富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月十八日(金)晩に灣仔の永華麺家にて水餃雲呑麺食す。美味。気温下がり麺啜る客多し。相席で目の前に恰幅のいい紳士座りふと顔を見ればモーリス・ベジャール……まさか。香港演芸学院(HK Academy of Performance & Arts)にてベジャール・バレエ・ローザンヌのバレエ公演をZ嬢と観る。今年の香港芸術祭の始まり。「7つのギリシアの踊り」に続き男の誕生から死を独舞の「旅」。休憩挟んで「火の鳥」は三日公演の中日の本日は那須野圭右なる日本人の青年が主人公の鳥の役。晴れの舞台に懸命に踊る若鶏?という感じ。踊りはまだまだ修行の身であろうが地味な労働服のような衣装からさっと火の鳥の赤いタイツ姿に早変わりの際にみせた笑みが印象的。で最後はお決まりで「ボレロ」。実際に舞台観るのは初めてだが映像では何度も観ており勝手に食傷気味と思っていたがやはり実際の舞台で観るとベジャールのこの演出はやはり一人の踊り手があの繰り返しの一曲の中で変化していく様は鏡獅子的でもあり、ただし衣装や道具といった一切の装飾もない点が躍動そのもの。Z嬢はもっと「ねっとり」かと思っていた、と言うが踊り手によりかなり感じは異なるであろう。今回の公演ベジャール先生わざわざ来港しておらず。
産経新聞の本日の抱腹絶倒の社説(こちら)。ライブドア堀江君のニッポン放送買収発端とするフジサンケイGへの挑戦に反論。結局は産経新聞で社説や論説書いているオジサンたちが自らの保身にすぎず。堀江君がオーナーになったらリストラされちゃうんだから。産経新聞は確かに昭和四十年代に当時のマスコミの左傾憂ふ自民党や財界のオトーサンたちが「このままぢゃ日本がダメになる」として作った新聞で「西側陣営にたって」「社会主義国イデオロギーや軍拡路線、非人間性を批判してきた」歴史的使命?あるのだが「冷戦は西側陣営の勝利に終わり」それぢゃ産経が終わったかといふと「日本の言論の中でも「モノをいう新聞」としての産経新聞のもつ重みは増して」おり産経は「これを修正するつもりはない」とする。だが堀江君はAERA誌の取材に「あのグループにオピニオンは異色」と指摘し「芸能エンタメ系を強化した方がいいですよ」と提案。「新聞がワーワーいったり、新しい教科書をつくったりしても、世の中変わりませんよ」と語る堀江君の発言は今の時代にあって応援したいほどだが産経新聞にしてみれば、こんな路線にでもなったら論説や三浦朱門みたいな「正論」のオジサン、曾野綾子みたいなオバサンたちは書く場=職がなくなってしまふこと必然。フジサンケイがエンタメ系が強いのも、それを強調して「楽しくなければ」にすることで「正論」的なファッショ的保守反動性を幾許か薄めることに期待してのことでエンタメを主流になどしたい筈もなし。で社説はタテマエが始まるのだが「マスメディアは国民の「知る権利」の担い手」であり「民主主義社会を支える役割があり、国のあり方にも大きな影響を及ぼす。だからこそ、報道・論評の自由を有している」わけで「その自由を守るために、そこに属する人間は、責任の自覚と自らを厳しく律する精神が求められる。経済合理性では割り切れぬ判断を迫られる場面もある」として堀江君のマスコミへの算入は責任重さに対する「ある種の畏れが感じられなかったのは残念」と述べる。産経新聞はその仕事に「一般事業とは違う責任」があると豪語。確かに「憲法改正論や、また中国報道や歴史観の歪みの是正、あるいは北朝鮮による拉致事件報道に対する挑戦」は一般事業とは違ふ(笑)。それを「オピニオンは異色」と片付けられた産経は、それを「大型コラム「正論」の百八十人におよぶ執筆陣にたいする冒涜」とまで言い切ったのは本音以外の何ものでもなし。産経の言う「電波というのは公共財であり、しかも無限ではない。この限りある資源を適切に使うため、国が限られた事業者に免許を与え、割り当てている。それが放送事業である。したがって、利益をあげることが最大の目的である一般事業会社とは当然異なり、より大きな公益性と社会的責任が伴う。」といふのは全くもって正論だが、だけどもし堀江君の買収ターゲットが朝日だったら産経は「ライブドアのマスコミ改革を支持」するのであろう、きっと。

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