富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十九日(日)快晴。昼に知人宅にて一宴あり山頂。M君に送られ中環。FCCにて珈琲一飲。親中派団体主催の中国有人宇宙飛行成功の祝賀行列。約千名参加とか。銅鑼灣。北角。晩におでんに「ちくわ麩」なしとZ嬢より緊急の電話ありCitysuperにならあるとのこと。すでに身は北角。太古城のユニーならちくわ麩ある場合もある、と。ショッピングセンター而も日曜日而もユニーとは願わくば接りたくなき混み場所。思わずコンビニで麦酒一飲して酔った勢いでユニー。菓子など購ふ。帰宅しておでん。NHK特集にて「最期のひばり」見る。余は80年代の後半NHKの当時の音芸部にてMプロデューサーの下美空ひばり嬢の最期の追悼番組製作のため資料収集等に従事したことあり興味深し。製作はS氏プロデューサーに昇格されており14年といふ月日感じるばかり。ひばり嬢の付人であった関口女史の克明なる闘病の記録が今回の番組の目玉、それを加藤和也氏当時回顧しつつ医者の証言など交えた内容。番組は昭和62年のひばり50歳大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎での済生会福岡総合病院入院より始まり翌年の退院と復活、伝説となった昭和63年の東京ドームでの不死鳥コンサート開催、翌年昭和が終わった翌月小倉から全国ツアーから始めたが直後に済生会福岡総合病院に再入院、東京に戻り石井ふく子女史の紹介の代沢診療所の医師が間質性肺炎と診断、順天堂大学に入院、三月にニッポン放送美空ひばり感動この一曲」10時間生中継番組に在宅出演が生涯最後の仕事。番組の最期「この歓びの半分はひばりを応援してくださったファンの皆様に。だけど残りの半分は私が歌を歌い続けられるよう私にください」といふ一言耳に残る。この時期お嬢の描いた色紙絵の素晴らしさ。6月に永眠するがその日は奇しくも余の誕生日。この6月天安門事件
▼二週間前だかの週刊読書人に佐藤嘉尚著『「面白半分」の作家たち』(集英社新書)の紹介あり。冒頭に吉行淳之介氏の言葉として「面白半分を英語では というらしいね」が紹介され評者(金田浩一呂氏)は「なるほど日本語でマジメ半分とは、まず言わない」と語られているがseriousでなくselriousといふ言葉あるのか?と辞書まで引いてしまったが単なる誤植(笑)。それにしても1971年から80年までかっきり70年代そのものの『面白半分』の編集長であった12人の作家のうち半数が已に故人とあり目を疑う。吉行淳之介野坂昭如開高健五木寛之藤本義一金子光晴井上ひさし遠藤周作田辺聖子筒井康隆半村良田村隆一。確かに。半数どころか現在だに「まともに小説家として」健在は井上ひさし唯一人では? つい昨日の如き70年代、確かタモリが全日本冷やし中華同盟とかやっていて原稿間に合わず白紙の頁!などあったのもこの雑誌ならでは。当時『面白半分』『ビックリハウス』、植草甚一責任編輯の月刊『宝島』、まだ手作りに近い『ぴあ』や『本の雑誌』など面白かった時代。最近あの時代から80年代の回顧出版物多し。
▼昨日の蘋果日報の陶傑氏の随筆、中国の有人宇宙飛行取上げる。これが中国人の成就であることも先端技術であることも事実。だが、と陶傑氏、まず宇宙からの第一声は歴史に残るもの、ゆえに宇宙飛行士自身の言葉なのか、まぁ政府が決めて宇宙飛行士に諳じさせるのだろうが、ソ連のGagarinは「神はいない」と西側に向けて共産主義無神論を宣べ、69年のアポロ月面着陸では有名な「これは私の小さな一歩だが人類にとっては偉大な一歩である」といふ格言を遺した。それに比べ中国の宇宙飛行士が口にしたのは「とても快適だ、気持ちいい」と余りに個人的感想に過ぎず本来なら「中華万歳!」とか、政治的には面白いのは「宇宙から毛主席が見える」とか「宇宙から董建華の香港統治を支持する!」だろうが(笑)いずれも中国の幽黙感に欠ける。飛行士の家族との会話も奥さんに「励ましに感謝するよ」では余りに革命的、中国ではさすがに「愛してる、ここで一緒にいたかった」とは言えぬだろう、あくまで党と国家である。ただし「励まし」とは……あまりに味気ない。息子も父親への一言は「宇宙から見る星はどんな色なの?」とか「宇宙人はいる?」ではなく「ご飯たべた?」というのは宇宙に行ってもまだ中国人が長年最も憂う深刻な問題で食か。それに加えて発射の時の歌舞音曲の民族踊りは香港返還での愛国騒ぎと変らず、着陸時の大騒ぎなど飛行士の体調など考えもせず娯楽性ばかりの大騒ぎ。アジアの一大農業国から一変してロケットに乗ったわけだが、彼らは「百年の屈辱」を忘れるべきではない、と陶傑氏。米国の月世界探検は好奇心(Curiosity)であり、これが西方文明建設の原動力。ソ連の宇宙開発は政治的。中国の神舟五號は民族の尊厳であり宇宙開発には何ら興味もなく、ただ自己の欲求の満足なのだ。董建華ですら「やればできる(大好河山遭受軍割了=どんな大河や高い山でも軍力で割ることができる)」などと宣っているが、あの宇宙飛行成功の一日は董建華も在米の中国大使もみんな田舎者丸出しの大騒ぎだった。……と。この陶傑氏、サイード語らせればロラン=バルト的だが皮肉言わせるとかつての筒井康隆の旺盛時よか凄し。
▼17日の朝日に人口問題特集で中仏の碩学二者の展望一読に値す。中国の国務院発展研究中心社会発展研究部長・丁寧寧氏は(要旨)
少子高齢化を迎える国と人口増加中の国がありそれぞれ問題を抱えるが国単位でなく欧州が高齢化した独仏などが若い周辺諸国を取り込みEU全体の高齢化緩和するようにアジアでも最初に高齢化迎える日本は他のアジア諸国からの移民受入れるべき。アジアと日本の間には(ここでアジアに対比する存在として日本が置かれている現実を日本は理解すべき……富柏村歴史認識の違いなど障害があるがこれを乗り越え人的交流を早急にすべき。日本は労働力不足解消し送り出す国は雇用や所得確保ができる。中国にとっての人口問題とは、一般的には英国の産業革命や日本の近代化に見られるように国家が工業化する時に増えた人口の余剰人口を労働力として工業に投じて産業化したのだが、中国は農業国の段階でソ連モデルで出産奨励したため人口増大してしまい、一人っ子政策で急激に抑えた分の今後の高齢化が速まる。今後の課題は、過剰人口の抑制から急激な高齢化対策。今後10年は成長率の維持は可能。2億人に満たぬ二次、三次産業労働力がGDPの9割を占め、残り5億人でGDPの1割といふ極端な二重構造だが、農村部から都市に流入する若い人口が成長を引っ張る。だが2015年頃には60歳以上が人口の15%となり年金や医療など高齢者ケアのコストがGDPの1%〜2%となり問題化する。まだ一人っ子政策は有効。短期的には、人口増を抑制し経済成長に資金を回し貧困など社会問題の緩和をする。まだ社会資本や社会保障制度が整わず出産抑制は必要。だが将来的にはこれの緩和も必須。すると出産願望が一気に吹き出す懸念もあるが女性の社会進出や子育てのコスト(共産主義で!?)増大で出生率は上げたくても上がらぬかも、と。
日本が重要な判断を迫られているのだが今度の衆議院選挙での各党の政策でもこの深刻な人口問題に具体的な言及は見られず。
フランスの人類歴史学者のEmanuel Tods氏は
20世紀の歴史は独逸や日本に見られるように人口急増が国際社会を不安定にさせた。それに対して21世紀は出産減による人口均衡で世界が安定するのではないか。欧州に見られるように人口が安定化すると隣国から攻撃受ける疑念が政治家の頭からぬぐい去られ欧州統合が促進された。移民差別や極右台頭もあるが均一社会に慣れきった老人は去り移民の若者もフランス人になる。極右のルペン氏が初回投票で2位になっても2回目投票で有権者の8割が志楽氏に投票したことを積極的に評価すべき。せっかく安定期に入るべ世界で米国の存在が問題。人口増の時代なら世界安定に米国の存在が不可欠だが米国は人口安定化した今の時代にまだ存在感を誇示するため秩序破壊をしている。日欧など先進国はこの米国の単独主義を暴走させないよう囲い込む必要がある。世界は均衡の方向に向かっており最期のあがきをする米国と軍事力で競争することは無意味。先進国は自国内の経済社会問題の現実だけに対処し人口減ばかり消極的にとらえず途上国をどう引っ張り上げるかに力を発揮すべき、と。
人口安定化すると政治家は隣国からの攻撃など口に出来なくなるそうだが日本では人口安定化しても隣国からの攻撃が政治家の頭から離れないというのは日本の政治家がどれだけ馬鹿か、といふことか。移民を受入れての将来のフランス国民の養成。これはつい先日パリで見受けた多民族の若きパリの若者たちを見て痛感したこと。これが健全なるナショナリズム。堂々と在日の、ポルトガル語の子供らを日本国民に育てられぬ日本の国家主義以前の社会の現実。といわれても小泉政権での無思慮な単なる追米主義見ていれば「日欧など先進国は」と言われることすら羞ずかしいかぎり。
▼秀逸なる新聞の文章見たあとに椅子からひっくり落ちそうになったのが17日朝日の文化欄に掲載された「日本を代表する中国問題も専門家」中嶋嶺雄先生(東京外語大の前学長で現在は北九州市立大学大学院教授)の「香港・台湾の新潮流」といふサブタイトルで何が驚いたかと言えば「「中華」からの離脱始まる」という標題。えっ、いつから香港と台湾が「連帯とアイデンティティ求め」なのか、と驚き中嶋先生がそこまでおっしゃるのに香港に住まう余は自らそれを理解できておらぬことに恥じ入るばかり……。何が香港・台湾の新潮流で「中華からの離脱」かといえば、先生曰く「アジアには歴史の深部の潮流に根差す大きな変化のうねりが起こりつつある」のだそうで「東アジア世界が従来の国家的・権力的統合の枠組みとは異なった次元で、新しい時代のアイデンティティを摸索しつつ、広く民衆レベルで胎動しはじめている動き」と、うーん、さすが中嶋先生、こういったキャッチーなフレーズでの文章展開が見事だが、それが具体的になにか、といえば「私がここで具体的に示すのは、いずれもこの夏以来の出来事」で「東アジア世界の将来に大きな影響を、時がたつにつれてじわじわと社会の内部からもたらすものと思われる」とまだ中嶋先生核心を顕にせず前書きが長い。論文でこういう書き方は御法度のはずだし、新聞の文化欄でここまで「思わせぶり」も釈されるのかどうか、中嶋先生くらいの大御所になると誰も文句言わないのだろうが、で、そこまで実に15字×20行耗やしていよいよ紹介される事例は、まず、香港の60万人デモ(さらに十万人増えた!)、二つ目は一国両制シンポジウム台湾にて開催され香港からも参加し熱い論議が繰り広げられたこと、三つ目は台湾を国の正式名称とする正名運動の本格的な開始、この3つなのである。うーん、なるほどなぁ。中嶋先生が「返還後の(略)香港でこれほど多くの市民が政治的な意思を表示したのは画期的なこと」と評価する60万人デモ……デモを積極的に評価する論調で50万人なのだが10万人増えたのは何故か、中嶋先生が積極的に評価したからか……確かに画期的なことだが、これはあくまで董建華の愚政に対する市民運動であって「中華からの離脱」とは全然関係ないのだが。で、このデモを積極的に組織したのが先生曰く「急進的」民主党派「前線」の劉慧卿(Emily Lau)女史であり、彼女らが8月に台北で開催された「一国両制の香港」検討会で、これは李登輝氏も参加、劉女史らの香港からの代表の参加に中国政府がかなり不快感示したことで話題になったもの。で、ここでこの中嶋先生の文章が「あ、なるほど」と合点がゆくのだが、中嶋先生もこの「国際討論会」に基調報告者として参加されたのであり、先生は「沈みゆく香港と台湾の将来」といふ報告を用意していったのだが「その報告が不適切と思われるほどに香港の人たちは活気に満ちていた」と……。凄い標題。「沈みゆく」と一蹴されてしまったぞ、香港(笑)。でもこれ、「沈みゆく香港」と「台湾の将来」なら台湾で許されるだろうが、日本語流暢な李登輝先生など「中嶋さん、これ「沈みゆく」は「香港と台湾」の両方に係って、その沈みゆく台湾の将来じゃないですよね?」くらい言いそうなものだが、この会で、中嶋先生曰く「香港のジャンヌダルクといってもよいほどの魅力で香港市民の間に立ってきた」(中嶋先生、最近は民主党派の女性議員といえば余若薇女史であることは御存知ないかも知れぬ、いずれにせよJeanne d'Arcは賞めすぎ)の劉女史は台湾に対して「一国両政下の香港のように鳥籠の中の自由に甘んじるのか独立への道を歩むのか台湾人自らが決定すべき、と述べた、と(ここまで事実)。で中嶋先生「従来、香港人は政治的意識が必ずしも成熟せず台湾に対しては冷たい視線を持し、一方の台湾人は香港社会を別個の中華社会と見做して違和感をもっていた」と。これまで「広東語の世界と台湾語の世界の違いもあって、両者が共通言語の北京語を用いてこのように連帯することなどなかった」と断言の上「今回は香港の民主派が台湾の民主派と強く手を携えた」のだそうな。うーん、ちっとステレオタイプな香港と台湾の見方すぎる。地方銀行の香港駐在事務所の駐在員が綴る来港三ヶ月目の作文の如し。今回のこの討論会、台湾に対して中国が提示した一国両制に対して台湾が香港の民主派に参加呼びかけたのは事実、劉女史が台湾が香港のように甘んじるのかどうか自分たちで考えるべき、と宣ったのも事実だが、果してこの討論会が香港と台湾の民主派が連携とまで言い切れるかどうか。事実、民主党派でも最大の民主党は台湾独立を認めず平和的統一を掲げ、香港で台湾独立を言うことがどれだけ厳しい現実問題があるのか理解できていれば、安易に民主派なりリベラル派=台湾独立とならぬといふこと。であるから、劉女史らのこの検討会への参加は、確かに香港の言論の自由の一環として台湾で自由に語ることへの態度表明ではあったが、けしてそれが香港が中華からの離脱するほどの意思表示と言うのは誇張。で三つ目だが中嶋先生の論調は更に勢いを増して「このような経緯ののちに」(といふのはこの検討会のことか?)九月に入り董建華が国家保安条例立法化を白紙撤回したことを挙げて「今回の一連の動きは」これも60万人デモと討論会のことか?「香港の将来のみならず中華世界の将来にとってもきわめて意味の大きいものだといえよう」と。嗚呼、なんなのだろう、この論理的?展開は……もう現実と自分の参加した討論会の持ち上げがごちゃごちゃになってしまっているぢゃないか。で中嶋先生続けて(もう誰にも止められず)「こうした香港の成功に刺激されるかたちで」って、だから香港の60万人?デモはけして中華からの離脱ぢゃない、って言うのに……先生曰く「こうした香港の成功に刺激されるかたちで」「李登輝氏自ら先頭に立った台湾の「正名運動」のデモ」があり「どこから見ても現実には主権国家である台湾は、自らの発意でいよいよ中華民国という仮面を捨て、台湾という実像をつかもうとしている」と台湾独立を強調し、それは「どんな政治的・軍事的な強制によっても覆すことのできない歴史の流れである」とする。先生が台湾独立に対してどのような考えがあるかは自由であるし、この台湾独立派の言い分は先生の言う通りであろう。だが、だが、それと香港の国家保安条例立法化反対の運動や劉女史らの台湾での自由な言動を「新潮流」とするのはまだ先生のお考えがわからぬでもないが「中華からの離脱」とは言い過ぎ。いぜんから中嶋先生は自分がかかわった研究会での内容となるとかなり大袈裟に紹介される癖あるが「このような東アジア世界の基底の新しい潮流をしっかり見据えてゆくことが、差し迫っての重要課題だといえよう」って、これをそのまま鵜呑にしたらしっかり誤解します、って、これぢゃ。朝日新聞も北京の不快感承知で台湾独立に熱心な論調をば掲載するのもいいが、どうせそうするのならもっと正確な現状分析できた文章を掲載すべきでは? これでは麻布の中国大使館の専門家からも「這個朝日新聞中嶋嶺雄先生写的和産経新聞的台独論差不多一様、為什麼朝日新聞載上那麼奇怪的両岸論?」と嗤われるばかり。