富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月九日(火)晴。昏時北角の知る家に小憩し帰宅。ハヤシライス食す。『文藝春秋』四月号読む。特集は「250万人が読んだ芥川賞二作品の衝撃」と各界の著名人が芥川賞作品について語る陳腐なる特集。自らの雑誌の売れたことで次号噪ぐとは墓下の菊池寛も怒ろうといふもの。余は芥川賞授賞の両作品も理解できず、この特集でも両作品を賞める舛添要一君が賞めるのは自由だが田中康夫『なんとなく、クリスタル』を持ち出して「ブランド名が散りばめられた田中の作品は、いわば高度経済成長の申し子のような、明るい、楽天的なメロディを奏でていた」と語っていることに驚愕。あの『なんクリ』の何処にそんな楽天性があろうか。江藤淳先生も指摘する『なんクリ』の寂しさが舛添君には読めぬのだろうか。先月の芥川賞での同誌の異常な売れ行きと今月のこの陳腐なる特集にバランスをとるかのように巻末に「文士の黄金時代」といふ老編集者らが語る昭和の文壇語りあり。それに語られる船橋聖一だの吉田健一開高健といった文士らの逸話にほっとする読者は余ばかりぢゃあるまひ。浅利慶太の文章で昭和四十七年六月の首相佐藤栄作君の退任記者会見での有名な「私はテレビと話したい。国民と直接話がしたいんだ」「新聞の人はみんな出てください」の孤独感漂う逸話、あれが浅利慶太自身がテレビの効用考えて佐藤君に進言した結果の、とんだハプニングから生じた新聞記者との誤解(テレビカメラに向って話す場合に記者会見の記者のその奥にテレビカメラが据えてあり其の位置からでも首相をカメラは狙えるのに首相はテレビカメラを目の前にして一対一で対峙して話すべきものと誤解したといふこと)であったことを浅利君真相と語る。浅利君本人の話でありこの世代の方は佐々淳行君といい「僕が、僕が」の傾向ありそのまま全て真実とも思えぬのだが。岩波書店『世界』四月号も少し読む。特集は「「日の丸・君が代戒厳令〜脅かされる思想・良心の自由」なり。特集の巻頭に「ヤンキー母校に帰る」のモデルとなった北海道の私立北星学園余市高校義家弘介教諭の文章あり。ヤンキー=特攻服といふ印象だが(笑)この学校ミッション系で平成帝即位祝賀で日本中の学校休校となった日も何事もないかのやふに授業行われた、と義家氏は、専門家でないので日の丸君が代の歴史的経過や功罪論ずるつもりはない、とした上で
ただ、私が学校という教育現場から問いたいのは、出口の見えない暗闇で子どもたちが悲痛な叫びをあげている現実の中で、教育現場に「日の丸・君が代」を持ち込めば、道徳教育を徹底すれば、日本人としての自覚や、国際協調の精神が培われると、文部科学省は本気で思っているのか、ということである。自分たちの叫びが届かないばかりか、唯一の頼りである教師たちが分裂していがみ合っている学校を、彼らはどうして愛すればいいのか。そして、教師たちの分裂の材料を押しつけている国に対して、将来の希望さえ示してくれない国に対して、どうやって信頼や誇りを持てというのか。仲間同士の協調もままならない中で、国際協調の精神などといわれても、遠い話にしか聞こえない。(略)彼らはもうすぐ、この場所を巣立っていく。安心しろ。卒業式には、お前たちを邪魔するものは何もない。卒業式のシンボルはお前たち自身だ。
と……この文章に説明は要るまひ。山崎俊夫作品集補巻二読み始める。山崎俊夫の十代からの秀作集なり。