富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-08-06

農暦七月初二。晴。「前略御免ください」と旧知の浄瑠璃本研究家神津君からメールいただく。神津君ご指摘で余の赤面はM君からいただいた旧知のK君が揃えてくれたDVDのうち「桜鍔恨鮫蛸」はタコ(蛸)に非ずサヤ(鞘)で「桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみのさめざや)」の「鰻谷」は人形浄瑠璃と片岡家の十一代目仁左衛門選定の片岡十二集の一つ。刀の鍔に対して鞘、を「鮫」の次で「蛸」と打つたはお恥ずかしいかぎり。また「裙重浪花八文字」は「なにわの」の「の」は不要で「つまがさねなにわはちもんじ」と読むそうで、これは神津君の「浄瑠璃本の包紙(漢籍にては「封面」ヵ)の振り仮名で、確定の読み方」と丁寧な説明も門外漢には一瞬「?」だが浄瑠璃本で「包紙」と言われると文字通り浄瑠璃本の包装紙など想像してしまうといけないからと神津君はわざと「漢籍にては「封面」ヵ)と註してくれた親切で成程ね、判明。封面(feng mian)とは「綫装書指書皮裏面印着書名和刻書者的名称等的一頁」(商務印書館現代漢語詞典)具体的にこの画像見るとわかりやすいが書名と昔は木版でその刻版の版元の名が記された頁のことで、つまり彼の説明の言わんとするところは「つまがさねなにわのはちもんじ」との読み方もございますが浄瑠璃本の包紙(つまり封面)の頁の振り仮名に「つまがさねなにわはちもんじ」とあるのですから、こちらが忠実、といふこと。と思ふ(多分)。昼前にペニンスラホテル。M君とK君の離宿に付添ふ。M君の部屋で昼まで歓談。中村屋での覚醒剤騒動をM君にお教えする。築地のH君の「ポンは先代譲り」といふコメントからM君と戦後あの当時の芸人らのヒロポン流行りの話。だが、ふと思えば今回逮捕された大部屋役者は年齢からすれば先代の勘三郎亡くなつた昭和63年は本人15歳では先代の舞台は見ておらぬかも。ポンは先代譲りと言われても先代が何事にも一途であつた人柄など知る由もなし。部屋を出る時に余が何処かに置いた万年筆を見失い「あれ、あれれ」と部屋を見回し捜していたらM君が「それじゃ『晩春』の杉村春子だねぇ」と笑ふ。あのシーンひとつで何十回も撮直ししたのかしら、とZ嬢。誰も探すのを手伝つてくれず。孤独な撮直しの杉村先生の気持ちも少しわかつた気分。すでに筆入れに仕舞つていたのにソソッカシイ。女優で「先生」と呼ばれるのはやはり杉村春子東山千栄子。いま大女優と呼ばれる人も、この二人から比べれば「ベルちゃん」(五十鈴)や「もりみっちゃん」である。昼からZ嬢と四人でペニンスラホテルのGaddi'sにて昼食。階下の工事でドリル用いて騒音甚だし。案内された席の真下での騒音に席替え。客が増えてから給仕主任が「急な修理工事で」と各卓回つて詫びていたが階下のショッピングアーケードにて店舗改築中で「急な」は明らかに嘘。「スエズ運河以東で……」と称されるべきフランス料理屋であれば正午からの2時間と晩餐の時間に階下での工事など許すべからず。料理は及第であるし午餐の前・主菜にデザート、葡萄酒一杯に珈琲でHK$400はこの料理屋であればけして高くないと信じる。が「脇が甘い」のはいつも感じること。ところで目立つ客あり誰かと思えば老いても巨乳で有名なタレントとその親族三名。孫か甥だか知らぬが呆け顔でジャケットこそ着てはいるが野球帽もとらずに食事。家族揃つて姿勢悪く犬喰ひではスターも聞いて呆れる品の無さ。帽子はご婦人にだけ許され食堂内での携帯電話使用不可も給仕は大目に見て何も言わずとは。苦言続くが音楽もM君が「ファミレスみたいだねぇ」と嗤つた軽音楽と昼からのジャズは城達也のジェットストリイムのような野暮。♪くるくるまっわ〜るぅ回転木馬ぁ♪と流れる曲に思わず♪くるくるまっわ〜るぅ杉村春子ぉ♪と歌ふがあまりウケず。M君の扇子にも注目。地紙そのまま無地の白で中骨少ないぶん地紙の折つた幅広くなるが親骨の背も地紙に合わいくぶん幅広いが、それで野暮にならぬのは親骨を肩のところで柔らかく削り手にする部分がかなり細身。こんなお扇子見たことごじゃりません、に「よくぞ気づいてくれました」とM君。京の宮脇賣扇庵でのお誂えの扇子だそうでお茶席で帯に差すのに骨は細身。しかも扇子の要の留め金は銀粒。我が扇子も宮脇賣扇庵の扇子だが見ての通り要の留め金はプラスチックが普通。M君の説明によれば昔は「鯨の髭」を要に用いたそうだが宮脇さんですら数年前に最後の職人が亡くなり今では鯨の髭は用いられず「せめて」が銀粒。へぇ成程ねぇとつくづく勉強になる話が続く。Gaddi'sでの扇子談義もまた佳し。食事といふのは会食で最も大切なのは食中の会話なのだ、とあらためて思わされる話上手な食事。たつぷりと二時間。ちなみにM君は戦前に織られたといふ宮古上布の着物。給仕に「まえにいらっしゃいましたか?」と尋ねられていたが男で着物姿とはM君の前に誰だろうか。先月下旬に香港で橘屋さんの海外歌舞伎教室があつたが此処に来られたも存ぜぬがM君とは間違えまひ。Z嬢が「ペニンスラホテルといへば芝翫」と言つていろいろな意味で皆、笑ふ。もう十年も前だろうか、このホテルに宝石の芝翫香が出店して神谷町が一泊の日程で来港して素踊りしたことあり。ホテル出て九龍站まで、とタクシーに乗るが元船乗りだといふ英語達者で日本の港町いくつも並べてみせる粋な運転手に四人なら空港までタクシーで行つたほうが安いと唆され九龍站でお見送りかと思つていたが会話も終わることなく空港までタクシーで談義続く。空港でお見送り。楽しい三日間。今度は是非、北京で京劇と、そして郭沫若の足跡を辿りながら、と約束。市街に急ぎ戻る用事も別段なくエアポートバスで小一時間かけ微睡みながら銅鑼湾。買い物済ませ帰宅。やわらかな夕陽。晩に韮とキムチのチゲ。先週録画しておいた大河ドラマ義経』と翡翠台で歐陽應霽君が制作にかかわり司会もする『回味無窮』といふ番組の第一回放送分を見る。香港の古くからの茶楼をいくつかまわり伝統的な(今、すでに珍しくなつた)点心をいくつも作り方から紹介。テレビ用に別人のようなメイクの應霽君は「テレビの司会など……」と固辞しそうだが出たら出たで見事なしゃべりに芸人ぶり発揮。
森喜朗さんがこれほどまでに常識的な理性ある人と彼の首相在任中に誰が信じていただろうか。教育勅語礼賛や神の国発言に余も苦言した一人。噂の真相での 買春逮捕歴疑惑や「鮫の脳味噌」やクリントンとの英会話(あれは作り話らしいが)嘲笑止まず。だが今晩の小泉三世に直談判終えて出てきた森さんを見ればい ささか酔つてはいるが一国の明日を憂慮し首相とサシで語ろうとした常人ぶり(朝日)。首相小泉三 世は首相公邸で「缶ビール10本を自分で抱えて迎え」肴は「これしかないんだよ」と干からびたチーズとサーモン。深センに単身赴任のオトーサンより寂しい 一国の首相の公邸での孤独。確かに永田町はふらりとコンビニに行くには不便だ。森さんは「解散回避に努力している人たちを苦しめて、何の意味があるんだ」 と小泉三世を質すが首相の驚くなかれ「おれの信念だ。殺されてもいいんだ」の一言。「変人以上だよ」と森さん呆れ果てて言うと小泉三世は「そうだ。それで いい」と突き放した、と言ふ。小泉三世が籠る首相官邸から出てきた森さんは記者団に談判での証拠品のチーズのかけらやビール缶を見せ酔いざましの缶入り ウーロン茶飲みながら語る。恐怖。小泉三世を党の総裁に推し首相にして四年も放置した自民党は今になつて「自民党をぶっ壊す」が現実味帯びたことに背筋 ぞっとしているのであろう。小泉三世を支持した八割の国民はやはり、国を、変えた……。

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