富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月廿三日(木)晴。昨晩遅く月刊東京人開けばいつも初頁から捲るところ目次眺めれば巻末に近き川本三郎の連載「東京近郊泊まり歩き」が荷風先生晩年の地・市川とあり川本氏で荷風では読まぬわけにいかず特集の六本木特集など興味もなく頁飛ばして市川を読む。戦後の荷風先生は浅草でのお遊び除けば市川での暮し寂しく川本君の筆もいつも以上に寂しげに鄙びた市川を語る。まだ眠れず荷風先生断腸亭日剰昭和12年少し読み漸く寝入る。昼に馬主C氏にメール。今季12月までにHappy Valleyでのクラス1〜3の競走にて最多勝の馬に贈られるHappy Valley Championshipは目下二勝のC氏の持ち馬Dashing Championが独走中。一勝目は口取りにも参加させて頂き二勝目を知ったのはドバイで見た香港紙の競馬欄。そのDashing Championが明後日、年に一、二度といふ珍しいHappy Valleyでの昼競馬に出走。だが残念ながら土曜午後に藪用あり観戦できず予め残念無念をメールせば隙かさずC氏の次男B君より返事あり本日の抽選にて1枠を獲た、と。しかも騎手は前勝も騎乗の見習ながら4勝と地元騎手では最多勝にある魯柏軒君騎乗で見習ゆえセキ量は10磅減で112磅と出走馬中最軽とは、これぢゃもはや勝ち名乗りも当然。観戦できぬこと悔しいばかり。競馬家族のC氏父子、余が凱旋門賞観戦のためパリにまで出向いたこと知り、“Great horserace lover”とお褒めの言葉いただく(笑)。
▼その昨晩の荷風先生の市川での話だが、川本氏のかなり興味深き記述あり。荷風先生の市川での食卓であった駅前の大黒家、荷風先生連日菊正宗一合とカツ丼にお新香注文するのだが、川本氏店に入ると来客に気づかぬ女将に「お客さんですよ」と言ってくれた一人の褐色の肌の色した女性あり、その女性が去ってから女将に言われて判ったのはそれが今井正監督の名作「キクとイサム」1959年でキク役の高橋エミ子(川本君は恵美子と書いている)とは……!。なんといふ偶然。このへんの映画に詳しい川本氏が荷風先生の市川訪ね歩きの最中に大黒家でキク役の元女優と遭遇なんて……。すごすぎ。ちなみに高橋エミ子、映画出演はこの一本のみ。川本氏は彼女が「現在は高橋エミの名で歌手として活動を続けている」と書いており、更に余は驚く。いろいろ検べたが、高橋エミといふジャズ歌手おり、同名だが年齢も異なり別人。川本氏が勘違いされているとは思えぬが、こちらのキクの高橋エミのほうの歌手活動がどのようなものなのか不明。絶版だが本間健彦『戦争の落とし子ララバイ―「キクとイサムのヒロイン」高橋エミの戦後50年』三一書房といふ本が出ていたことも知る。
▼半年ぶりに朝日新聞購読し昨日の吉田秀和先生も今日も夕陽妄語加藤周一先生ご健在ご健筆揮ふを読み甚だ畏まると同時にふと連想したのは自民党の中曽根大勲位宮沢喜一君。昨日の朝日で早野透が書いているが小泉君が「今ちょっとお年寄りが頑張って困っている面があります」などと街頭演説で言っているからダメなのであり、自民党の「若手」などに比べれば世界的な視点で的確な判断と意見をもっている点では大勲位と池田子飼の(などといってもお若い方には解るまひが)宮沢君の二人を置いて他におらず毎日新聞では岩見隆夫君が書いたように大勲位と宮沢君は「日本の財産」と。具体的には、例えば、大勲位は9・11の直後に「アメリカの覇権的な政治への嫌悪感が事件を引き起こした面もある」と述べ、宮沢君がイラク戦争で「これは9・11に対する報復。ある日、空に魔物が現れたと、大量破壊兵器を一くくりにして全部サダム・フセインに背負わせた感じを歪めない」と宣ふ。早野氏曰く「こうした発言は小泉首相からはついぞ聞かれない」と。小泉君ばかりか石原慎太郎君や新保守の安倍、石破といった輩などテロ攻撃に勇むばかりで確かに大勲位、宮沢君の如き世を見据えた視線など微塵もなし。本来であれば大勲位、宮沢君に「世代交代しても大丈夫」と言えるべき、と早野氏指摘するがその通りで、而もそういえるだけの後輩育っておらぬ事実。で、これが朝日新聞での吉田、加藤の両御大が八十を過ぎても健筆揮ふのも同じこと。評論家などいくらでもいるのだが、例えば昨日の吉田先生の「音楽展望」では最近評判の河島みどり著『リヒテルと私』草思社取り上げる。吉田先生も指摘するようにこのリヒテル本、実はリヒテルの音楽についてなど殆ど語られておらず、であるから音楽評論家はこの本を取上げられないし、取上げたらけして好意的には書けぬのだが、それが吉田秀和だから大上段に構えて余裕でこの本を楽しく語れる。今日の加藤周一とて塩津哲夫の能「山姥」を語るのだが、京の曲舞師らの一行=強い側(majority)に対する山姥=弱い側とし、この能劇は世阿弥が内乱と一揆の時代にあって紛争をよく観察した結果の物語である、という。加藤先生は、その弱い側の主張を強い側の言い分より注意して聞くのが常識的な判断で、だがそれだけでは十分でなく、紛争急迫すれば嘘を言うのは強者ばかりとは限らぬし、できるかぎり客観的な判断に到達するためには対立または紛争当事者の両側に超越する基準乃至権威が必要、世阿弥による「山姥」の話の偉大な独創性は「都の猫も杓子も世を挙げて山姥の怖るべきことを呼号していたであろう時、ひとり相手側の立場から見てその怖れに足らぬことを指摘した点にあるだろう」と加藤先生は賞める。加藤先生らしく世阿弥の古典劇から現世のこのファッショ的状況を憂う、確かに見事な一文。この古典劇を語る文章から、現世の、この国の、山姥に相当するのは「北」かラディンかフセインか、「テロ、テロ」と相手を詰ることしか知らぬ政治家に踊らされる国を憂う要旨を読み取れるかどうか、大学入試で現国の問題で東なら立教、西なら立命館あたりが好んで使いそう。結局、こういった文章を書ける後進がおらぬこと。で、結局は朝日でも誰も両御大に「お引き取りを」などと言えず。老害なのではなく、実際は若手から育つ者おらぬことが問題。
APEC終了し中国のCoquinteau主席は豪州訪れカナダ首相は北京訪れ温家寶首相が応じるなど各国とも積極的な外交続ける。日本もAPEC開催前にはメキシコ大統領来日するが貿易協定結べずブッシュも立ち寄るが日本などブッシュにとって殆ど藩下の街道筋の宿場町の如き様。APECにては日本は米国の「ぱしり」役をば演じたのみ。終われば何事もなかったが如く衆議院選挙ばかり、しかも中曽根大勲位宮沢喜一君への引退勧告が首相の課題とは呆れるばかり。もはや亜太地区に日本といふ国家の存在感もなし。
ケン・ローチ監督続報を築地のH君より。産経新聞本日の社説で世界文化賞について受賞者を紹介するが何故か(笑)ケン・ローチ氏については触れず。触れられず、が正解か。六ヶ所村を舞台にしたドキュメンタリ『海盗り』などの土本典昭監督が日本原子力文化振興財団より映画制作費を頂くが如し。さすがに記事では紹介するがローチ氏は「予想もしなかった賞に驚いている」といふコメント。笑えず。しかもローチ氏は「今回の賞金の一部を日本の市民運動などに寄付する予定であることを明らかにした」と。さすがに「市民運動など」の表現が産経では精一杯、まさか労働運動とか左翼運動とは書けず。この賞の背景考えれば辞退も考慮できるところ受賞して賞金を運動資金に投入とはケン・ローチ、じつにお見事。H君懐疑するは、ふと、なぜケン・ローチがこの賞を受賞したのか、と考えた場合われわれはつい「産経だからよくわかってないのだろう」と安易に考えてしまいがちだが、ひょっとして何か深謀遠慮が働いているのかも。単に「見識がない」という結論が正解ならだとするとその新聞社を我らが祖国に君臨する政財界が応援しているとしたら皆さんあまりに低レベル。敢えて何か深謀遠慮あってのケン・ローチ監督への授賞とすれば、理由は余りの保守の余裕気取りか不甲斐なき左翼の現状に敵に声援送る故かとも察すが、いや、やはり事実はたんにケン・ローチが誰かわからずの授賞。