富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月十四日(金)朝の気温摂氏八度。極寒。一昨年の暮銀座帽子商トラヤにて購ひし帽子香港にて初めて被る。今週は忙しさの極み。夕刻ひとまずこの仕事ひとつの山場越へ帰宅途中疲身に寒さ応へ独り北角寿司加藤に寄り熱燗につまみで赤貝三、四切。加藤のご主人忙しく今晩は青森県人会の宴会の由。さういへば昨日ふとしたことで青森出身のご婦人と幼きお嬢さんとお会いしこのお二人の余りの容儀の正しさにただただ敬服とふと漏らせば県人会に参加の方にその様な方ありと加藤ご主人に言われ宴会場覗けばまさにその方。改めてご挨拶。何度か寿司加藤に早晩の一酌といいつつ深酒ながら今晩こそと供されし湯豆腐に熱燗もう一合にて席を辞す。帰宅のタクシーの窓から眺めれば九龍は海鮮料理屋の並ぶ鯉魚門の灯り佳し。それでも尚を大老山は靄がかる。運転は巧妙にて而も礼儀正しき運転手に祖父母も父母もあの世代なら指先の切れる程のピン札出して「おつりは結構」とでも言はむところ財布には襤褸の札ばかり。今どき札入れにきれいなピン札など入れるは久が原のT君くらいのもの。礼儀もなき当世なり。雑煮。菊正宗。メール開ければ江澤さんといふ方からメールあり。何殿か記憶になくメール読めば余の十二月廿六の記述へのご丁寧なるご返事。余自らの勝手気儘な日剰の記述に先月の記憶もなく日剰紐解けば『サービスの達人』の著者と知る。今になってその著作をば読みもせぬままに朝日新聞の書評にて勝手な記載に余りにご丁寧なメール受領。ネットの世界など誹謗中傷罵詈雑言流言飛語が当たり前の中でかうおっしゃられては余は勝手恥じ入るばかり。失礼をば深謝。つい「客商売での雨の日の傘貸し」に何ゆへ余も反論したかといへば「お客にきゅうな雨で傘をお貸しする時はけしてまともな傘はお貸しするな、それではお客が恐縮する、たしょう傘(さん)の折れた傘くらいのほうがいい」と祖母から聞いた話ゆへ。田中康夫ちゃんではないが商売とはいへ本来のサービスとは「その見返りを期待せず施すこと」かと信じたいもの。清元で五代目延壽太夫に三味線は四代目栄壽太夫で「明烏」など聴く。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/

一月十四日(金)朝の気温摂氏八度。極寒。一昨年の暮銀座帽子商トラヤにて購ひし帽子香港にて初めて被る。今週は忙しさの極み。夕刻ひとまずこの仕事ひとつの山場越へ帰宅途中疲身に寒さ応へ独り北角寿司加藤に寄り熱燗につまみで赤貝三、四切。加藤のご主人忙しく今晩は青森県人会の宴会の由。さういへば昨日ふとしたことで青森出身のご婦人と幼きお嬢さんとお会いしこのお二人の余りの容儀の正しさにただただ敬服とふと漏らせば県人会に参加の方にその様な方ありと加藤ご主人に言われ宴会場覗けばまさにその方。改めてご挨拶。何度か寿司加藤に早晩の一酌といいつつ深酒ながら今晩こそと供されし湯豆腐に熱燗もう一合にて席を辞す。帰宅のタクシーの窓から眺めれば九龍は海鮮料理屋の並ぶ鯉魚門の灯り佳し。それでも尚を大老山は靄がかる。運転は巧妙にて而も礼儀正しき運転手に祖父母も父母もあの世代なら指先の切れる程のピン札出して「おつりは結構」とでも言はむところ財布には襤褸の札ばかり。今どき札入れにきれいなピン札など入れるは久が原のT君くらいのもの。礼儀もなき当世なり。雑煮。菊正宗。メール開ければ江澤さんといふ方からメールあり。何殿か記憶になくメール読めば余の十二月廿六の記述へのご丁寧なるご返事。余自らの勝手気儘な日剰の記述に先月の記憶もなく日剰紐解けば『サービスの達人』の著者と知る。今になってその著作をば読みもせぬままに朝日新聞の書評にて勝手な記載に余りにご丁寧なメール受領。ネットの世界など誹謗中傷罵詈雑言流言飛語が当たり前の中でかうおっしゃられては余は勝手恥じ入るばかり。失礼をば深謝。つい「客商売での雨の日の傘貸し」に何ゆへ余も反論したかといへば「お客にきゅうな雨で傘をお貸しする時はけしてまともな傘はお貸しするな、それではお客が恐縮する、たしょう傘(さん)の折れた傘くらいのほうがいい」と祖母から聞いた話ゆへ。田中康夫ちゃんではないが商売とはいへ本来のサービスとは「その見返りを期待せず施すこと」かと信じたいもの。清元で五代目延壽太夫に三味線は四代目栄壽太夫で「明烏」など聴く。

富柏村サイト http://www.fookpaktsuen.com/