富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

三月初七日(日)快晴。夜中に咳で目が覚め体調芳しからず。Z嬢に此儘臥ていても腐るばかりと嗾され香島東より日曜日だけ西貢の北潭涌まで走る謂ば行楽巴士に搭り小一時間で北潭涌。車中原武史著『皇居前広場光文社新書読む。北潭涌より郊外的士に乗換へ一般車両進入禁止の西貢郊野公園に入り黄石埠頭。ここより一路海下(Hoi Ha)の海下湾海岸公園まで歩く。道中、香港に暮し四十五年といふ京都出身の女性にZ嬢声かけられ暫し談話。歩行者少なからず而も本日此の一帯にてオリエンテーション開催され参加者多きは難点ながら大灘海の碧き海眺め爽快なる徑。オリエンテーションに参加らしき猛者あり誰かと思へば知己なるT氏。南風湾(写真)より灣仔(当然香島の灣仔に非ず同名の地)の岬に入り北端の棺材角の奇岩まで休まず二時間半。岬戻り海下湾。香港屈指のマリンパークにて当然のことながら水質や自然環境徹底的に保護されるべきところ冗談にもならぬが本来、自然保護すべきWWF(国際野生基金)がこの地に海洋生物センター建設(写真)。而も自然の景観毀す貧困なる倉庫建築に非難甚し。WWFもこの己の蛮行はさすがに痴呆ながらも気づいたようで建物建設したものの依然開設に至らずサイトにもこの醜景はさすがに掲載もできず(嗤)。海下湾はさすがに香港でも有数の水の透明度誇る海灘(写真)。麦酒飲みつつミニバス待って西貢。西貢ベーカリにて麺包購いミニバスで彩虹(彩虹とは「美しが丘」的偽善的無味乾燥の地名、本来此処は牛池湾なり)、香島東への巴士に乗換へ帰宅。一浴し沙田の競馬の最終レーステレビ中継で観戦。馬主C氏のDashing Winner参戦でClass-2に降格で調教の時計もよく倍率12倍といふのも美味しいところ。複勝堅いと期待し更にWhyte君騎乗のSan Lorenzo、Size厩のBumper Bumperを脚に連複、QPで賭ければDWは後方よりじりじりと順位上げてSan Lorenzoのダッシュに合わせ前方開いたところをスタミナ見せて三着に入る健闘。ところで。午後遅く海下湾に着いたところでHKIFF(香港国際映画祭)のTiketing Office名告る職員より携帯に電話あり先週末に申請の映画祭の全上映入場可の通行証が購入者多く已に売り切れと。先週五日がインターネット及び郵便での購入開始でインターネット終日混雑で購入不可のため当日の晩に市大会堂にてカウンターで申込書提出のもの。売り切れといわれてもHK$990の通行証をば購う物好きがそう多いとは信じられもせず。その職員の余りに不躾な物言いにふと昨年の映画祭にて通行証と小津特集の入場不可の件につき納得いかず主催者団体の処理不服として香港政府の申訴専員公署に不服申し立てし受理され通行証の費用全面還付得た過去あり真逆HKIFFに余の名が千古罪人の如く記録され今後一切の便宜図らぬこと内部で確約ありか……などと佳からぬ想像もしつつ何れにせよ通行証売り切れ信じられず帰宅して今日なら最早混雑もあるまひと網上にて購入手続せばあっさりと購入完了。「やはり……」と根拠なき逆怨みは禁物、想像できるは網上予約は半官半民のCitylineに販売委託しており予約好調で販売実状の把握できず素直なるカウンター申請をば先ず却下しているのではなかろうか。いずれにせよ粗忽なることは事実。『皇居前広場』読了。碩学原武史氏が皇居前広場といふ空間を舞台に天皇制の仕組みなど明瞭なる分析。皇居といふとロラン・バルト先生の『表徴の帝国』での空虚なる中心を即思い浮かべるがこの本も俄然興味深き政治学的な分析の空間論。大切なることを三、四備忘のため綴っておけば、まず、先の大戦に於いて昭和帝は軍に利用されたまるで被害者の如き扱いも散見されるが原氏が綴る昭和3(1928)年12月の宮城前広場での親閲式(東京など一府四県中学以上の学校、在郷軍人会代表など八万人が参加)にてその日の雨空のなか昭和帝は台座に張られた天幕取り除くよう指示しそれを聞いた「集まった人々は一斉に外套を脱ぎ天皇も台座に上がるやマントを脱いだ」ことで「天皇と八万三千人の臣民が一体となる」空間が演出されたこと。これは側近の入れ知恵でなく昭和帝本人の判断でありその結果の場の高揚であること。そしてその天皇の御姿に接し感涙に咽ぶ民草たち。この演出がじつは昭和帝が摂政だった頃から僅か十年の伝統であること。これは欧州訪問で裕仁自身が学んだ帝王制の体現であり、どのように王が振る舞えば民草がそれに靡くかといふこと熟知した昭和帝の振るまひ。これをして臣民の天皇に対する親しみをば高揚させ結果的に昭和廿年迎えるのであるから天皇の戦争責任の有無は明らか。次に戦後の皇居前広場の光景。我らが後世知るのは終戦で民草平伏す皇居前広場の光景だが実はその皇居前広場にて戦後最初の集会が1945年8月26日の特殊慰安施設協会(RAA)結成式。要するに進駐軍兵隊相手の慰安婦組織。而も戦後五十年代まで皇居前広場が夜になれば愛を語らふ場所もなき若い男女の性愛の場所として流行ったこと。そういった歴史的事実が隠蔽され聖なる清き空間としてのみ皇居前広場の空間的言説が広まること。三つ目に、戦後「血のメーデー」など熱い時代のあと皇居前広場が活用されぬ時代が続いたものが1986年に昭和天皇の在位六十周年祝賀があり(首相は中曽根)藤波孝生の万歳三唱と黛敏郎指揮の君が代斉唱に昭和帝が昭和17年以来半世紀余ぶりに二重橋に立ったのを契機に昭和帝崩御のご記帳ブームがあり平成になりすでに三度の皇居前広場に陛下お姿呈しになる儀礼あり一度目は即位祝賀式で二度目が即位十周年のこれは特設ステージ設けられ安室奈美恵だのSPEED、GLAY王貞治に星野、野茂に北島三郎といった代表ステージに立ったは記憶に新しいところ、そして三度目が長嶋茂雄毛利衛竹下景子らの「出演」による愛子様ご誕生祝賀であるが原氏指摘するは平成の今上帝はどうもこういった祝賀儀礼の習慣化を陛下ご自身が快しとせず寧ろ愛子様ご誕生祝賀の際の「天皇と皇后は(祝賀行事の)最後に車に乗って(二重橋)正門鉄橋に約一分間現れただけ」といった対応は陛下の「抵抗の現れ」ではないか、と。御意。晩に昨晩の酒の肴にとろろ御飯、酒はいいちこ。NHKスペシャル「フリーター417万人の衝撃」なる番組見る。日曜夜に暗澹。夜半に山崎俊夫補巻一読了。