富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

一月三十一日(土)曇。或る研究会あり終日、金鐘の某施設に缶詰め。昼に主催者側の按排で金鐘の某酒楼。有名店にて客も多く賑わうが余の好まぬ点心に使ふ調理油はサラダ油だろうか美味い不味い以前にどの料理も味付けすら全く感じられず。『世界』二月号にて碩学・徹沙森巣鈴木女史の連載「自由を堪え忍ぶ」の第二回「暴走する市場」読む。秘露の経済学者エルナルド・デ・ソトの、欧米資本主義の成功の理由を所有に関する法体系の整備に帰結させる理論だのポランニーの市場経済論を取り上げつつ、十七世紀より十九世紀の西欧での資本主義の成功は、1)自由な労働力の出現(マルクス)と2)資産を可動性のある資本に転化するための財産法の整備(前述のソトもこれ)に加え3)法人といふフィクション的企業形態の出現、4)不特定多数の出資可能にする株式会社といふ仕組みの発明の4つを挙げ、それによって出現した資本主義という仕組みの「売り」は何かといえば、東印度会社の昔から今まで基本は変わらず、まだ実現せぬ利潤のために資本募り資本投資される運動であり、即ち「未来を売り買いする」こと。未来にあるであろう(なくてもそう信じる)利益の約束が現時点における資本(価値)をば創造するのだが、この原理機能するのは明らかに「未来の収益に対する信頼するに足りる根拠がある時だけ」であり「成長」が推進力。この市場の飽くなき拡大によりヒトの自由までが浸蝕され健康や幸福にまで悪影響与えヒトの生活の内部までが商品化される現実。目を外に転じれば世界の貧困格差著しく飲み水や最低限の医療、通信すら満足ならぬ土地に衛星放送だの高度情報システムなどが整備される矛盾。……以上の提言を以て鈴木女史次回は「この現象、及びそれが自由に与えた帰結を検討」と。銅鑼灣のウィンザーハウスにてiPod関連用品購い帰宅。書斎と寝室のBoseiPod繋ぐ為。鮭汁に山芋とろヽ、麦飯で夕餉。菊正宗。暮れに帰省の折もって来た徳利とぐい飲み、いかにも江藤淳先生好みさふな逸品ながら徳利は口小さすぎ酒入れるにも注ぐにも酒が踊ってしまひ、注げば徳利の口の酒が滴りと使い勝手悪し。実家より暮れに郷里の百貨店にて仕立てのワイシャツ届き正月の歌舞伎初芝居のビデオもあり鑑賞せむとするが音ばかりで画像なし。残念。網上の日本の古本屋にて河上肇先生の『自叙伝』と『貧乏物語』注文。驚いたは自叙伝こそ今も岩波文庫にあるが貧乏物語の如き歴史的著作も今は絶版。自叙伝も現代仮名に新字では読む気もせず古書該れば貧乏物語は昭和二十四年の岩波書店刊600円と自叙傅五巻揃昭和二十七年の新書版あり1500円注文。
衆議院「井落」復興支援特別委にての採血。質疑終了し採決求め審議打ち切り動議出されゝば与党「その筋」の議員議長席取り囲み殺到する野党議員より議長防禦し与党議員の万歳と拍手、野党議員の「反対!」の怒号の中の採決。野猿の如し。議員をば猿と一緒にせば猿に失礼か。これに比べ英国議会見れば首相ブレア君の詭弁演説の間も罵声すら飛ばず呆れた議員らの間から「チェッ」という舌鳴らしに冷やかなる嘲笑続き、これこそブレアにとっては己いかに莫迦かと痛感する儀式にて、これぞ「まだ」大人の世界か。
▼香港中文大学の日本研究学科、大学のリストラにより休科決定するを知る(こちら)。余が九十年に中文大学の門潜りし折に日文組あり、此れ発展解消し翌々年だかに学科に昇格。当時既に日本の泡沫経済終焉迎えしものの已然「日本」なるものへの関心もあり学ぶこと少なからずといふ期待もあり。余は地域研究なるもの組織としてどの程度成り立つものか疑問あり。語学なら語学で良し。そこに文学歴史に人類学、政経と一人二人と地域研究の専門家集めたところでひとつの体系だった「日本研究」なるもの成立し得るかどうかは疑問。客観的に見て学科としての研究成果、学生の集客力など学科存続の検討材料とされた場合、中文大は零細学科廃止して経営学、生物科学、ハイテクといった「カネの成る樹」をば育てるは明白。この十年で記憶に残るは九十二年の池田大作SGI会長への「傑出訪問教授」の称号授与(英語はDistinguished Visiting Professor、創価学会では最高訪問教授といふ呼び方)及び二〇〇〇年の名誉博士号授与(厳密にはいずれも大学本部のお仕事。)と〇二年に碩学加藤周一氏の客員教授としての滞在と講義か。