下述の加藤周一の文章など読んでしまい気分的にはブルーノ=ワルターワーグナーの9番を聴く。ところで先日、蔡瀾氏の随筆で台北のかなり専門的な映画関係専門店を紹介。その店の名を「秋海棠」と言う。秋海棠、秋海棠……と思ってピンと来ずに数日過ぎしが本日不図『図説永井荷風』という本の頁捲れば川本三郎氏が荷風散人の隠棲の例として挙げたる大正十五年九月廿六日の断腸亭日剰に秋海棠をば知人の川尻清潭より数株もらい受け偏奇館の庭に植える記述あり。大久保余丁町荷風の実家には秋海棠多く植えられ初夏に小さな赤い花咲く。秋海棠の別名が断腸花。それゆゑ荷風散人みずからの書斎に断腸亭という名をば頂く。秋海棠はそれで余の記憶にあり。
(斷腸亭日剩大正十五年九月廿六日)秋海棠植ゑ終りて水を濯ぎ、手を洗ひ、いつぞやの松莚子(註:二代目左團次)より贈られし宇治の新茶を、朱泥の急須に煮、羊羹をきりて菓子盆にもりなどするに、早くも蟋蟀の鳴音、今方植ゑたる秋海棠に葉かげに聞え出しぬ。かくの如き詩味ある生涯は蓋し閑居の人にあらねば知りがたきものなるべし。平成狐眠の悲なからんには清絶かくの如き詩味もまたなし。と
晩にZ嬢と北角の寿司加藤。二人で赤貝と笛吹鯛を肴に酒は男山。それから青森は五戸の菊駒なる純米酒をいただく。美味至極。珍しく二人きりでバーS。ハイボール二杯。加藤でもバーSでも知己の方に邂逅、或いはお名前は存じてもお会いする機会なく数年の方ご紹介いただくなどする。帰宅して『図説永井荷風』眺める。今更の既知の事多かれど荷風の養子となった永井永光氏所蔵の散人の遺品の数々など初めて目にする。罹災した荷風谷崎潤一郎が送った書簡だの見事。それにしても晩年のところで突然、何の説明もなく小林修氏の写真があり「小林修 昭和23年12付き、菅野の家の購入に際し尽力した小林は、以後しばしば荷風のもとを訪れている」では好事家以外いったい小林が誰なのかもわかるまいに。
朝日新聞加藤周一夕陽妄語」より。今年はドイツの詩人ハインリッヒ=ハイネの没後150年だそうな。加藤周一がドイツの友人から受け取った手紙には Ich hatte einst ein sch?nes Vaterland (むかし、僕には美しい祖国があった)というハイネの詩句書かれてあり。加藤周一愛国心について考える。
国の場合にかぎらず、その対象が何であっても……神でも、人でも、樫の木でも菩提樹でも、すみれでも野ばらでも、「愛」は外から強制されないものであり、計画され、訓練され、教育されるものでさえもない。
ここで氏はソロモンの雅歌
愛の自ずから起こる時まで殊更に喚起こし且つ醒ます勿れ
という文句を引き、愛国心について<権力>がそれを強いることの間違いについて語る。「愛」の概念の便宜的な軽薄な濫用。偶然に生まれただけの国が愛するに足りるかどうか、という疑問のまえに内村鑑三は確かな愛の対象として国家の上に<神>を置いた、という。祖国愛は情念であり自己批判は理性。理性的に制御されぬ情念から生まれる自己陶酔が容易に排他的ナショナリズムとなる。祖国への愛と批判が両立することの崇高さ。それがないと御用詩人、御用学者となる。氏は Ich hatte einst ein sch?nes Vaterland (むかし、僕には美しい祖国があった)というハイネの詩を何度も口ずさむ。……おそらく「国民の5%」しか読んでおらぬ話だろう。大切なことなので綴るまで。
▼香港鼠楽園、開業前から「入場券の割引は絶対にせぬ」と豪語していたものが開園数ヶ月後には香港住民相手に割引料金の提供で脆くも傲慢さに陰りでたが今度は1度来場すればもう一度は無料という実質的半額チケットの発売開始。開園から半年余でもう末期症状か。南無阿弥。
▼最近、我が国の世論というものがわかってきた気がするが、国民の3割が新聞など読まないとして残りの7割は世論的には20%が読売、スポーツ新聞&夕刊タブロイド紙が15%、聖教新聞が10%で朝日が5%、残り20%のうち2%が毎日で残り18%が地方紙、という感じでなかろうか。となると産経新聞は何処に在るのか不明だが築地のH君が「えひめ丸事件のときでさえ日本人の命より米軍の事情が大事とした」産経抄のここ数日の、「野球は人命より重いのか」、野球に関するマジギレをまとめて送ってくれる。深謝。産経抄の書き手は野球に興味があるのかないのか、「笑話」の昔は野球少年だったが今は正直野球に興味がない、のか。「つくる会」の西尾先生風には「負け惜しみで歴史の偽造をはかるのは保守主義の伝統を踏みにじるものではないだろうか(慨嘆)」になろうが、ここ数日の産経抄を辿れば
たかが野球、されど野球である。勤め帰りのサラリーマンでにぎわう東京・新橋の一杯飲み屋では、セ・リーグプレーオフ導入は邪道だの、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本は強豪ぞろいの二次リーグを突破できないだのと、久々に野球談議で盛り上がっている。まじめな松井選手は直前までWBCに出るかどうか、迷いに迷ったという。結局、所属するヤンキースに貢献することを優先したが、プロとしては一つの見識だろう。ただ、一ファンとしては日の丸のついたユニホーム姿を見たかった。レッドソックスで活躍するドミニカ共和国出身のオルティスは初戦で二発の本塁打をかっ飛ばし、国旗を振って声援に応え、「世界中にいるドミニカンに見てほしい」とコメントした。愛国心は厳しい国際社会で前向きに生きる人々の栄養源ともなる。「偽メール」騒ぎも一段落し、来年度予算案の成立も確定した国会では、教育基本法を改正して愛国心の涵養(かんよう)を盛り込むかどうかが焦点となるのだそうだ。愛国心は自然にわきあがる感情で法律に書き込むのはなじまない、という議論もよくわかる。だが、そうでもしなければならない事情がある。中国にちやほやされ、尖閣諸島周辺での石油ガス田共同開発を持ちかけられても抗議もしないどこかの大臣や、天下り先ばかり考えているお役人たちがいるからだ。教育現場はむろんだが、政治家や官僚への「愛国心教育」もいますぐに必要だろう。(三月十日)
……このへんに関しては上述の加藤周一氏の記述を読めば産経抄のレベル差も歴然だが、
あまりに腹が立って、きのうは罵詈雑言書き連ねそうで、小欄に取り上げるのは一日延ばした。いうまでもない。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本対米国戦のことだ。それにしても「(王監督が)納得しなければ、ぼくはグラウンドに戻る気はなかった」と指揮官の猛抗議をあくまで支える姿勢をみせたイチローはさすがだ。やられたらやりかえせ、の大リーグに生きる男の強さをみた。WBCのうさんくささを察知して不参加を決めたのだとしたら、松井はもっとすごいけれど。(三月十五日)
と米国の不正には「一日おいて」不満を言ったと思えば
「たかが野球」に怒ったり、嘆いたりしているうちに、もう卒業式の季節がやってきた。それどころか、きのうは大手流通グループのマンモス入社式があった。(三月十七日)
と今度は韓国に負ければさすがに八つ当たりもできず野球の存在ぢたいを無視(笑)。で最後は
野球の神様ありがとう。正直いうと野球には関心がない方だが、きのうのWBC準決勝で日本が韓国を破った瞬間、そんな言葉さえ浮かんだ。勝利に向け、これほど一丸となったチームは最近見たことがなかった。(三月廿日)
開花宣言の出たばかりの桜を愛(め)でながら勝利の美酒に酔った。先週の小欄で、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に散々毒づいたからきまり悪いけれど、世界一となった王ジャパンの快挙をたたえたい。(三月廿二日)
心地よい興奮の余韻が日本列島を覆っている。「王ジャパン 世界を制覇」の祝勝気分は職場や学校にもあふれ、王監督イチロー選手との一体感に酔った。昭和三十年代に野球少年だった小欄などは、もう夢心地だ。(三月廿三日)
……と、まさに「臆面もなく」とはまさにこのこと。「東京裁判史観」とか騒ぎ立てる一方、中国戦線での敗北を完全に無視する態度と全く同じぢゃないかしら。

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