富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

九月初二(木)午後驟雨ののち雲一つなき快晴。晩に薮用ありK氏とShau Kei Wan望隆街の越華會海鮮小館にて食す。美味。繁盛する店の味は当然として店の者のその愛想のよさ、接客の気配り。帰宅。疲労甚だしく湯につかり早々に臥床せむと思いつつふと電脳立ち上げればマイクロソフトのセキュリティ強化の更新パックなるものの自動更新始まってしまひ世界で何千万、下手すると何億かの者がこの更新に勤しんでいるかと思うとそのマ社の寡占にただ恐れるばかりだがなかなかダウンロード進まぬ上に恰度無線LANにてつないでおり余計に時間かかり早寝の機会逸す。
▼十一月歌舞伎座の顔見世。廓文章の吉田屋。雀右衛門の夕霧に伊左衛門が鴈治郎。京屋の夕霧は京屋の年齢考えるとここで見ておきたいところ。それにしても顔見世で京屋、中村屋播磨屋、松島屋は揃ったがそれでも多少寂しいかと思ったが築地のH君は十年後、二十年後に松緑、孝太郎が大看板の時代想像してみれば今などそれに比べ、と。確かに。
▼半世紀に一度ほどメール届く畏友O氏が、今回のアテナイ五輪での中国大活躍でかつて「東亞病夫」と嘲笑されたる中国が世界注目の場でここまで、と感無量の喜びの言説多きことにつきこの東亞病夫なる言葉ブルース・リー映画の影響か、この言葉、中国人侮辱するがため日本人使い始めし言葉と思われもすれば実はこれ日本人の用い始めに非ず実は一九三六年伯林五輪に参加の中華民国が多くの選手送り込みメダル獲得皆無にシンガポールの新聞がそれ風刺の漫画掲載し題名が「東亞病夫」だった、とさ。とO君より陶傑氏『都市日報』に書かかれた文章の紹介あり。武術の力不足罵られし中国が奮起して勝つ、といふ点で今回の「大活躍」でのこの「東亞病夫」の用法は実に正しいのかも。ところで信報の社説がアテナイ五輪閉幕式での北京2008の八分間の演出の「低級趣味」の「失敗」につき張藝謀でダメなら香港の文化界この本番の演出に貢献しては如何か?と。香港に張藝謀に勝るまどの演出力あるかどうかも疑問だが社説で取上げるほどのことかと信報ですら北京五輪へのこの意気込み。

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