富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月廿三日(月)薄曇。昨晩に咳がひどく今朝起きれば身体の怠さといいまさに風邪の症状。服薬し昼まで誤魔化してみるが検温せば38.8度もあり養和病院。N医師に典型的なインフルエンザ、今年のは福建風邪だそう、と診断される。急ぎの仕事の資料のみ金鐘で他人に托し帰宅。シロップ状の薬に朦朧としつつ文藝春秋刊『ナンシー関大全』読む。やはりナンシー関の最も絶好調の文章は『噂の真相』誌の「顔面至上主義」。あらためて二〇〇二年六月十三日の余の記述を読み返し最後の「顔面至上主義」読み返す。この『大全』に纏められた文章にも
先日、テレビで全盲の少女が普通の中学に入学したという話題を伝えていた。その子は「中学に入ったら、どんなことをしたいですか」という問いに、「ひと目ボレとかしたい」と答えたのである。誤解しないでほしいが、私が曲解したのではなく、彼女が「ギャグ」として言ったのである。すごい。感服しました。
とか文藝春秋日本の論点'95』にも
テレビの中に出てくる人気者には、必ず「アンチ・ファン」がいる。しかし、それを前提にしなくてもいいのが皇族方なのだ。ご成婚を「全国民で喜び」とした以上、皇族方を「全国民が好意を持って肯定」しているという大前提は、奉祝のピークが過ぎても壊れるものではない。ワイドショーは、はじめて全方位的に絶対的な人気者を得たのである。天皇制だ、戦争責任だ、宮内庁がどうだなんてことは、とうの昔にすべてとっぱらってふっ飛ばしてしまったものである。ふっ飛ばしたことすらも覚えていない、ことになっている。(略)快楽のツボの他に、テレビが見つけたもうひとつのことがある。それは「このやり方なら大丈夫じゃん」である。さわらぬ神に祟りな、は今でもテレビの基本姿勢であることに間違いはない。かつてはどんなさわり方をしても祟られるのではないかと(あるいは必要以上に)自主規制していたと見える「皇室ネタ」の、祟られないさわり方を会得した。右翼やいまだ「不敬罪」が生きていると思っている善意の市民に対してこそ、「おめでたい無礼講」「祝う気持ちが高じての暴走」は有効だったのかもしれない。
という極めて秀逸なる皇室報道の分析もあり。ところで「飛び込み先で自分の生いたちを語り同情を引いて契約をもらうという、昔から商売の世界に伝わるいわゆる豊川商法」についてナンシー関創始者ジャニー喜多川としているのだが、ジャニー喜多川社長は例えばフォーリーブス売出しの頃とか自らがハーフであることを使ってこの豊川商法をしていたのだろうか。わからぬ。夜半に熱が再び三十九度。
▼「歩く産学協同」の異名とる西澤潤一先生、朝日岩手県版のインタビューに答え「県立大に来てもう七年。わたしが退くことも必要だ」と宣われたとか。仙台出身のN君より。この先生、首都大学東京の総長になられるわけだが「わたしが退くことも必要だ」って公職そのものから退くということ考えられぬのだろうか? 人間は誰でも自分だけは死ぬまで長生きすると認識か、帝京大の安部某のように在職中にボケたらどうしよう、とか不安はないのだろうか、とN君。