富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

八月廿四日(水)また雨。石巻で14歳の少年が宮城県北の登米の駐在所に 「夏休みの自由研究」と称し警察の仕事の内容聞きたいと訪れ57歳の警官の隙をついて刃物で襲う事件あり。死のうと覚悟した14歳の少年も定年間際の57 歳の警官もいずれもさぞや無念の一言であらう。希望がない話ばかり。加藤周一夕陽妄語」はもう毎年だが真夏の夜の夢で加藤の傍に現れた幽霊や亡霊との対 話。一夏とて「去年に比べれば今年は少しはマシか」なんてことはずつとない。毎年、幽霊と加藤との対話は世を憂い居て深く陰鬱となる。そんな日に選挙公示 前に朝日の社説が凄い。郵政改革について(こちら)。朝日の郵政 民営化支持は今さら驚かぬが郵政問題をダシに選挙前のこの時期に「自民党案に懸念はあるが、将来の姿がみえない現行の民主党案は、さらに問題が多い。私た ちはそう考える。」と明らかに民主党を退け自民党支持掲げる。これもメディアの小泉自民党支持の一環なのだろうか。こうなるとますます産経新聞の良識に期 待かけるしかない(笑)。で、ところで最後の「私たちはそう考える」って、私たちって誰? 論説委員室でここまで意見がまとまつているのだろうか、すら疑 問。怪しい。早晩に北角新光戯院にて明日の京劇の切符購入。かなり誤解していたが北角の豆乳はいつも購入の店は「天天」で公和に非ず。書局街の豆乳激戦地 は見れば公和が潰れており天天の一人勝ちの様子。帰宅。パスタ。山東省の葡萄酒。晩のNHKのニュースで自民党の悪役顔の幹事長武部君が新党2つについて 「新党というより選挙互助会」と感想述べ「選挙互助会といえば自民党だろうが」と思つが、そのあと新党日本田中康夫君が「選挙互助会自民党」で「民主 党も社民党から松下政経塾まで呉越同舟」と指摘。
▼朝日に「小泉劇場に何を見る」といふ宮崎陽介なる記者の分析記事があつた。小泉政権では世論調査の支持率の中に小泉劇場というドラマの視聴率も含まれ る、といふ指摘は言い得ている。昼の低俗なるバラエティ、つまらないテレビドラマ的関心のレベルでの高視聴率。高視聴率でも任期延長せぬといふ主人公(小 泉)の発言で好感度。八十年代の初めロン・ヤスの政治を「劇場国家」と称したもの。が今にしても思えば劇場演劇であるだけ小泉プロダクションの安手の三流 テレビドラマよかずつとマシ。
蘋果日報八月廿一日に掲載の陶傑氏の随筆「胡文海」。大陸にはなぜ鉱山事故が多いのか。その問題の背後には一つの真実の物語がある。2000年暮れに山 西省の公安当局が一人の殺人犯を捕らえた。名は胡文海。公安局で公安が彼に尋問する。「何でしょっぴかれたかわかるかい?」 胡文海は答える。「知っます よ。数人だか殺したからでしょう」。公安は机を叩き「数人だと? 十四人も殺したんだよ」 胡文海はちょっと考え「十四人じゃない。十七人のはずだ」 公 安は「殺したのは十四人だ。残りの三人は死んではいない」と説明する。「生きてるのがいるとは知らなかった」と胡文海。公安が「後悔してるのか?」と尋ね ると胡文海は「そりゃ後悔してますよ。女の子がいたでしょう、殺されたなかに。家族で巻き添えになった。まだ殺されてない相手がいる、ってのに」。「殺さ れてない相手だと?」と公安。胡文海は答える。「何人かいてね。ヤツらがあの村の共産党支部の書記と主任だった当時、三年で五百万元勝手に使って村にある 三つの炭坑のうち二つを買い取った。ヤツらの罪状を俺たちは上部に訴えたが聞き入れられもしない。去年六月、ヤツらは俺を待ち伏せして鍬で殴りかかり俺は 数十針も縫う怪我をした。村の支部書記はそのうえ人を遣って俺を探してカネまで奪おうとした。俺はその時に殺してやろう、って気持ちが起きたんだ」。 裁 判では共犯の男も上げられたが胡文海は共犯の男は殺人はしておらず自分に銃で脅かされ殺人を幇助しただけ、と主張する。判決は死刑。山西法制報(新聞)の 記者が、汚職の公務員を殺すことが避けられないと判断したにしてもなぜ家族まで殺したのか?、と質問した。胡文海は「ヤツらの子どもまで殺さないと、その 子どもらが大人になった時に自分の子どもらが面倒な立場になる……」と目を潤ませた。2001年の聖誕祭の日、胡文海の最期の陳述があった。「自分は新社 会に生まれ赤旗の下に育った。一人の正直な人間になとう、と願った。しかし年々、村の幹部の汚職、贈賄はひどく、農民を圧迫し、村の小さな炭坑も農民が長 年、命がけで採掘し四百万元も上納金を納めた。この四年来、自分は村民に選ばれて、さまざまな問題を公安に訴えてきた。公務員が三十万元の自動車を所有す ることなど本来、何も問題にされないが、世の中の不公平を訴えてきた。もうこれ以上、自分は奴等をどうすることもできない。もうすぐ死ぬんだ。しかし、自 分の死が、それでもし国家がそれに注意を向けるなら、汚職の現実を調査するなら、それでいい。だが、自分あどうしても奴等を見逃すことが……」と胡文海は 泣いて最期言葉にもならなかった。法定は一瞬、静まり返り、沈黙していた傍聴席から熱い拍手が始まった。裁判官は小槌を打って叫んだ。「静かに! 聞こえ ないのか、静かに」。
▼筑波と秋葉原を結ぶなら筑波エクスプレス(TX)よか「筑波原鉄道」は如何か、が本日開業。「つくば」と「あきはばら」で筑原(つくばら)鉄道もいいが 秋葉原は今は奇妙に「あきはばら」などと呼ばれるが元来、江戸では文字通りに「あきばはら」で薩長など田舎者が「あきはばら」などと訛った由。今でも東都 には秋葉原を「あきば」と略す者少なからず。ゆへに「つくばはら」の方がよかろう。始発が産学共同の人工都市都心なら筑鉄の都心の終点が秋葉原といふのは 面白い。筑波の地に研究学園都市できて早や四半世紀。昔は自転車でエコロジーが売りだつたが都市化で自動車なければ生活できず。交通事故の多さは茨城でも 筑波は驚異的。研究者多く運転中も実験内容について思案か、ただボーッとしているだけか、とにかく区画整備された市内で事故多し。東京〜筑波間は大した数 ではない東京在住の研究者、学生の通勤通学が主で、秋葉原御徒町、浅草、南千住に北千住、青井と「こち亀」のような下町を縫いて埼玉、千葉、茨城の「か なり郊外」の住宅地の通勤に依存では乗降客数に期待できる筈もなし。関東つくば銀行といふ地元銀行の調査では県内の主要企業数百社のうちこの鉄道開通で業 務上の利用があると答えた企業は三割にも満たず。自動車道路なら波状的に利用が広がるが鉄道は「駅に行って」利用しなければならぬのだから人口密集地でも なければ(バンコク高架鉄道のように)利用効率よいわけがない。「田舎に鉄道は造らない」という当たり前のことだが茨城県元知事・収賄で有罪の竹内藤男 君らの土建地方自治の置き土産での祝開通。
▼マンダリンオリエン タル香港が中環のランドマークに本日ホテル開業(こちら)。数ヶ月 間前よりランドマークの山側で工事続き埃と騒音甚だしい中にMandarin Oriental Landmarkといふ大きな看板あり「ケーキ屋だか土産物屋にしては大規模」と思つておれば、これがマンダリンオリエンタル香港のホテルの来年一年かけ ての大規模な改築工事に向け、その代替としての営業手段。てっきり飲食部門だけかと思えば、あの狭い敷地内でどうしたのか知らぬが宿泊部門も最低で54平 米の客室設えてのプチホテルとして営業とは。蘋果日報の左丁山氏の随筆で先日この開業を知つたが此処のMO Barが紐育のマンダリンオリエンタルの同バーよかChicになる期待だそう。左氏の指摘通りSARSの惨禍に見回れホテル業界惨憺たる03年に一年閉業 しての改築であれば、と結果論だが。で1年かけてのマンダリンオリエンタル香港の本体の改築は、このホテルも出来て半世紀の老朽化で対抗ホテルの豪華さに 比べ質では対応できても部屋の狭さが深刻。全室バルコニーつきは香港では白眉だが中環の中心で大気汚染と騒音でバルコニーなど死んでいるのも事実。で今回 はバルコニー潰して部屋の拡充……って初期の公団住宅の改築と同じか。何よりも今年末だかのFour Seasons Hotel香港の開業がマンダリンオリエンタルを大規模改修決定づけたのだろうが、出来ればFour Seasonsの開業に間に自社ホテルの改築完了も合わせるべきであつた。Four Seasons Hotelといへば当初Regent Hotelの買収をほぼ仕留めたのがInter-Continental Hotelに攫われ香港での営業展開足止めかと思われた。また、それとは別に中環のIFCに大型ホテル建設の計画持ち上がり建物老朽化著しいマンダリンオ リエンタルがIFCに新規移転し旧ホテルの一等地を商業施設兼高級オフィスビルとして再開発といふ話も一旦は具体化しかけたがマンダリンオリエンタルは既 存のホテルでの営業継続を決定。でIFCのホテル部分を最終的に得たのがFour Seasons Hotelといふ一連のホテル業界のお話。いっときはホテルでの飲酒、飲食に興味ももつたがホテルに品格といふもの乏しくなり「カネさえあれば誰でもい い」客あしらい、スタッフの威厳と経験の乏しさ、五月蝿い客の質の低さと野暮さに最近は殆どホテルの利用もせず。

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