富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

七月廿三日(金)晴。肩から首、廿年も前に差歯にした歯茎奥の疼きあり養和病院。久々にジャッキー=チェン好きで診察室乱雑の某医師の診断請う。診断が胃痛などに医師の関心向いてしまひ失敗。薬局にて正露丸購ひ口唇と歯茎の間に挟む粗治療施し痛み誤魔化す。夕暮れに昨日に続き銅鑼灣のジムにて九龍の景色眺めつつ有酸素運動。今でこそ九龍にかなりの超高層ビル建がかつて啓徳に空港ありし頃の高層建築の高さ規制あり、こうして眺めるとその規制が九龍の飛鵝山だの獅子山、大帽山などの山並をば驚かさぬ実に調和とれたものであっったことを今になって納得。晩に中文大学のM先生ら主宰の香港研究会にて歴史家の畏友T君による発表あり日本人倶楽部。T君十九世紀末よりの九龍の貴重なる写真五十枚ほど見せ九龍の発展の様子を語る。「魔窟」九龍城砦をとれば、なぜあそこに宋の時代に砦築かれたかといへば当時の九龍湾(埋立てて啓徳空港)が良好で、戦後そこにビルが群築されるまでは小高い圓方古墳かピラミッドの如き山があり、そこより周囲一望できるゆへに岩砦築かれ周囲を壁で囲み住宅などが集った由。いわゆる「魔窟」と呼ばれ九十年代に取壊された「入ったら二度と出てこれぬ」高層ビルとなったのは戦後のこと。今の九龍城市街の道路名になっている衙前圍も馬頭圍もかつてこの地域にあった村の名。尖沙咀の今のペニンスラホテルのあたりに浜辺があり、林といふ姓の一族が尖沙咀村の僅か数戸の住人であった昔、九龍は今の油麻地と英国への新界租借前の「国境の向こう」の深水土歩より都市化。九龍にあったポルトガル人社会とカソリック教会施設の多さなどなど二時間あっといふ間に過ぎるT氏の解説。香港島の歴史写真や物語など腐るほどあるが九龍のここまで貴重な写真と物語は興味深し。T氏の探求の姿勢にただただ敬服。M先生らのお誘い辞し「そのへんの」茶餐庁にて麻婆豆腐で白飯かっ込み太古城の映画館にて韓国映画「太極旗」見る。韓国にてなぜこの映画それほど観客動員したのかかなり気になるところ。題名からして、また時勢でかなりナショナリズム映画かと思えば、兄はたんに徴兵された弟をば戦場から済うが為に従軍し功績挙げてゆき弟が死んだと勘違いして気が牴れたように今度は敵であった北軍に加わり栄誉勲章授けられた南軍と戦い、と、戦争による兄の気の牴れ具合と弟の「成長」が「これでもか」といふほどのキョービの韓国映画の勢いか虐すぎる戦場での残酷な戦いの中で描かれる。戦場の銃撃や爆発、飛行機など特撮が技術力のわりに「やりすぎ」で目障りのところあるが僅か半世紀前の自国の悲惨な事実ゆへここまで描ききった韓国らしさ。海外にて戦さを進め攻撃されれば空襲だの原爆で一転して被害者と化してしまった日本では到底撮れぬ世界。題名は「太極旗」であるが自らの命や家族を脅かす敵だから闘ふという以外に何のための戦争(しかも内戦)なのか誰もわかっておらず、ただ昨日は友人であった者との殺し合い続くといふ、その戦さの不条理。

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