富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月廿六日(日)晴。巴里より戻りてからの身体の不調と疲労はひとえに太陽電池切れと思わされるほど野外に出る機会なし。紫外線が肌に悪いだの皮膚癌だのと怖れる風潮あるがやはり燦燦と照る陽に充たろうと百年ぶりに裏山に入りMount Parker Rd上れば季節柄行山の人多し。Mount Parker の峠より大譚を下り島南の海岸まで休まず10kmほど走る。我ながらよくぞ走るものと感心。気温は25度ほどながら湿度は40%台まで下がり日射しもけして苛しからず。海岸で三田村鳶魚著(朝倉治彦編)『娯楽の江戸、江戸の食生活』中公文庫読む。娯楽、主に芝居についてよか江戸の食に関する文章面白く、今では江戸の伝統と思っているような天婦羅すら明治の十年代に天婦羅を食わす料理屋といふのは東京(とうけい)に僅か数軒しかなかった、つまり天婦羅など屋台だので立ち食いする下品な食品にすぎず。鮓は江戸では鮪が主だがそもそも寿司は酢で〆たのが寿司であり鮪とは酢で〆られぬ魚ゆえ、それを寿司といふ大きな矛盾と。確かに。浜辺で転た寝。灣仔のジム。帰宅。遅晩の映画あり簡単に夕餉済ましているとT夫妻より電話ありT君本日Wilson Trailでのレースに出場したところ夫妻で寿司加藤にてご一緒せぬかと誘いあり。すでに食事していたが「加藤なら」と(笑)。加藤にて麦酒飲み笑話つきずばってらと穴子の押し寿司。三田村鳶魚読みやはり寿司は〆た肴と押し寿司か、と。夜九時すぎより電影資料館にて『生活秀』(原作:池莉、監督:霍建起、02年北京)見る。中国映画はもう第六世代なのか第七なのか重慶で料理屋営む若い女性(陶紅)主人公に都会の孤独、筋はあまり好きぢゃないが都市舞台に陰鬱な雨と曇り空ばかりの映像はかつてのATG映画の如し。物語の単調さもATGを彷彿させるばかり。客席最前列中央にかなり不快な体臭放つちょっと気の振れたらしきコーカサス系の男あり周囲の客が退散するほどの悪臭に閉口。へんな客といえば昨日の聖ペテルブルグフィルの会場に終始毛糸の編み物するオバサンおり。係員も一瞬たじろぐが「音をたてていない」という判断でか放置。隣の客はかなり迷惑そう。余の席より視界に入り気になるとかなり気になる演奏中の毛糸編み。一階席の端のかなり目立つ席でのことゆえビオラ奏者あたりからは見えたはず。「香港では……」とかなり話題になっただろうか。そういえば、この毛糸編みオバサンほどでないが呆れたのは昨日のペニンスラホテルのバーでの米国人二人。男は半ズボンにスニーカー、女はTシャツにジャージ。米国人ゆえ(しかも言葉からして加州)本人たちにしてみれば土曜の午後、何ら問題なき服装なのだろうが、結局問題はホテル側。かつては半ズボン客をロビーすら通さずのこの「スエズ運河東で一番」のホテルもこうして品のない客を待し、かつては携帯のベルがなっただけで「お客様、当バーでは……」と給仕が走ってきたものが今では客の大声での会話も放置。そういえば昨日そのバーで不快であったのは路祥安(写真)を見てしまったこと。董建華の行政長官就任以前からの腹心にて行政長官上級特別秘書になったが三年前に香港大世論調査に中止圧力かけたことで失職、但し当然董建華の信任厚く前の行政長官選挙では董建華選挙対策責任者(といっても形だけの選挙であるからたんに財界から資金提供受けるだけの仕事だが)で今は董建華の家族会社である船会社に戻っているのが路祥安。かつてJimmy's Kitchenにて司法司長・梁愛詩女史見かけていらいの不快感。
APECののち精力的に豪州、新西蘭と訪問続けるがAucklandにて独立主張する台湾系市民の示威行為に遭遇。世界でも言論の自由では秀でる新西蘭であるから国家間外交の場とはいへ当然のように警察がこの台湾系市民を威圧することもCoquinteau主席から見えぬ場所まで移動させるような指圧もなし。台湾の高雄では台湾を独立した主権国家とする新憲法制定を求める与党民進党主催のデモにいくら民進党支持の高い台南とはいへ18万人の市民が参加。日本は真剣にこの台湾問題に対処する必要があるが解ってはおるまひ。ところで首相の秘書というか実質的に小泉を仕切る飯島秘書官の別荘、高級車二台購入など目立つとか。著書の印税だそうだが購入した車が米国車キャデラックといるのがさすが親米政権。
▼松山のS氏が書かれている。昨晩TBS系「ブロードキャスター」見られば中途半端な女性コメンテイターがまた中途半端なことを語り「現在の政界において最も信用できないのが小泉安倍政権であるのは今や明白であるはずであるのに報道各社も批評家諸氏も、そこだけは聖域であるかのように、決して否定しようとはしないのは何故なのだろうか」と。Sしは郵政事業民営化を取り上げ「そもそも郵政事業の民営化を、日本国民は望んでいるのだろうか。民間で可能であることは全て民間で行えばよい!というのは都会人の発想でしかいない。都会では郵便よりも宅配便の方が速くて便利なのだそうだが、地方では実は宅配便よりも郵便の方が速い場合がある。四国最大の都市とされる松山でさえそうなのだから、もっと田舎の方面へ行けば郵便の必要性はさらに大きくなる。離島ともなれば必然的にそうなる。郵政民営化ののちには大都市以外に住んでいる人々は徹底的に不便を強いられることになるはずだ。幸せになりたければ都会に住め!というのが政権の主張だろうか」と。余りに説得力ある具体例。これは「なるほど、かの田中角栄とは正反対の考え」であり「それは自由民主党の旧来の美徳に反対すること」であり「自由民主党が強かったのはもともと弱者救済のことを旧社会党社会民主党)よりも熱心に推進してきたところにこそあったわけで、それだからこそ永年の一党支配があり得た」のに「日本国民は本当に小泉改革を待望しているのだろうか。そのことの意味を真面目に考えたことがあるのだろうか」とS氏。全くその通り。この小泉政権に矛盾ばかりなのは言わずもがな、S氏は中曽根大勲位の引退問題取り上げ「大勲位の引退そのものについては僕は全然惜しいとは思わないが、ただ小泉の「非礼」は確かに許せない」わけで、この大勲位比例代表制終身筆頭を確約した橋本君が非難されるが「橋本龍太郎加藤紘一を非難しがち」なのは「見当違いも甚だしい」のであり、「当該問題を引き起こしたのは小泉であるのだから、石原慎太郎はじめとする大勲位礼賛者は小泉をこそ非難しなければならないはず」であり「小泉だけを聖域にしてしまっているのは何故なのか。聖域なき構造改革を主張する小泉その人だけは聖域であるのか」と。