富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十一月廿四日(木)昨日のペニンスラホテルの話。ホテルの日本人職員のMといふ人と話す。この人が確認のところ予約係は余をアメックスの職員と勘違いしてあれこれ要求、説明との由。余は何度もカード保持者であり客であると説明しており釈然とせず。要はこのホテルカードの保持者も少なく況してや飲食ならともかく地元で宿泊予約するも少なく予約係もどう対応すればよいかわからず、が実のところとか。東京よりN氏来港され昼にN氏宿泊のマンダリンオリエンタルホテルにて二年ぶりに再開しFCCにて昼食。N氏は父上が大正期より香港で雑貨貿易をされおりN氏昭和初めに香港に生れ香港にあった戦前の日本人学校(当時は国民学校)に昭和十年から十六年まで学び支那事変にて戦況ひどくなり父上会社畳み帰国。学校も廃校。翌十七年には香港をば日本軍占領。国民学校再開されるがN氏家族は香港に戻らず。それゆへ当時の貴重な史料などN氏多く保管される。当時のことなどいろいろ話聞く。日本人墓地にN氏父上いわゆる丁稚奉公して商売覚えた荒川商店といふ店の家族の墓残る。N氏墓参される。学び昭和骨医梁仲偉にて弟子錦宗氏による治療。足首の痛みも殆ど失せる。晩にかなり久々にハッピーバレー競馬場。K氏に男の子生れ妻子は依然日本だがK氏香港に戻りI君の仕切りでカナダ系秋田人T君、O君、Z嬢集ふ。馬券惨澹たる結果。
▼「獅子山下」などの作詞家黄霑氏逝去。享年六十四歳。翌廿五日の蘋果日報に一九八八年に黄霑氏の主宰にて始ったテレビ番組『今夜不設防』の当時の若き黄霑氏、倪匡氏、蔡瀾氏らの写真あり。その日のゲストは羅大佑。想像しただけで内容興味深し。蔡瀾氏この番組始る経緯語れば、その当時にこの三人でナイトクラブに遊べば料金は高い、ホステスは不細工、酒も不味い、で三人でテレビ番組持って酒飲みながら別嬪侍らかせ酒飲んで好き勝手に話したらかなり面白いのでは?と意気投合し、それで誕生したのがこの番組、と。余は何度か日剰にも録したが勝新太郎がゲストの回の抱腹絶倒。黄霑といへば作詞だが余にはこの『今夜不設防』の他、『城市追撃』『三個光頭老』など氏の番組での司会ぶりを惜しむ。その蘋果日報の特集十六頁に及び陶傑、蔡瀾に梁文道の三氏長文の追悼を載せさすが蘋果と思わされる。

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