富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

fookpaktsuen2005-08-02

八月初二(火)快晴。斉藤さんのブログに吉田拓郎かぐや姫つま恋コンサート再現(こ ちら)といふ話あり。あれからもう三十年!とは。バンドの再結成といふのはあまり好きぢゃないが75年のあの嬬恋コンサートの映像が見つかり DVDとして今日発売といふ。早速amazonに注文。以下、ふと昔の思い出話。郷土の明治元年生まれの横山大観や中村彝ら輩出だけが自慢の小学校でお昼 の放送が小学一年入学の時からまさに百年一日の如く毎日同じように誰それのメヌエットだか毒にも薬にもならぬ曲がもはや摩耗したLPレコードから流れ続け 余は小学五年で放送委員会に属すとさっそく「お昼の放送の改善」に乗り出し何枚か「教育上好ましい」レコード購入してもらい、また本当はいけないのかも知 れぬがNHK-FMからクラシック音楽など懐かしい言葉だがエアチェックし放送。本当にエアチェックしていたコレクションで流したかつたのはブリティッ シュロックなのだが「さすがに小学校ではまだ低学年の子どもたちもいるのでマズい」といふのが六年で放送委員会委員長の重職に就いた我の判断であつた。当 時、田舎町の11、12歳の少年がなぜクリムゾンであるとかジェフ=ベックどころかフランク=ザッパなどまで聴いてプログレしていたか、といへば地元の NHK-FM局に田中勝美といふアナウンサー氏がおり田中氏の土曜日夕方のロック番組がNHKとは思えない、それも深夜どころか土曜日夕方といふ時間帯で 当時FM東京ですら流れるはずのない世界で最前線のロックが流れていたのである。この番組ではピンクフロイドツェッペリンはポップスの範疇と思えるくら いプログレであつた。で12歳の独りプログレ小僧は「クリムゾンは小学校では受け入れられない」といふ認識であつが放送委員会の同僚であつた親友のK君は フォーク小僧で彼の持参した陽水の「氷の世界」は日本語のフォークであるから「これなら問題ない」と判断してお昼の放送で「白い一日」がまず流れたのであ る。職員室から飛んできたのは教頭のA君。「なにをかけているんだ〜ぁ」と怒りでなく単なる驚きで放送のメインボリュームを下げ「いつものこれをかけて」 と毒にも薬にもならぬメヌエットをレコード棚から取り出す。お咎めはなし。放送委員会委員長に対しては懲戒免職どころか訓告の処分もなし。学校が寛容であ つたのではなく、ただ「わからない」であつたのだろう、と今、余は思ふ。小学校でフォーク=不良の音楽が流れた。それは間違いである。何もわからない小学 生が何か兄か姉のレコードを学校に持つて来てレコードを流した、それだけのこと、である。当然、その音楽的背景にはNHK-FMの地方局でのプログレ番組 も当時、放送室でお昼の放送しながらK君が熱く語つていたつま恋の拓郎とかぐや姫のコンサートがあり(ここで話はようやく最初の話題に戻るのだが)12歳 の少年のこの音楽の情熱が田舎町にあつたのだつた。余談ではあるが中学に入ると幼稚園が一緒で小学校は隣学区であつたT君がすごいプログレ愛好家となつて いた。T君も当然、田中氏の番組を愛聴し熱心にリクエストするリスナー。級友たちもロックに目覚めビートルズ、KISSやQueen、パープルなど聴き始 めるのだが小学生でザッパを聴いてしまつた私らプログレ組は教室での話題にも入れず地味な存在。で塾で当時、地元の大学の付属中学に通う田中さんといふ少 女と遭遇。彼女はしばらくして転勤するのだが転出間際に「田中さんのお父さんはNHKのアナウンサー」と発覚。「も、もしかしてお父さんってあの……」と 尋ねると「そうなの、家じゅうがレコードで大変なの」と。番組が終わる? いや、厳密にはFMリクエストアワーは続くのである。しかし田中アナウンサーの 異動でプログレが続くわけがない、のは15歳の少年にも明らだつた。田中氏は我が内々に氏の転勤を知つたあとも一回だつたのか二回だつたのか、番組は普通 通りに始まり普通通りに終わった。番組の内容は偶然聞いてしまつた人には「なんだ、これは……っ?」だが常連リスナーにとつてはいつもと同じ普通にプログ レが流れていた。で突然、司会者が変わつた。当然、番組は違う、もはやどーでもいい内容。田中氏がのお嬢さんと遭遇してプログレ家族の「お婿になりたい」 と思つたものだつた。……でさきほどネットで検索していたら偶然にも、その田中氏に関する田中氏のそのお嬢さんと田中氏本人のレターに遭遇(こ ちら)。転勤前の最後の放送についてもお嬢さんが書かれている。読んで感涙に咽ぶ。三十年前のこと。更 に余談であるが大学生になりAといふ一年上級の先輩がプログレなどかなり詳しく話していたら、やはり中学生の多感な ころにわざわざ宇都宮から遠いNHK-FMの地方局をエアチェックして田中氏の番組聴いていた、と。あの当時はそういふ文化ありき。今では小学校で浜崎歩 とかChemistryとか流れる時代である。三十年前のように教頭先生が走つてきて、といふことはない。ポップスがポップスとして小学校でふつうに流れ る。しかし「でもポップスだもの」と当時の多感なプログレ少年少女はポップスだからべつにどーってことない、と思う(……だんだん文章が橋本治中森明夫 になつているが)。しばらくしてピンクフロイドの『ザ・ウォール』がリリースされる。高校の教室の壁にはこのLPの購入特典の巨大なポスターが貼れてい る、そんな自由な学校であつた。……ふと音楽のことで長々と回顧談。京セラの香港営業所から電話ありContaxのデジカメU4Rの修理終わつた、と。引 き取り。思えば十年ほど前にContax T2購入しレンズカバーが作動しなくなり修理依頼すると保証期間内だが香港の正規の代理店で購入された「行貨」でなく第三国から平行輸入の「水貨」である ため修理は実費と言われシンガポールからからの輸入品を多少安く購入したのは事実だがContaxの純正であることは事実で香港の代理店の判断よりも ContaxのWorld Guarantee制度からしたら購入地毎で保証内容異なることは遺憾。結果的に無償修理。その後ContaxのG1は接眼カバーの不良、今年に入りAF モーター不良とバッテリーの極度の消耗、で今回がU4Rのズーム機能エラーで少なくともこの10年で思い出すだけで最低4回の修理。それでもContax への愛着。京セラがカメラ事業からの撤退を宣言し(こちら)修理もあと10年のみ。晩に北京よ りO氏来港。北京語言大学に留学中のO氏の北京でのブログはこちらだ が、この日剰ではかつて香港賽馬中心サイト(こちら)運営のフジヤマ館 長と紹介すべきかも。Z嬢と三人でFCCに食す。O氏は北京 から遥々、列車乗り継ぎ鉄路での南下。最近の北京や鉄路事情の話。北京〜広州の列車は今は最速で22時間。20年前に36時間かかつたと思ふと隔世の感。 何が改善されたかといへば恐らく列車速度ではなく各駅の停車時間。かつては三十分の停車などザラであつたがO氏の話では今回は途中の停車駅もかなり減つて 停車時間も5分程度。北京を出て最初の停車駅が鄭州。石家荘も止らずに黄河渡つてしまふ距離。緯度でいへば八戸から神戸くらいノンストップ。だが相変わら ずなのは座席寝台の予約システム。駅毎に発売枚数が予め決まっており始発駅が多く途中駅は終着駅に近いほど割当が少ない。問題は発駅から途中駅までの乗客 がいた場合、途中駅からは空席になるが、その席の切符は販売されないこと。途中駅からは「無坐」つまり立席で切符購入し乗車の場合、車内で車掌の判断で途 中駅で乗客下車した席が販売されることが唯一の対応。日本で昭和40年代始めにはマルスによる予約システム(こちら、見たい方だけプ ロジェクトXのこちら)が普及していたのに。Z嬢 曰く「有人宇宙飛行に成功する前に鉄道の座席指定システムが先だと思うけど」。御意。国鉄マルスでの予約システムの話も盛り上がるが当時、みどりの窓口 の職員の手際の良さと列車ダイヤの知識は感嘆するほど見事な職人芸。あらゆる注文に遠い北海道や九州の路線までかなり敏速に対応。時刻表めくるもカンでピ タリと開くわけでプログレに加え「鉄ちゃん」であつた我も毎月購入するJTBの時刻表であちこちの路線をピタリと開くワザ習得したもの。いまだにJTBの 大判以外の時刻表は苦手でネットでの列車検索など時間がかかり苛々するのも三十年前の杵柄か。その国鉄の駅員の花形であつたみどりの窓口も今ではすつかり 若い女性。若い女性でもいいのだが専門知識どころか常識がない。実家より午前中に上野駅に着き午後遅くの成田エクスプレスで東京駅から成田に向かうのに乗 車券を都区内で途中下車できぬ一枚切符を寄越す。こちらの常識では乗車券は上野まで、と東京駅から、で2枚のはず。「ちょっと、上野から東京で五時間もあ るのに、どうしろ、って言うの?」と尋ねると「こちらの通しの乗車券のほうが900円ほどお安くなるものですから」と配慮の結果を強調される。900円の ために東京駅の構内で列車待ちか。山手線二周してついでに中央線を高尾まで往復して時間潰せ、と言うのか。鉄道話に盛り上がるが午後十時にはお開き。
自民党憲法改正案(こ ちら)。どうせなら八月十五日に発表してほしかつたが党是であり結党以来の半世紀の成果が「これ?」といふほど拍子抜け。この程度なら国論二分し てまでの改正が必須なのか疑問。つまり実質的な必要性よりも「憲法を改正すること」ばかり。あ、これが自主憲法制定の党是か。納得。実はもっとも大切な 「前文」が提示されていないこと。ところで自由民主党を「自民党」と略すが今頃になつて気づいたが「民」でなく「自らが主(あるじ)」で自主憲法改正が当 然の自主党であること。朝日の憲法案特集で「整形後のマイケル=ジャクソン似」の小熊英二氏が氏と宮崎哲弥桜井よしこに対する取材に「憲法の専門家のご 意見を伺えたほうがよかった」と指摘し自民党で起草委員会で唱えられていた「家庭を保護する義務」「環境権」「健全財政主義」などは「財政の健全性」が 83条に残った以外は案から消えていることに着目し「これらは、それらを具体化する法律や政策が伴わないかぎり、何の効力もない空言や「お説教」でしかな いことが、すでに指摘されていた」「経済の停滞と閉塞の中で、近年は偏狭な歴史観や道徳観を唱える動きが目立つ。私は自民党改憲議論が報道されるたび に、彼らは憲法というものを、国家の最高規範というよりも手前勝手な道徳論や文化論をぶちまけて国民に説教を垂れる場と勘違いしているのではないか(これ が自主党らしさ……富柏村註)と感じてきた」として「この案の実現をめざす政治家たちの元来の資質を忘れるべきではない」と説教。御意。ちなみに言葉に厳 しい小熊クンが「資質」を用いたが、これは政治家を評価しての「生まれつきの才能」ではなく政治家に託された役割としての性質、つまり政治家は国民につま らぬ道徳論や文化論の説教垂れたりするのが政治家の役割ではない、といふ意味である。……とでも指摘しておかぬと小熊クンの言わむとするところ読みきれぬ レベルの政治家多し(ってこのサイトを政治家が見ているわけぢゃないが)。で小熊クンに対して桜井よしこの発言が期待通りにすごい。朝日新聞政治部が期待 した通りのコメントをしてくれるところが桜井よしこのタレントたらむとする真骨頂だが。憲法改正はどの世論調査でも過半数を超えている「事実」を冒頭に述 べ「日本をより良くするための憲法、アジアや国際社会に貢献できる憲法が日本人につくれないはずがない」といきなり凄い。論拠もなにもなし。だから憲法は 国家の最高法規で普遍法であるべきなのだから「日本人に」とか関係なく誰が作つてもどの国家に合わせても最高法規たるべき内容であるべきことが理解できて おらず。で現行憲法が戦後、占領軍が作り翻訳されたものと非難するのだが、桜井はそれに続き自民党案が「天皇制の記述も及び腰ではないか。天皇制が日本の 文化・文明の核になってきたのは確かであり、その伝統をどう引き継ぐのか。そのことを論じないといけないが、連合国軍総司令部による無味乾燥な天皇制の位 置づけが、そのまま残っている」と強烈に指摘。占領軍が作つた憲法であるからこそ天皇の戦争責任問題が回避され天皇制は象徴という形で戦後も安泰したのが 事実。であるから自民党も戦後の國軆そのものである現行憲法での天皇制の扱いは敢えて触れておらぬのに天皇「制」は日本の文化とは関係なし。歴代の天皇や 宮中人が文化に汲んだのは事実だが天皇制が広い意味での文化の一部になつたのは(田舎の家で今も天皇皇后両陛下の御真影が戦士した、祖父の弟の遺影となら び居間に掲げてあるような)は明治二十年くらいから移行のわずか百十数年の話。ましてや「文明」とは……桜井の発想はもはやカルト。で日本の伝統や文明の 価値をどう盛り込むか、その「薫り」は今回示されなかつた前文に期待する桜井。「美しい日本語で薫り豊かな憲法」と桜井。憲法は何語で書かれても美しい 「内容」が勝負なのだが。桜井は「国民の権利と自由だけでなく、責任と義務を強調したこと」は評価するが自民党案に「正直物足りない」と不満である。憲法 で文化だの文明だの、日本だの国民の責任と義務だの……憲法は国家権力に制限を加える国の最高法規であり普遍法である、といふ大前提が理解できておらず。 宮崎哲弥、小熊エージ、桜井よしこと並べると「普通」「お利口」「……」の見比べ。宮崎、小熊両氏が慎重に寄稿なのに対して桜井女史が「べっしゃり」とい ふのもタレントらしさか。

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