富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

農暦十二月廿九日。午前二時半頃に週刊文春のエイチエス証券副社長沖縄で怪死の記事読んでいて眠りに落ち午前六時起床。大晦日。山歩きのつもりが朝方の雨で断念。机まわりの雑用済ませ雑誌や新聞の切り抜きなど読む。昼すぎに一つご公務済ます。晦日ゆゑ九龍の風呂屋に参り垢擦り、按摩。端午の菖蒲湯、冬至の柚子湯ならぬ晦日に風呂に浮かぶ草木の一枝は何か余は合点もいかず。FCCのバーに早晩の一酌と思ったが晦日で営業は確か午後四時まで。氷雨のなか帰宅。韮と豚肉の鍋。
▼岩波『世界』十月、十一月号など今ごろ読む。「総理専制政治とどう対決するのか」など読むと先の「郵政」総選挙の茶番ぶりを学者はきちんとわかっている。小泉三世の何処がペテンなのかも明らか。だが一般的には支持される小泉三世。社会もまた分層化は深刻。
長唄の吾妻八景、について。久が原のT君から、この曲を先帝付侍従長入江相政老が随筆で絶賛したこと、但しただし入江さん、最後の弁財天の件から曲がぐっと落ちる、とのご意見。また荷風散人の母堂もこの曲を好み六本の高調子で楽に歌ったと、教えられる。
朝日新聞(衛星版)廿六日の論壇に松原隆一郎・東京大教授(社会経済学)の「犠牲容認する利益社会」という文章あり。ライブドアが行ったのは「資本主義」という経済制度の下では誰もが形を変えてやっていること。資本主義経済では企業が技術革新=未知の分野に挑むこと、で利潤を生む。ルールの事前規定はない。資本主義そのものがルールのグレーゾーンを開拓するよう動機づけする。堀江氏の「想定内」という言葉は資本主義の本質に関わる。他の人々が「想定外」に置く事柄をいち早く「想定内」にしてしまった人が儲かるシステム。ルールが改定されれるまでの期間に何をして良いのかは当事者の倫理(狂牛病の問題が明らかになる以前から牛の肥料に肉骨粉を混ぜることが不気味と感じるセンスとか)に任せるしかない。そして株価は企業の将来価値を反映するが将来価値が何であるかは誰にもわからぬもの。このような資本主義で誰が将来の想定できぬリスク管理が出来ようか。小泉政権が目指す「純粋な資本主義」(残念ながら、この文章だけでは松原教授の言う小泉政権の「純粋な資本主義」の定義は見当たらないが、そのくらいのtermは朝日の読者なら常識、なのだろうか、新自由主義と置き換えたほうがわかりやすい)は「犠牲者の被害よりも犠牲を逃れた人が利益を上げることを重視する」「ライブドア事件は、そうした覚悟を我々に迫っている」と松原氏。小泉三世は「誰にもチャンスがある」と言うがチャンスはあるのは事実だがチャンスを活かし成功した者だけが利益を生める資本主義社会への突入なのだ。実はまんまと騙されそうな人たちが小泉改革が自分の人生を変えるチャンスになる、と小泉三世を指示するペテン社会。
▼同じ論壇に米国の思想家ジュディス=バトラー女史の(この人を「女史」なんて呼んではいけないのだろうが)ジェンダーについての記事あり(由里幸子編集委員による)。ジェンダー(社会的性差)どころか自然の摂理であると思われていたセックス(=生物学的な性別)にすら「自然な男女」という観念が<権力>が形成した幻想=セックスに対する限定ではないか?とする。石原や梅原が聞いたらゾッとする理論(笑)。ところでこのバトラー女史自身がレズだそうだが同性の「結婚」に対しては同性のパートナーと暮す彼女は自身は「結婚」という形はとりなくたい、と。結婚の制度に加担せぬことで「国家の規制に反対し、権利を拡大するとともに、国家からの自由もまた追求すべきだ」と。先月だかエルトン=ジョンの「結婚式」が話題となったが同性愛者がなぜ結婚に拘るのか、は余も理解できず。異性愛者と平等な権利、とするが結婚という制度(愛情とは別)の背景を考えれば同性愛者までが制度に加わることが国民年金ぢゃあるまいし不思議な話。いずれにせよ石原的には「レズの左翼学者が何が国家の規制だ、権利だ、とほざいて社会を荒廃させている」だろう。

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