富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月十七日(月)多忙続くが少なくともunder my controlに落ち着かせむべく一つ一つ諸事片付け続ける。早晩に百年ぶりにジムにて一時間じっくりと鍛錬。終わって帰宅の地下鉄にてiPodでRed Zeppelin聴こうと思っただけ元気回復か。帰宅して晩食。鯵の焼物。録画してあったNHK大河ドラマ義経』観る。冒頭いきなり一ノ谷。安徳帝のお乗りになる船はまるで大航海時代の如き大きさにまず唖然。平家の築きし陣地に谷の上から滝沢義経が松健義経ら家来従い馬で奇襲かけるシーン。ずっと音無し。そこに最初の一声が義経の「方々、参る」でドラマ始まる。現代語当たり前の大河ドラマなら「方々、行くぞ」でいい筈が「参る」で、余の認識では「参る」は宮中だの貴き処、寺社などへの詣で、で或は「行く」の謙譲表現。相手の陣地に戦い挑むも「参る」なのか余の浅学ではわからず久が原のT助教授に教え請ふが「参る」でもせめて命令形で「参れ」か「参るぞ」ぢゃなかるか。「参る!」では「方々、私は行きますよ」で家来率いての大切な奇襲が自分だけ谷を下ってしまい弁慶らは置いてきぼり、で義経だけ敵の陣地に乗り込み平家に取り囲まれ惨死にならぬか。動詞を終止形で使うのは自分の意志表現で子どもがお菓子を「食べる〜」とかとても単直なる物言い。大人の場合「イクっ……」ぐらいで、これも性行為で自分が相手にかまわず、もうどうしても「イッてしまう」の場合。どうであれ自分一人の行為。……などと冒頭から疑惑の視線でNHK観るが、筋はなかなかどうして、久々に大河ドラマらしさ。ほかに気になるのはナレーションの、源平どちらも敬った表現のどっちつかずはNHKの「今後の政局の動向に注目が集まります」的に(笑)結果なにも語っておらず。松坂慶子の芝居の下手さ、台詞の棒読みはもはや無形文化財。今後は配役としては後白河法皇平幹二朗法皇にあって平氏とはこれ如何に……笑)と丹後局夏木マリに大きな期待。後白河といへば73年の『新平家物語』での滝沢修、79年の『草燃える』の先代・尾上松緑の名演をば髣髴するばかり。六波羅の家臣に「はっ」と思えば北条時政あり?「まさか」とよく観れば金田龍之介とよく似た俳優で『草燃える』とオーバーギャップ。

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