富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十二日(水)左人さし指の突き指内出血もありかなり腫れひどく(このままではピアニストとしての将来を棒に振るかと懸念し)養和病院に参り診断を請 ふ。レントゲン撮影までされ骨には異常なく内出血も転んだおりの外圧で様子見るように言われ様子見るにも腫れと痛みひどく処方もなきゆへ湾仔の骨医梁仲偉尋ね揉解のうえ漢草の湿布の処方。高齢の梁仲偉すでに引 退し久しく二人の授男が継ぐ。処薬のあと包帯巻く様など一見仕事粗いが見事でそのへんの看護婦にと ても真似できず。左手人さし指が包帯まかれてはキーボード打つにかなり難儀。晩のニュースで「自称政治家」Sir Donald君の初の施政方針演説の報道見ようかと思えばニュースの巻頭は中国の有人ロケット神州6号打ち上げ成功。宇宙開発が米ソ冷戦から国家威信かけ る業なのは理解するがアポロやソユーズといふ天体の名前に比べ神州ぢゃ皇紀二千六百年の日本か今日の中国か、でナショナリズム露骨すぎやせぬか。この有人 飛行、悪天候の影響で宇宙滞在を予定より数日早めて帰還らしいが宇宙の悪天候がどんなものか素人なので余はわからぬ。悪天気と交通渋滞、仮病はよく遅延だ の不慮の理由によく用いられる由。中国の科学の進歩を世界に知らせ、もよいが辺境窮地には机どころか教室もない学校にて学ぶ児童あり。晩の国家規模の中国 運動会の歌舞音曲豪勢な開会式の中継も見るにつけ人民の福利厚生こそ宇宙開発より急務と思えてならず。で本日の雪降る内蒙古泉州の打ち上げ現場に温家寶 温家寶首相ら政府要人と並び董建華君の姿あり。確かに全人代副主席で政治要人の末席を汚すかも知れぬが期待の香港政府初代行政長官を実質的に更迭され而も 本日は後継者「自称政治家」Sir Donald君による初の施政方針演説の当日。その日に宇宙船打ち上げ見物とは(而も、そのポカンと口開けて発射眺める様が中央電視台で大写し)さすが厚 顔無恥極まれり、といたく感動。文芸春秋11月号読む。了見といふものの乏しさ。選挙前は(とくに週刊文春で、だが)かなり小泉三世に厳しかったが一転し て「郵政よりも憲法だ」と石原慎太郎に吠えさせて一気にこの自民党多数で「やることやっちまえ」の節操のなさ。ちょっとしたことだが気になったことも一 つ。最近とても気になるのが小熊英二先生に触発されたか歴史の言説のいい加減さ、なのだが例えばこの文芸春秋でも「戦後の子ども60年」といふ写真グラビ アに終戦後の浮浪児の写真ありキャプションに「放心状態の大人と違い、子どもはボロをまとっても、逞しく生きていた」とある。何気なく読めてしまうが実際 には大人でも子どもでも放心状態の者は放心状態で逞しい者は逞しい。それが勝手に「戦後のなかで」大人=放心状態、子ども=逞しい、といふ言説に置き換え られてゆく。ちょっとしたことだが歴史の印象はこうして作られる。次の写真も「昭和30年代、まだ舗装の行き届かない表通りは行き交う車も少なく、絶好の 遊び場だった」とある。1956年の栃木県での写真。事実は「商店街といふにはお粗末な住宅兼用の店の軒先。そこにちょうど小さなボンネットバスが止まっ ており子どもたちがカメラのまえに群がっている」だけなのだがキャプションは写真を見て勝手に「まだ舗装の行き届かない表通り」「行き交う車も少なく」と 物語ってしまう。本当にこの通りが栃木県のどの市街の表通りなのか、道路に行き交う車も少ない、も1956年ではかなり無理な話ではないか、と疑問。そう した「ナントカはこうだった」が勝手に常識化する。文芸春秋的な歴史観や思想こそ(今月も敗戦特集だが)そうした共同幻想に支えられたものであるのかも。 これが了見の狭さに通じる。ところで文春のお家芸朝日新聞批判で朝日の記事偽造問題で秋山新社長の発言が詳しく紹介されているが社長本人の発言にあつた が後日の活字からは削除されたといふ部分が実に興味深き内容。読者には二種あり固定層と景品の勧誘で朝日と読売を三ヶ月毎に交換する層。後者は景品、つま りカネをかければ獲得できるから簡単だが前者はずっと朝日を読んできたが新聞への信頼がなくなるなど一旦購読を止められたらもう戻らず。その固定層の読者 の朝日離れが深刻、といふもの。その発言が「カネで読者を」など軽率だったとして活字化されなかったそうで文春もその朝日社長の不謹慎発言を揶揄。そうだ ろうか。朝日の最も根本的な問題を言い当てた発言として事実は事実で評価すべき。まさに朝日の問題は朝日らしさに共鳴して購読続けてきた読者の朝日離れ (というか絶望的な新聞離れ)であり新聞が景品つけての販拡で発行部数稼いできたことの竹篦返し。新聞が真摯な固定購読者層の乖離をきちんと認識すべきこ とで、ぶっちゃけた話は要は「景品で釣れるようなバカは販売に任せてどうでもいいのであって、どうやって教養ある朝日の読者に応えられる質の高い新聞であ るか、もう一度考え直すべき」の秋山社長コメントは大事。今後、大部数の維持など所詮無理なのであるから会社規模を小さくして本当の意味での Quality Paperに特化するしかあるまひ。まず急務は文春でも嗤われていた報道と営業兼業の地方「総局」、それに私から見ていればスクープのとれない海外支局の リストラ。海外の新聞社がどれほどの少ない人数で紙面制作しているのか見たほうがよい。もう今更無理、な日本の新聞社の巨大化なのだろうが。
▼宇宙といへば『プチ・プランス』なる書籍(グラフ社刊)。一瞬、プチ・フランス、かと思ふ。このタイトルでは何かさつぱりわからぬ。これが版権自由にな つた日本では長く岩波書店の『星の王子様』で好評の“Le Petit Prince”の新訳の一冊。確かに“Le Petit Prince”は「ル・プチ・プランス」だろうが「プチ」は我が国は小資本家(プチブル)で定着の仏語でも「プランス」は外来語として馴染みなし。マロ ン・グラッセの「グラッセ」ほど定着もしまひ。
重陽節に高い所に登る故事について。重陽は別名「登高」。茱萸(「シュユ」→日本語当て字の「ぐみ」とは別の、山椒の類木)入れた袋を腰に下げ高所に 登って菊酒を酌むのが「重陽=登高」の日の古例。茱萸袋・菊酒はともあれ香港にこの習俗ありと知り感服、と以上久が原の畏友T君より。東漢の時代に桓景と いふ人或る道士訪ねると農暦九月九日に村に災難あり。家族連れ高い所に登り菊酒飲み難を避けよと言われ従いて難を逃れる。それ以来の風習とか。この季節は 菊の花も見事。菊花には解熱解毒の効用あり茱萸、蓬も古くから霍亂(コレラ)治療にも用いられ菊根は除虫菊の名の通り。日本では菊花畏れ多し。
身にあまる菊の香りに包まれて
は六世歌右衛門が昭和54年文化勲章拝受の謹詠。真紀子大臣更迭の際に陛下に「嘘をついた」首相も先の総選挙自民大勝にて浮かれ気分。菊花にて解熱解毒が 必要か。
▼築地のH君にYomiuri Weekly誌のアンケート「現代日本の教養人は?」の2位に小泉純一郎さんがランクイン!と知らされる。H君曰く、色白美白芸能人に松崎しげるをランク インさせる如し、と。御意。「教養」という枠組みが崩壊したと同時に言葉の意味さえ失われたのか。1位が北野武。現代人は「教養」という語からトリックス ター的な人物像を連想するようになったのでしょう。広辞苑の定義がいつから変更されるか注目、とH君。もはや大江健三郎は「いつも真剣になにをそんなに憂 いてるの?」であろうし加藤周一は「モウロクしないおじーちゃん」で樋口陽一先生は「もっとわかりやすい日本語で話してくださーい!」か。村上陽一郎氏が あえてこの時代に教養の復権を提唱されているが小泉三世が2位の教養ラインキングに村上先生はどう答えるか。

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