富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月十一日(木)快晴。愛猫三平の一回忌。昨年非典型肺炎の流行りだしたこの頃のこと。『噂の真相』最終号少し読む。
▼昨日財務司司長による本年度政府予算案発表あり。消費税は時期尚早としつつ所得税増が噂されていたが今回はHK$200億の国債……ぢゃない地方債か、を発行で場繋ぎ的対処。ちなみに所得税香港人口680万人のうち納税者はわずか140万人。つまり五人に一人。月収HK$8750(約13万円)以下は所得税非課税。この月収でも基本控除などで扶養家族なき単身者で新年度でも僅かHK$8.3(約120円)のみ。高額所得者は勿論納税負担大きくなるがそれでも課税率は16%が上限。天国といへば天国か。
▼神戸の97年児童殺傷の彼が娑婆に戻ることが意味するものは何か。彼が実際に娑婆に出たらとんでもない試練ばかり。月本さん曰く「7年の教育の成果など、日々の生活という魔物の前にはほとんど無力だ。恐ろしいのは日常という名の現実なのである」と。御意。マスコミは21歳になった彼を追い回し写真掲載に躍起になり周囲の、って実際の周囲にはまだ理解者いるかも知らぬが網上の掲示板にも書かれっぱなしで、世の好奇心に晒され……そこでどうなるのか、と思えば「壁の中」こそ護られた世界。……であるのに何故、彼は娑婆に「出なければならないのか」といふことこそ重要。それは朝日の今日の社会面に「これから(上)」といふ特集記事に書かれた状況で十分にわかることだが、重要なことは「あの」残忍なる「人を殺すのもナメクジを殺すのも一緒」と語ったといふ殺人鬼の如き少年、而も事件直後に「死刑にしてほしい」だの殺害した男児の「顔が見える」と幻覚まで口にしていた少年だが、彼に対して「少年院では、女性を含む複数の医師のほか教官、寮の主任ら十数人の特別処遇チームが組まれ、教育にあたった」ことで一年後くらいから「心に変化が生れ」「温かい人間の社会で生きたい、と話し」「羞恥心が生まれ」「日ごとに表情が豊かに」なり「同世代の少年と同じように異性に興味を示し」たようになり、関係者は「性的サディズムが克服された」と見て、それが今回の解放への緒となる。(性的サディズムぢたい克服される範疇にあるものか克服されたらどうなのか、といふ疑問もあるが)何よりも重要なことは「公の装置=施設においてどんな残虐なる人格も更正できるということ」と「施設を出て「この」社会で生きていこうという意思がもてること」の二つ。少年は「英語ができないから海外には住めない」のでとしているが「静かにこの国で生きさせてほしい」といふ一言。この一言こそこの更正治療の最も偉大なる成果といへるのではないだろうか。この慈悲への願いを「だめだ」といふことはできず。なぜなら異教徒異民族の追放は無論問題ないが「この国の包容」に期待せし同胞をば追放すること=その国家社会ぢたいのアイデンティティの崩壊につながる由。……と考えるとこの施設関係者といふ第三者通じてマスコミが伝える少年のこの究極的なる言葉ぢたいその出自疑ふ。「生きさせてほしい」なる表現もいささか不自然。意味は「生きることを許してほしい」だろうが。googleで「生きさせる」検索すると僅か740件のみ。ふと思い浮かぶは「いかす」で確かに「佐けて生命保たせる」「殺さずに長らえさせる」意味あり。「生きさせる」が不自然なのは「生きる」といふ自動詞から派生させて使役の「生きさせる」としているが稀少な用法。だがどういうところでこれが使われているかといへば「生きさせる」といふ語はフーコーの「生きさせる権力」とか。これでもはやこの言い回しの背景は明らかであろう。公権力による個の精神域での調教。それがこの少年において結実したことの大いなる意義、といったところか。いみじくもこの少年「英語ができないから海外には住めない」と宣ったとしているが本来この少年にされるべき訓練は施設での収容期間に英語なり外語習得させ彼が巨圧のまなざし受けねばならぬ日本といふ社会から外れたところで(場合によってはマイケルジャクソン君の如く容姿から肌の色まで変えることも可)生きる可能性をば彼に供すことも一利あり。だがそれができぬのは公権力がする調教の目的は「その国家にて生きさせる個」の生産が目的ゆへ。この少年は公権力のこの更正の究極なる成果として社会に放たれるといふこと。青年となったこの少年に大きな試練があること、など百も承知の話。
▼この少年の口から出たといふ「この国で生きる」といふ感覚、何処かで、と思えばこれは<近代の超克>のこの日本といふ国に生まれ育ち日本の全てを愛しむ、その喜び、あれに近いものあり。清水幾太郎の転向とて然り。この君で生きさせてもらふ為に捧げるべき何かが必要でありそれが愛国心といふもの。