富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

六月十七日(木)晴。数日の忙殺も一段落。昨日の経済紙信報に興味深き記述幾つか読む。社説は中国国内の経済過熱について。93年の過熱が投資に偏り国際消費の伸びを伴わぬ部分的だったものに対して今年は投資・消費がもはや統制効かぬほど過熱しており市場が調整不能に陥る。しかも投資は政府が完全に制禦する=市場力の支配を受けない=暴利貪ることの可能な金融、公共事業、鉄鋼や資源など国家指定の基幹産業に向いており、これらの投資が全国に広まっている悪循環。また中国の経済成長がこれだけ続いていることに楽観論もあるが、登β小平が政局掌握した七八年十二月の歴史的な三中全会から始まったと思えば今年で二十六年。新興経済国家の長期経済成長の例としてはブラジルやメキシコがあげられるが両国とも三十年で成長から急激な経済混乱に陥っており、中国の経済成長の現状が今後もこのまま推移すると予測は難しい、と。社説はこの状況では政府による経済制禦がもっとも重要であると結ぶが、それを思えば現状では政治的安定が前提であり一党独裁も必要悪か。同日同紙で主筆・林行止氏が専欄にてあちこちで頻繁に用いられる“There Ain't No Such Thing as a Free Lunch ”について述べるは林氏はこの格言がシカゴ派経済学の大家Friedmanによるものと信じていたが実際には違っており(……以下、省略)余が何に興味もったかといふと、この“There Ain't No Such Thing as a Free Lunch”がハインラインのSF小説『月は無慈悲な夜の女王』にこの格言の頭文字をとたった“TANSTAAFL”といふ章があり主人公がこの「タダの昼飯なんてない」といふ言葉を語っていたといふこと。ハインラインのこの『月は無慈悲な』余は中学の頃に読んだがこの言葉など今では記憶に微塵もなし。ただいつか再読とこの文庫本数十年持ち続けており今一度読む意欲沸く。本日の蘋果日報の陶傑氏の随筆「香港殯儀館」傑作。レーガン国葬看た陶傑氏、そのレ氏の葬儀の荘厳さは何ゆへかといえば中国式の「治喪葬儀委員会」が場を仕切り混乱させぬのと香港殯儀館が米国になきこと、と。香港殯儀館は北角にある、香港煙草有限公司と向かいあふのが一興だが、レスリー張國榮だのアニタ梅艶芳だの各界の著名人の葬儀行われる場所にて格式高き葬儀場であるべきところ昇降機の極端な狭さ(尖沙咀重慶大廈に匹敵する狭さなり)、参列者の座る椅子も「新界の士多ストアにて麻雀する時に使うのと同じ、バーゲンで一脚僅かHK$19.9で買える黒色のビニール張りの簡易椅子」で、葬儀館の職員といへば何故か永きにわたり三十代の痩弱蒼白の男ばかり、今で言えば芸人「李燦森」似で、せめて葬儀くらいVersaceのモデルかキャセイ航空のスチュワートかジャッキー成龍似の男でも雇うべき、と陶傑氏。また、地理的にも北角にこの葬儀場があり火葬場は香港島東端のCape Collinsonにあり故人をば荼毘に付した後にまた市街に戻り一流ホテルでの「解穢酒」お清めの一席あり、各界著名人が葬儀に参列するが時間の浪費も著しく、香港殯儀館が火葬場をば買収し場所も殯儀館に近いQuarry Bayの埋立地にでも移設した上で火葬場の隣に解穢酒用のレストラン併設せば「葬儀最短一時間お徳用パッケージ」ができるのだから経営改革に勤しむべき、なにせ董建華辞任或は失脚の折に多くの人が董建華偲び悲しみの極み(これが葬儀場とどう絡む話なのか陶傑氏の文章から読みきれず……おそらく多くの人が董建華偲び葬儀に訪れるといふ暗喩)、レスリーやアニア梅など香港島の居民はこの葬儀場以外に選択もないのだから、と。

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