富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

五月廿九日(土)曇。昼よりジム。午後九龍にて薮用済ませ帰宅。ようやく大江君『万延元年のフットボール』読了。やはりよくわからず。読んでいても「これが中上健次の語りであれば」だの「劇画的にするなら村上龍」「面白くするなら井上ひさし」で「もっとキチガイな物語にするなら筒井康隆」とかこのままの筋でも大江先生の小説より鈴木清順の映画のほうが面白いか……などと気が散る。左翼のうち教養的に内省する蜜、兄・蜜の姿を見て真の革命を起そうとして暴動起すは成功するが専政に走り殺される弟の鷹、終っていったい何が残ったのか……左翼の限界、子育てに何かを求める蜜、そこから何が生れるのか、余に大江先生の知性は理解できず。水餃子、清炒通菜、香麻豆腐、炒茄子……と夏の北京の如き晩餐。香麻豆腐は余のつけた名で正しい名は知らぬが水切した豆腐に軽く粗塩、胡麻油で味つけし香菜をのせただけのもの。夏の涼菜に佳し。ビールと五糧液飲む。五月廿六日に東京の外国人特派員協会で挙われた姜尚中氏の講演をビデオニュース・ドットコムで見る。拉致問題と国交正常化をわけて交渉すべき。北朝鮮を硬直化させぬこと。その意味で「敢て」と小泉三世の二度の訪朝を評価すると姜教授。北朝鮮に出口を与えること、それに日本が六カ国協議のなかで先導権をとれる、と。「在日」の姜教授にこう評価され積極的な外交をと期待される日本の政治的かつ思考的な貧弱さ。金正日がまだ政権を息子に世襲させると決定していないこと、賢明な人物であれば息子に世襲させないはず。もし金正日が息子に世襲させなければまだ北朝鮮には未来がある、と。姜教授は「今の時代では楽観論者であることが生延びる秘訣」と講演を終える。続けて神保&宮台のイラクでゲリラに身柄拘束(下宿?)した安田純平氏&渡辺修孝氏のトークを途中まで聞き横田耕一氏(九州大学名誉教授)迎えての「人権問題としての天皇制を考える」も聴く。それにしてもこの鼎談で指摘されているが憲法について「国民を守る」ものと思われていることの誤謬。憲法とは主権者たる国民が国家に対して守らせるもの。
そもそも國政は、國民の嚴肅な信託によるものであつて、その權威は國民に由來し、その權力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれを享受する。
憲法前文に謳われているのだが、国民にこの主権意識もなく、国民の信託受け国政を担わされる権力も堂々と「違憲ですよ。憲法がおかしい」などと公言するほどの無知。これで国政を担うのだから知力不足は困ったもの。二二六事件での反乱軍にせよ靖国での戦没者部落解放同盟に至るまで救済されようと思うものが天皇に依存し吉野朝的にアイロニーを擁くことを宮台氏指摘すれば横田先生もそれに依存してしまう=他に依存できる精神性がないことの社会の責任に言及。御意。
産経新聞産経抄」曰くイラクでの記者襲撃について自己責任につき決意して取材にあたった二人に対して「国家や政府の責任など持ち出せば二人にはさぞ迷惑なことだろう」とシニカルに述べる。二人への襲撃について直接、日本の国家や政府の責任はない、が、この戦争を起した国家、支援した国家に対する責任などに問題の火の粉染ることが産経的には不快なわけでちゃんと社説で「今回の事件をきっかけに、一部の勢力から再び自衛隊撤退論が叫ばれることも予想される」が橋田氏の著作での「絶叫して正義を訴えるみたいなことはしない」「戦場記者は戦争を語ってはならない」「戦争はすぐれて政治の世界であり、戦場からは見えないからだ」という記述引用し、だから自衛隊撤退論などは「橋田氏流にいえば、戦場と戦争を混同した議論といわねばなるまい」と結論づける。わかりやすいといえば「産経流にいえば」戦場がどれだけ惨澹たる状況にあっても戦場は戦場、国家間の戦争とは別なのだから、国家の大義に口をはさむな、とわかりやすいが、橋田氏がこれを読んだら「勝手な解釈をするな」と怒るであろう愚論。
▼東京ファシス都での卒業式入学式での国歌斉唱時に起立せぬ生徒がいた学級の担任らに対する「厳重注意」指導につき文部大臣は「それぞれの教委が適切に判断すること」と述べ文部省としての評価避ける。天晴れ。国家が教育権放棄する筈もなく都合よき時には地方自治体の判断、と。ならば知事の意向で教委が国歌斉唱での不起立は自由とした場合それに文部省は何も言わぬのだろうか……まさか。
▼「民意の男芸者」と敢て言おうか、青島幸男東京都知事の実質上の失職の年季も晴れたか7月の参議院選挙に立候補。

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