富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-10-21

十月廿一日(金)快晴。早晩にFCCにてハイボール二杯。Chicken Tekkaのサンドイッチ食す。新聞読む。世界電影経典回顧2005の第2節で中国電影回顧の特集は監督が「沈浮」と「水華」で(いずれも監督名)、本日は沈浮・監督の『萬紫千紅總是春』(1959中國カラー114分)を観る。新中国は56年の百花斉放百家争鳴の開放路線から翌57年には一転して反右派闘争となり58年には人民公社が成立。時代は教条的社会主義まっしぐら。この映画も御他聞に漏れず上海の吉祥里なる土地を舞台に「やればできる」の精神高揚作品。だが沈浮の凄さはこの土地に住まう住民を、嫁と姑、夫と妻、工場の女工同士のそれぞれの確執をテーマにしているところで、中国の革命映画としてはかなり異色。皆、工場の女工でこのコミューンの指導者的立場にある中年女性を中心に皆で協力し問題を解決してゆく姿勢が教条的だが、それを除けば山田洋次的でもある……あの葛飾柴又もまたコミューンか。だが、その革命よりも人の義理人情のような浮沈の世界が六十年代の文化大革命で非難されぬ筈もなく沈浮監督は63年の作品『北國江南』(今回は上映されず)がブルジョア保守作品として非難され75年に『阿夏川的秘密』の制作まで強制労働の身。この『萬紫千紅總是春』はそれほど、社会主義も教条的だが一応は理想主義で皆で協力して理想的な社会を建設しましょう、という点では党のプロパガンダ作品とはいえず。党の指導だの党領袖の思想云々は一切ない。で、これが監督の力量か、と感心して観ていれば、最後の最後で夫との不和も解消されかけた妻が家族で久々の和む夕食の前に「ちょっと工場へ」と出かけてゆく最後のシーン。手には何か大切そうに画筒を抱え工場に着けば壁にそのポスターを貼る(依然として何か見えない)。工場では仲たがいもあった同僚が一人現れ二人は寄り添い目をウルウルさせて壁を見上げる。でポスターは、と言えば偉大なる領袖、で毛沢東。なるほどね。最後の最後に毛沢東肖像画掲げ「毛首席の指導のもと新中国は発展してゆくのです」とまとめることで、この義理人情映画が59年に当局の放映許可を得たか。場合によっては最後の毛沢東のシーンだけカットすることも出来る。非常に政治史的にも興味ある作品。それにしても偶然隣席から並んだ5人ほどの15、6歳の女学生の五月蝿いこと。明らかに自らの興味でなく愛国主義学校の課題学習なのか興味もないのに見に来た由。映画上映始まってもひそひそ会話続け携帯のメッセージ送受信で注意勧告するが、また暫くするとペチャクチャと始める。中国のいかにも共産主義的な場面では笑う。隣の友達に「ちょっと、こんなに話してるとまた怒られるよぉ」の態度で、これほどのバカには言葉は通じぬと思い隣席の娘の椅子の脚を蹴り威嚇。本人の足を蹴ると警察沙汰だが、脚を組み換えた拍子に当たった、と言える程度、だが暴力的威嚇。さすがに静まる。バカには言葉は通じない。このようなバカが若者が成人して同じ時代を共有すると思うとゾッとするばかり。荷風先生が昭和に入り銀座で野暮に馬鹿騒ぎする愛国学生見てゾッとする気持ち痛感。通路はさんだ反対側ではいかにも招待券で来たババア二人が画面見ながら「あ、息子が泣いている」だの「昔は野菜とか安かったんだろうね」と昔の上海の市街場面見ながらの世間話にも閉口。年寄りも若者もバカなのだからどうしようもない、か。ところで上海市街の実写で老舗の風呂屋・大観園が映っていた。今でもあの建物のまま現存するのだろうか。終わって銅鑼湾まで地下鉄で参りバーSに寄る。亭主M氏に明日からのイベントの挨拶のつもりがお決まりの如くF氏が独りカウンターにおられ小一時間飲みF氏と一緒に十時半には辞す潔さ。バーはこの程度で佳し。
▼昨日律政司長(司法長官)に就任の黄仁龍君。弱冠41歳で香港の皇仁書院からケンブリッジ大学法律学んだ英才だが資深大律師(高級弁護士)になって僅か三年で自称政治家Sir Donald君が黄弁護士を知り僅か四ヶ月での抜擢は多少「怪しい」ところもあり。而も梁愛詩の後任には香港終審法院首席法官(最高裁判所裁判長)の李國能君の登用が噂され親中土共派まで中道の李君の推挙を受入れていた、といふ。それを翻しての黄君の登用経緯はまず黄君の義父(妻の父)が香港政界の長老・鐘士元君と商売仲間であった由。黄君は五年前に北京で国慶行事に香港の法曹界代表の一員として参加。その若さゆへ精鋭と多少評判になったが北京側も事後、この代表団への加入には鐘士元の「引き」があったこと知る。いずれにせよ中央の知るところとなった黄君はその後いくつかのシンポジウムなどで中国側の御用学者らと会う機会あり実質的な「面接試験」いくつか経てSir Donaldはほぼ人選終わった結果で引き合わされたようなもの。
▼信報の連載随筆で徐詠旋女史が東京の六本木ヒルズアカデミーヒルズ会場に香港の大学資助委員会と東京の香港経済貿易代表部の共催「日本と香港青年論壇」について書いている。香港の大学教育紹介し日本からの留学生招聘のためのイベント。でシンポジウムのテーマは「日本の流行ファッションが香港の若者に与える影響」「恋人をみつける環境……香港と東京の学生比較」「香港と日本−科学と工学の学生比較」「変貌する大学教育−日本と香港で学生に与える影響」「世界的視野からみた希望と挑戦」「マルチリンガル文化の中でどうビジネスを展開するか」「外国での仕事を通じて見た適応性とクロスカルチャー比較」……が並ぶ。シンポジウムに参加した日本側の大学教授は「香港の若い男性は女性にプロポーズできない」と宣ったそうな。比較文化とか学問として成り立つことに我はとても疑問。

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