富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-08-31

八月三十一日(水)晴。総選挙の公示内容を朝刊で眺める。北関東に埼玉も算入されていることを知る。多少は常識的な(北関東的には非常識な)選挙結果期待できるのかも。定数20に対して自民39、民主32、社民・公明・共産が各4と新党日本1の立候補。公明4人全員当選、社民の0、新党日本の埼玉的な1が確実で共産が1か「よくいって」2、で残りの33か34を自民、民主がどう分けるのか。北関東であるから7:3くらい、埼玉が常識的に投票して6:4くらいで「小泉さんの改革支持」で自民党の郵政、否、優勢であろう。昨日、安倍晋三君は札幌で「東京駅前の中央郵便局は小さい建物だ。しかし民間会社にすれば50階建て、60階建てのビルが出来て、この建物に入りたいという会社が殺到する」と郵政民営化をアッピール。札幌市民をバカにしているのだろうか。これが自民党の次期首相候補とは。1933年竣工のあのモダニズムのビルは美しい。ブルーノ=タウトとアントニン=レーモンドも絶賛したといふ逓信省営繕課の建築技師吉田鉄郎の設計。タウトは柱と梁による日本の伝統的な意匠がこの中央郵便局に反映されているとして「モダニズムの傑作」と評価したといふ。北海道民はあの東京中央郵便局の建物を見たら「シンプルできれいだね」と思うと信じたい。それを御祖父岸信介先生が1930年代に若手官僚として跋扈されたであろう帝都の現代に残る歴史的な建物を、ただ「小さい」と指摘して高層ビルへの立て替えなど言及するとは。何といふ祖父への遺徳知らず。早晩に帰宅してズブロッカをロックで一杯。東京の外国特派員協会での選挙絡みの記者会見の映像いくつか眺める。新党日本の垢抜けなさ。田中康夫ちゃんが本来は「北朝鮮じゃないんだから」と絶対に嫌いそうなのにバッチ好き。で結党の4名で新党日本のバッチが襟に目立つ。29日の6党党首会談も田中康夫不在は面白みに欠け同日の安倍晋三君の会見を見るが当然、面白みに欠け、結局、www.videonews.comで神保&宮台の平野貞夫氏(前・参議院議員)加えての「小泉政権創価学会」を眺める。創価学会といへば公明党で最近、余が気になるのは公明党議員の顔が自民党顔になつてきたこと。昔は公明党には公明党らしい丸顔だつたのだが今は神崎代表など自民党議員の相である。それにしても公明党は自らの存在が二大政党制の中でどれだけ大切か力説するが公明党さえなければ政党政治がもつと面白くなるのも事実。自民も民社も公明党と手を組まねばならぬ、といふ「うざったさ」を宮台先生も指摘しているが。いずれにせよ公明党の存在は政局の動き以外の部分で近い将来の党と支援団体内部で某Xデー以降に大きな変化を見せるかも。平野貞夫氏の登場ゆへ先帝の核不拡散条約に関する「政治介入」の話題から天皇の政治性について話題が移り今上天皇の(米長某による暴走に対しての)国旗国歌強制非難の発言についても陛下があゝ仰つても政府与党が陛下のお考え無視したまま国旗国歌強制続けることの欺瞞性など話は面白い展開に。平野氏から見れば先の郵政民営化での衆院解散は衆議院では民主党からの小泉内閣不信任案の動議に対する小泉三世による衆院解散。郵政民営化法案を衆院に持ち帰り審議の上での解散なら郵政解散。今回の選挙はそういう意味で小泉内閣信任投票と考えられるべき。それにしても今月八日のあの衆院解散をネットで見直してみたが(こちら)わずか三分のあの儀式。それへの参加と解散しての万歳だの握手。政治家ほど非熟練でも可なる非知的なる単純労働はこの世になし。もう一つ平野氏の指摘で面白いのは名指しで「小泉純一郎の重大な憲法違反」について。真紀子大臣更迭で小泉は陛下に対して嘘をついた、と。実際に深夜の突然の更迭決定で真紀子大臣から辞表が出ているわけもなく罷免とすべき。辞表も出ておらぬのに罷免せぬままの更迭で、平野氏は衆院予算委でこの点を追求しNHKの中継でも流れると自民党から人が遣られ「その点には触れないで欲しい」と言うので平野氏が「それならきちんとしろ」と言うと翌晩にようやく真紀子大臣が辞表提出。すでに後任の外相が決ってからのこと。これが事実であれば首相引責で内閣総辞職。戦前なら米長某の舌禍でも内閣総辞職であろうし首相の虚偽上奏など言語道断、そう思うと何度、大きな政治変革の機会があるところだろうか。それが平成の、この社会ではワイドショーの話題で終わつてしまふから。本日かなり久々に日刊ベリタに9月下旬の自称政治家Sir Donald率いる民主派(反愛国)議員含めた立法会全議員での広東省視察旅行批准と香港鼠楽園開園の記事送稿。
▼九月三日の抗日戦争勝利記念日。六十周年が政治的に上手に利用される。中共側は抗日戦争での共産党主導の地位の優位は譲らぬものの国民党の抗戦貢献を初めて評価。そればかりか台湾住民の日本統治時代の抗日運動も評価。当然、1945年から国民党入台までの時代の台湾共和国建国運動などには触れず。台湾に住まふ国民党の旧幹部将校らに記念行事に合わせての大陸訪問も歓迎、と。また完成から10年お蔵入りされていた、国民党軍の奮闘描いた抗日戦争映画『鉄血』の上映もされる見込みで昨日、内部試写の形で上海黄埔軍校の退役兵ら参観。これに対して台湾では李登輝総統に追われた国民党の元・首相である?柏村君が久々に元気そうな姿見せ国民党軍で若い頃に蒋介石の侍従武官であつた立場で抗日戦争では明らかに国民党軍が主導であつた点を力説。寧ろ中共軍が抗日戦での損傷少なかつたことが国共内戦で有利に作用したこと暗示するが?君ですら国民党と中共との立場を越え中華民族としての抗日であり三千万人が犠牲になつたことを強調。日本側は「どこまで謝れば中国側の気が済むのだ?」といふ不満もあろうが寧ろ抗日という観念でもつて中国と台湾との間が平和裡に関係維持できるのなら中国側の抗日観、抗日感も敢えて「加害者の立場に甘んじて」受け入れることも、ちょっとその発想に危なさもあるのだが宮澤賢治的に(危ないのは賢治的なるものが発展すると石原莞爾的なところに行き着く可能性も孕むこと)大切かも知れぬ。
▼かなり久々に日刊ベリタに9月下旬の自称政治家Sir Donald率いる民主派(反愛国)議員含めた立法会全議員での広東省視察旅行批准と香港鼠楽園開園の記事送稿。中国に89年の天安門事件での国内民主支持依頼、内地に入れずにいた民主派。97年以降に立法会で今では自称トロツキスト梁国雄君までが立法会議員に推挙され、つまり中国の法的に認められた香港の議会の議員でありながら内地に入境も許可されぬといふ大きな矛盾にあつたが、今回の全議員の内地視察批准は中国政府も香港の立法権に一定の代表制と社会的地位与えるもの。今回の自称政治家Sir Donaldのこの視察旅行企図は、さすが自称「政治家」であり、自らの起案を中国が批准し全議員を視察に誘ふということは、中国側にしてみれば反愛国運動家を自らが招聘したことにはならず民主派運動家にしてみれば視察受け入れた形で自ら内地入境について「折れた」ことにならぬといふ、政治的智慧と讃めたいところだが(信報は林行止でこう讃めているが)本当にこの策略を巡らしたのが香港政府の自称政治家Sir Donaldなのかどうかは不確かなところ。
朝日新聞内田樹神戸女学院教授・仏現代思想)の「生者は儀礼決められぬ」といふ靖国論争めぐる論説あり。靖国を巡り首相参拝に賛否あるが内田先生の指摘は賛否両論とも根本には「死者は正しく祀らねばいけない」といふ発想あり。死者は正しく祀られるべきだが生者は何が正しいのか正しくないのかわからず。もしわかるとすれば死者を活殺自在といふ権限を生者に付与されることで、これほど死者の眠り乱す不遜な考え方はない。とすると大切なことは死者のために/死者に代つて何をすべきか「知っている」と主張する傲慢な司祭を押し止めることであり(この「死っている」者の極端な形がテロリスト、と)、死者の無権利への気遣いと畏れをどういう形にすべきか「その答えを私たちは知らない」といふ無能のうちに踏みとどまること、それが服喪者に求められている節度、と。御意。これでいへば小泉三世の「首相としての」靖国パフォーマンスも靖国反対だからと国立の慰霊施設建設だの、と死者を弄ぶことこそ<死>への畏怖も畏敬の念もなき行為。これに対して思い出すのは路地の寺の前でふと足を止め合掌するバンコクの市民の姿。何も大げさにされること=政治に取り込まれることなく、ただ日々の生活のなかで死者を弔ふこと。

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