富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月廿五日(木)晴。晩食逸して二更に独り佐敦にオースティンロードの好好上海小食店に一年ぶりかで食す。盛況ならが食した担々麺も水餃子も塩辛すぎ。開業の頃はもっとあっさりした味のはず。店には「地元日本人もお勧めの」などと日本の旅行雑誌の紹介記事も少なからず余もかつて紹介したことあり今はこれではとても紹介できぬ。遅晩に荷風先生日剰昭和廿七年読む。元日に浅草に遊びし荷風の記述に松竹演劇館大利根純子。浅香光代。とあり。一瞬「あの」光代かもしかすると先代か?と勘ぐったが浅香光代が昭和六年生まれで終戦の年十四歳で浅香一座組むと知る。その荷風先生の日剰に名前挙がった三年後の昭和三十年に大江美智子らと共に女剣劇全盛時代迎えるは人の知るところ。
▼中国外交部といふと失礼だがアホの坂田似の外交部長と連日の外交部発言人の笑み一つなき記者会見の印象強し。香港返還の頃は地方のナイトクラブのムード歌謡歌手の如き濃い顔立ちの沈国放氏が目立ち沈氏中国駐国連副代表となった(現在は外交副部長)後襲ったのが章啓月といふ女性。雰囲気は「七十年代の東欧の女子オリンピック選手」っぽさ。かつては英語で行われた会見も沈氏の途中から中国語だけとなり章女史といふと沈氏以上に表情なく英語も聞けずどういふ人なのかも余はいっこうに知る由もなし。その章女史がベルギー大使になるとか(廿五日のSCMP紙報道)。当然これがベルギーに本部置くEUとの関係強化のための人事。でその要職が何故に章女史かといへば余は全く知りもせずにいたが四十五歳のこの人の父親が中国外交部のかつての主要官僚の章曙氏。この父は七十年代に中国の国連代表部付の領事となり二十一年前に駐ベルギー大使となっており主要公務は当時のECとの工作であり八十年代後半にはこの人は駐日大使となった章曙氏。その娘が三十代で父と同じく国連代表部付の外交官も経験し今回はベルギー大使。このサラブレッドの牝馬?ぢたい十四歳で国費派遣で紐育に英語を学び中国外交学院卒業後は紐育と瑞西の寿府での対国連機関との通訳とか。章女史将来の外交部長候補か。沈氏、章女史といふ濃いキャラに日本の外務省がどう対応できるか今から気になるところ。
▼歴史家高添強君が信報の連載にて「緑化の起源」と題して香港動植物公園について語る。植物園なるものが英国にとって世界各地の植民地より多彩なる樹木草花収集し倫敦の植物園に茂ることが帝国の威光であることは当時の動物園だの博覧会だの百貨店だのも含め全て十九世紀的なる国家主義の産物。この大英帝国の主義は海外にも及びニューデリーマドラスシンガポールと英国植民都市にも植物園設けられ香港もご多分に漏れず香港開闢から僅か三年後の一八四四年にすでに植民地開設の提案なされ五五年には当時の総督より英国政府に予算要望されるが当地での財政難あり六一年になりようやく開園を見る。この植物園開設の目的はもう一つの事由こそ興味深し。香港といふと今でこそ日本よりの来客もピークなどから眺め「さすが南方だけあって樹木が鬱葱と茂っておりますなぁ」などと感心されるが十九世紀どころか一九四〇年代の写真など見ても香港島はピークまで岩山で草木も茂らず。荒涼とせし岩肌の禿山こそ当時の香港。そこに植物園をば設けることにて少しでも香港の好印象といふのが当時の発想。現在の樹木茂るは植林の成果だが高君に先日聞いた話によれば樹木に詳しき方が見れば香港など本来、一緒に茂る筈なき異なった風土の樹木が混在しており一見して植林と判り而も英国が当時どれだけ世界各地より採取したかの結果だと。

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