富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十二月十五日(水)快晴。とても冬とは思えぬ暖かな日続く。早晩にハッピーバレー競馬場の内馬場通り抜ける。今晩が競馬開催とは思えぬ静けさ。サッカー場に子どもら遊ぶ。内馬場はかつては参観席あり。今はそこまで入場者もなく閉鎖中。Bar SeedのM氏とFCCの酒場に飲む。酒談義楽し。市街はすっかり聖誕節気分。ショッピングセンターも「ここまでやるか?」の飾りつけ。下弦の月佳し。帰宅して雑煮。金陵純米酒。ここ数日の飲み疲れ(当然か)に早寝。
▼小泉三世の昨日の泉岳寺赤穂浪士墓参。「昔はえらい人がいた」と宣ふ。「苦難を乗り越えて本懐を遂げるという、なかなかできることではない」と自らの「誰も理解してくれぬ」苦難に「敵なし」だからの長期政権本懐遂げる覚悟か。首相といい都知事といい本人の才覚別にして「敵なし」ゆへの安定。築地のH君も呆れていたがイラク派兵延長について質問通告されし国会の委員会をば「いつも出てるからいいだろう」で欠席しても赤穂浪士の墓参の時間はあり。アメリカの靴の裏を舐めるのも北朝鮮に腰が退けてるのも大望を隠した仮の姿で「自分こそが現代の内蔵之助だ」か。中曽根大勲位あたりまでの「隠された悪辣な野望」は「いかにもありそうで実際あったんだろう」が竹下以降は「総理大臣になりたい。金も儲けたい」で森君からのあまりに無邪気な「戦後の民主化」ぜんぶチャラにして昔みたいに大国になろうぜという素朴な観念か。とH君。非常に素直に戦後多くのものが間違っていた、だからそれを直す必要がある、で直せば結果的に必然的に大国になる、といふ簡単な発想なり。
憲法改正とて自民党試案一読せば高校生の社会科での演習の如きあまりにお手軽な改正案。憲法は国家の最高法規であるが実は国家の何如に囚れぬ普遍法としての最高法規であることは樋口陽一先生の御説待つまでもなく憲法学の常識であるがH君ずばり、日本にとっての「憲法」とはじゃん普遍法としての「Constitution」とは別物、下手すると右派からは「西洋国家のつくりだした近代的な憲法観に対して我が国固有の伝統と文化を加味した新しい憲法観を創出すべきである。それが文字通り<Constitution>ではなく<憲法>という我が国の国柄にふさわしい新しい概念の創出なのである」とか。

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