富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

二月十二日(木)晴。臥床。薬の所為か夢も濃厚。何処か地方の、けして遠くはなき守谷といふ地名は知っていながら訪れたことなき土地訪れる。叔母の家近し。昨今どの都市も商店街など人気もなく閑散とするのに比べ此の守谷の市街は終戦直後のドヤから開発始まったような雰囲気で雑多だが人多く盛況にて何処かほっとした思いに駆られる。叔母の家はこの守谷から一つ山に入った処で其処訪れるが山中にて道に迷い宵の大きな闇に包み込まれ恐怖のなか山を跨ぎ走りまわり何故か母の運転するセダンに拾われ守谷の町に戻る……といふような夢、何度か覚醒め断片的ではあるが守谷という街を中心とした物語が夢の中で続く。中上健次の「路地」の如き活気其処にあり。晩に尖沙咀。地下鉄站にて老人らが慈善米を売り賛助金得る街頭募金活動するを見て余を含め賛助請はれても拒み立ち去る者殆ど。請ふ方も請はれる方も愉快ならぬ気分。老人であるとか若い学生であるとか社会的弱者をかの如き募金活動に従事させお情けにて募金つのる厭らしさ。本来は税金で賄われるべき多くの諸事業に資金まわらずこうして各福利団体が独自に募金つのり我々の税金はくだらぬ土建工事と「畜う」価値など全くない官僚の給与に宛がわれていると思ふと不愉快極まりなし。その矛盾あり余は一切の街頭募金などに心鬼にして応じず。吉野家にて牛丼食す。香港は何事もなく牛丼供さるる。香港は米国産ではないのか日本が神経質なだけか。いずれにせよ日本で食えぬと思うと更に美味に感ず。向いに坐った少女(香港の吉野家は日本の出臍型横一列レイアウトでなく普通のテーブル席)、徐ろにお箸パックの中の楊枝取り出し(香港の吉野家はお箸パックに箸、紙ナプキン、多くのメニューに飲み物付く為のストローと吉野家の紙包装された楊枝がセットになっている)その楊枝を使うのかと思ったらバッグの中から出したのは「三、四十本を輪ゴムで束にした吉野家の楊枝」で、そこに満足そうな表情で「今日の楊枝一本」をさして満足そうな表情で何事もなかったかのように牛丼食し始めるかなり気になり余は牛丼の美味さも忘れ、なぜ楊枝集めるのか、わざわざ持ち歩く意味は……と考えれば考えるほど不可解。都市にはこのような都市伝説的なビョーニン多し。で余はこれは確かめるべき、と丁度まだ使わずに紙ナプキンと一緒にお箸パックに入ったままだった楊枝を、ナプキンを出すふりして何気なくテーブル上に落として使わず。そのまま店を出たふりして、この少女が余の遺した楊枝をゲットするか無視するか観察。その結果、彼女はその楊枝には見向きもせず。つまり彼女にとって楊枝は吉野家の牛丼何度食したかの勲章であり他人の楊枝ゲットするまでの楊枝マニアでないこと確か。……と観察していてこのようなこと地階にある吉野家の階段で身体屈めて店の中偵う余の方がよつぽど都市伝説的なビョーニンであると自覚。自省。
▼臥床に手当たり次第たまっていた資料読む。レバノン大使の天木氏も外務省にまだこんな真っ当な神経の外交官いたのか、と溜飲下がる思い。だが罷免されたが。日刊ベリタにあった中村敦夫氏の講演記録も一読どころか二読三読に値。木枯らし紋次郎が「あっしにはかかわりのねぇことでごさんす」と言わずにこうして孤軍奮闘、世事にかかわっていることへの信頼。米国がまだソ連存在した冷戦といわれた二十年ほど前にもうすでに砂漠戦(=中東)想定し軍事訓練行っていた事実、つまりアルカイダフセインもおらずとも石油権益のため米国は中東武力侵攻が必然となること。イラク戦争で寿府条約にて禁止されぬ劣化ウラン弾が使用されたこと。米軍の攻撃で9,852名もの市民がイラクで殺されていること。民主的で自由平等なルールを強調する新自由主義が競走に出れない者もいる前提や競走で負ければ救われぬなど前提からして平等でなくインチキであること。グロテスクなどほどの南北、貧困の格差。犯罪が増えるのは当然。それを抑えようと警察国家化……これは佐々淳行などの治安よき社会が前提となる論理の矛盾、なぜ犯罪がおきるかに対する無思考(富柏村註)。中村敦夫が標榜するは農林水産業の見直し。ローテク、スローな社会の実現。
原武史『「民都」大阪対「帝都」東京』読了。梅田の阪急線が跨線橋……といっても今の若い方は御存知なかろうが昔は国鉄線跨ぐ跨線橋あり十三から梅田に入る阪急電車国鉄線跨いで梅田の驛に渡る様は近代的で、それがここが原氏の指摘する歴史の分岐点だが国鉄の力に圧して国鉄が高架線とする為に阪急は涙をのんで高架の権利を国鉄に譲り渡し地上線となりその上を国鉄が走るようになり……という歴史あり、だが今の若い方にとっては「阪急も高架やな、梅田の駅は」だろうが、これは七十三年だかに阪急線が乗客数の増加で旧来の駅構造では輸送追いつかず国鉄の北側に高架の新駅設けて梅田阪急の建物からプロムナード抜けて(つまり国鉄の高架の下を歩き……これは原氏は指摘されておらぬが梅田阪急の建物より阪急駅に向う途中の古典的な豪華絢爛なプロムナードこそ実は国鉄線の下を潜るという阪急にとっては屈辱的な構造を客に感じさせぬ仕組みとなっている点も興味深し)としたもの。つまり現在の阪急の梅田駅は高架の初代、国鉄に屈辱の二代目に続く三代目駅舎ということ。で、それだけ、といへばそれだけのことからここが原武史氏の凄いところで関西の反権力的なる私鉄ネットワークが昭和の時代に天皇行幸といふ儀式とともに国鉄が関西にのさばるようになり関西私鉄の象徴の如き阪急梅田のこの高架線もついに国鉄の圧力下に取り払われた、という物語。また実は天皇制なるものが明治の時代から近代の天皇制として泰西の王権の如く臣民はこの帝に対して対峙し礼を尽くしたものが皇紀二千六百年を境に天皇も伊勢の先祖神に向い頭下げる形に変わったことも興味深し。ちなみにこの阪急での物語、NHKが「プロジェクトX」にて取上げると一九三一年のその一夜にて国鉄も阪急も一本の列車も止めることなく高架線と地上線の線路をば掛け替えた世紀の大工事を当時の工事関係者の努力、でまとめるのであろう。そこに天皇制にまつわる権力の葛藤といふものなどタブーとなるはず。
▼かなり年下の知人の受けた私立中学の入学試験の国語の問題が目取間俊の「軍鶏」とスーザン・ソンタグの「他者の苦痛へのまなざし」って小学生の読む文章か……。殊にソンタグは「20世紀にはいり大量虐殺の時代が始まると写真はいかなる文章をも陵いで戦争の実相を伝えるメディアとなった」というような本文を読ませて最後の記述問題が「本文の内容をふまえて、A)9.11事件とその後のアメリカの対応、B)広島長崎への原爆投下のどちらかについて、あなたの考えをまとめなさい」ときた!、と。知人はAを選び米帝批判展開したそうだが、版元はみすず書房=難解本の代名詞。明らかに、総合的学習だのゆとりの教育だのとお題目だけ創造的な公教育とお題目捨ててプラグマティックに思考力想像力卓越した子だけ育てようといふ私教育への分化。ちなみに社会科には「広島に原爆を落としたのはどこの国か?」といふ、ソンタグ読めた子には余りに簡単な設問あり。「そりゃアメリカだよ誰でも知ってるでしょうが……」って思うのは素人。考え方によっては十万人単位で非戦闘員虐殺した国と戦後は何事もなかったかのように「友好的」主従関係を結ぶのがわが国の主流文化だと思えば小学生にあらためて「そうだよな、アメリカが原爆落としたんだよな」と再確認させる作業はやはり極めて重要か。戦争の悲惨さ、日本のアジア侵略を語ることが東京裁判史観だの自虐史観だのと非難されるが、考えてみれば、戦争終って一方で天皇を免責し他方で東京空襲や原爆投下を不問に付す歴史観こそ「東京裁判史観」そのもの。