富柏村日剩

香港で2000年02月24日から毎日綴り始めた日記ブログ 現在は身在日本

十月十三日(月)曇。昨晩は朝四時半まで眠れず漸くで二時間睡眠。前晩も四時間で香港に戻り五十四時間で六時間睡眠。だが眠くならず困ったもの。ドバイからの空路にても三時間ほどしか寐ておらずドバイの宿泊もホテルの賑やかさで五時間くらい寐ただろうか。といふことは木曜日朝パリで覚醒てから五日間で十四時間睡眠とは。眠気には襲われずともさすがに疲労著しく牀に臥せれば漸く眠魔に襲われ尋常に寝入る。
蘋果日報の隨筆欄に登場の陶傑氏の連載、隣の蔡瀾が相変わらず自ら主宰する日本旅行の読むに値せぬ内容であるのに対し連日興味深き内容。今日はSARSに関する政府報告書取り上げる。要旨は
SARSの報告書指摘するに香港特区の医療制度新型伝染病への対応に準備足りず指揮監督権不明確にて情報交換竝びに病院施設能力に缺けたが特定の責任者がこれの責任を負うものでなし、といふ。しかし陶傑氏曰く制度は人が創ったもので制度は人に依り維持され医療制度に重大な錯誤あった場合に医療機構の誰一人として責任を負わぬのか、と。これ人類最古の矛盾困惑は旧約聖書より始まる。神は全能全知にてこの世と人創造ならば紙の決定は全て正確であるべき乍ら聖書を見れば神も後悔少なからず。神見るにこの世と人の罪悪大きければ神後悔し自ら創造せし人や獣を毀滅し洪水生じさせノアの方舟一艘にのみ生路を与えたり。出埃及記にはモーゼ神に何故埃及人猶太人をば追殺せむか神は答えず後悔す。後世基督教に対する最大の質疑は神が全能全知先知先覚ならば結果も亦已知の筈に何故後悔せむ悲事発生するか、と。暗黒時代の宗教裁判など異端者を屠殺せし災難も神の無意無力の現れにて然らば神全知全能に非ず。神に使える者の做す事全て為真理服務“In the service of truth”ならば錯誤犯すことも真実にて、それに“We were wrong but we weren't Wrong”(悔い更めれば罪人に非ず)という判断もあり、それ故に神も亦間違いあれど後悔することにより神全能なり。SARSの今回の全ての行為に錯誤あれど人に罪なしなる判断、とても理性論述とはいへぬが、神学的観点によれば特区のカソリック信者が平民でなきこと鑑みれば(政府高官に基督者多きことの暗喩……富柏村注)これもよく判る、と。
SARSの政府報告と基督教を結びつけかなり論理の飛躍もあろうが、結局は人が本当に悔い更めてなどおらぬ、ゆえに世界永遠に平和にならぬことを辣しく呵責する一文。
▼13日の日経にて野中広務氏曰く「村山富市という首相を迎え戦後五十年の特別決議をできたのは非常に印象深い」と。確かにそうだろうが社会党の首相を「迎え」で終わってしまったことのマズさ。自社連立など何にも繋がっておらず。野中氏続けて「若い人にかつての戦争の悲惨さを肌で感じてもらうのは不可能だが、もう一度、1945年以前の45年ほどを振り返って、当時の新聞や文献を見て、わが国がどんな異常な状況にあったのか、歴史の検証をぜひしてほしい。米国とも協調しながら、アジア各国との友好、信頼をより強固なものにし、平和な日本であり続けるようにぜひ努力してほしい。それのみを期待している。」と。正論。だが、いっそ小泉政権の現在で「わが国がどんな異常な状況」か理解することのほうが有益では?と思ったら、案の定野中氏も「今の政治状況は危ないと思う。危険だ。何かみんなが立ちすくんで、一つの方向にざーっと流れていく怖さがある。」と。ほら、ね。この状況をファシズムと呼ぶ。
小沢一郎氏も同じ日経で日本を「その場その場で、しかも情緒的な議論ばかり。もっと自己を見つめ、自己を認識して他人を見つめるという、本当の民主主義の確立がない限り、日本の改革はできないですよ」と。民主主義。野中氏にしろ小沢氏にしろ権力の中枢でいろいろ做され脛に傷ある身だろうが正論は正論。野中氏といえば噂の真相永江朗による田中良紹(元TBS報道局「報道特集」制作ののちC-NETにて「国会TV」開局)インタビューあり田中氏指摘するに新聞社がテレビ局系列化完成した70年代から電話利権握った政治家に新聞が操られるようになり新聞が郵政省=政府に反旗翻せぬ、これが支配の論理、と。この利権作ったのが田中角栄であり、それを受け継いだのが野中広務、と。「政治の世界ではとっくに終わっていた野中を、新聞とテレビはつい最近まで大きく見せていた」と田中氏指摘。